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24.その手を3

 目的地に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


「綺麗……」


 静の運転する車は、ある一軒家レストランの駐車場に止まった。

 あかりは車から降りると、美しくライトアップされた建物の外観と少し遠くに見えるレインボーブリッジに目を奪われた。

 海が近いためか風が強い。このコートを着ていなければ、恐らく凍えていただろう。


「寒くない?」

「大丈夫、ありがとう」


 冷えない程度に景色を楽しむと、静は中でも見えるからと言って、あかりを絨毯の敷かれた階段へ促す。入り口はこの上にあるらしい。

 今、手はいつもの恋人繋ぎではなく、下から掬うように持たれている。これが物語に出てくるエスコート、というものなのだとすれば、なるほどとても安心する。

 あかりは温かな手に支えられながら、どこかふわふわとした気分でゆっくりと階段を上った。


 そんな夢心地から覚めたのは、お店の中に入ってすぐのことである。






(わあ……!)


 静が開けてくれた扉をくぐると、そこは別世界だった。


 まず目に入ったのは、高めの天井いっぱいまで広がった大きい窓――の向こうにある、夜景。先ほどよりも目線が高くなったからか、見晴らしがずっと良くなっていた。

 星のような小さな光は薄暗い店内にも点在しており、一瞬外と中の境目がわからなくなる。よく見ればそれはテーブルに置かれたかわいらしいキャンドルの灯りで、ぼんやりとしたゆらめきが日常にはない幻想的な雰囲気を作り出していた。

 どこからか聴こえてくる音楽もとても耳触りが良い。


 こういった場所に不慣れなあかりでも、間違いなく素敵な店であるとわかる――のだけれど。


(どうしよう、高そう……っ)


 残念なことに、あかりは感動よりも緊張が優っていた。

 なにしろ恋人との食事で、ファミレスを希望する高校生なのだ。カジュアルだろうとフォーマルだろうと、場違い感は否めない。

 そもそもここが本当にカジュアルなのかも判断できなかった。実はもっと格式高いレストランだと言われても、今なら即座に納得してしまいそうだ。

 まだエントランスだというのに、これ以上中に入るのが怖くなる。


「あかり、手伝うよ」

「え! あ、何が……」

「コート。クロークに預けよう」

「あずける……?」


 すでに静は受付を済ませたらしく、荷物を預けなくて良いかと重ねて尋ねてくれる。しかし上着を席まで着て行かないというだけでも初耳のあかりの頭は、もっと知識を仕入れてくれば良かったという後悔で、反応が鈍くなっていた。

 軽くマナーは読んできたものの、主な部分は食事に関してで、その前後を気にするという発想自体がなかったのだ。

 できることなら、メイクや髪のアレンジの練習をしていた過去の自分に、しっかり調べた方が良いよと知らせてやりたい。


 返しあぐねるあかりの心情を読み取ったのか、静が安心させるように微笑んだ。


「脱がせるね」


 耳元をくすぐる吐息。反射的に赤くなり、固まっている隙にするりと上着の重さがなくなる。

 静はそのままコートを預け、荷物のことも確認してくれた。


「鞄を置くための椅子も用意してくれてるみたいだから、そのまま行こうか」

「う、ん」

「大丈夫。予習なら僕がしてきたから、あかりは気にせず楽しんで」


 ――駄目だ。

 リードなんてできるわけがない。少なくとも今日は、静に頼りっぱなしになると確信した。


 お席にご案内いたします、と言って歩き出すスタッフの後ろを、内装の華やかさに気後れしながらも、背に添えられた手に勇気づけられて追いかける。

 その途中、あかりは静を見上げ、小声で「頼りにしてます」と伝えた。


「こちらでございます」

「……ああ、彼女は僕が」


 そうしてやっと席に辿り着いたかと思えば、今度はスタッフの男性を制止して静が椅子を引いた。


「どうぞ、座って」

「えっ、と?」


 どうぞ、と言われても。


 静が持つ椅子とテーブルには、充分な間隔が取られていた。あかり一人なら余裕で入れるとしても、椅子に合わせて座ればテーブルが遠くなるし、テーブルの方に合わせれば座り損ねて尻もちをついてしまいそうだ。

 失敗が怖い。

 とはいえ立ち尽くしているわけにもいかないので、あかりはひとまず椅子の前へ移動すると、静を信じてそっと腰を下ろしてみた。


(わ、すごい。座れた……!)


 なんと、静があかりに合わせて椅子を押し込んでくれたおかげで、絶妙な位置にぴたりと座れたのである。

 驚きのままにお礼を言えば、どういたしましてとやわらかな笑顔を返された。


 静はあかりの荷物を空いていた隣の席に置き、あかりの向かいに座る。

 飲み物を選び周りに人がいなくなると、あかりは声量に気をつけて静に話しかけた。


「予約、してくれてたんだね。ありがとう」


 飲み物を選ぶ前にされた店側の軽い挨拶の中で、車を運転する静と未成年のあかり用に、ノンアルコールカクテルを準備してくれていたと知った。

 きちんとしたレストランなのだし、予約でもしていなければきっとこれほどスムーズには入れない。その際こちらの説明もしていたのだろう。


「店を選ばせてほしいって言ったのは僕だから、当然だよ。こういうところはさすがにあかりを無理させるかも、とは思ったんだけど……特別な日なら拒否しないって言ってくれてたから、今回はいいかなって」

「う。だからあの時約束させたんだ……」


 ファミレスに入りたいと言った夜の問答が蘇る。

 あの時点ですでに静の中ではこういった店に行く選択肢があって、そのために記念日やイベントで遠慮しないようあかりの言質を取っておいたのだ。実際に足を運ぶまであかりに内緒にしていたのも、話せば難色を示す姿が想像できたから。

 黙っていた気持ちを理解できないでもないけれど、じとりとした目で静を見てしまうのは許してほしかった。


「ごめん。やっぱり嫌だった?」

「……ううん。いつも我慢させちゃってるし、静くんが喜んでくれるなら全然いいよ」

「え」

「って言えたらいいのかもだけど。この発言のせいで記念日のたびに毎回来ることになっちゃったら困るので、たまになら……頑張ります」


 ふ、と静の笑みが漏れる。

 素直に言いすぎただろうか、と恥ずかしくなった。


「ありがとう。よろしく」

「うん。……それにしても、本当にここ、すごいね」

「知り合いに紹介してもらったんだ。どうかな?」

「どうって……」


 案内された席は窓に一番近く、横を向けば最高の眺めがいつでも見られる。しかも植物や衝立で軽く仕切られている角の席なので、他のテーブルと違い人目が比較的気にならない。

 しかもこうして見てみて、初めて店内に流れる音楽がピアノの生演奏だと気がついた。少し離れた位置にあるグランドピアノの音色が、心地よい大きさでここまで届いてくる。


 文句なく素敵だ。


 素敵、なのだけれど――






「緊張、します」


 これに尽きる。


 マンガやドラマでこういうシチュエーションを目にしたことはあっても、経験したことは当然ない。経験する予定があるとも思っていなかった。

 あかりはサプライズで連れて来られて、ただ「すごい」と喜べるほど子どもでも、何も言わずに受け止められるほど大人でもなかった。


「……」

「あっ。ごめんね、連れてきてもらってるのに。ええと、ちゃんと嬉しいとも思ってるよ」


 これも本当だ。

 静があかりではなく自身の行きたい場所を選んでくれただけでも嬉しいのに、そこでしたいのがあかりとの食事だなんて光栄に決まっている。ただあかりのキャパシティを大幅に超えているせいで、失態を演じてしまわないかと気が気でないのだ。


 慌てて言い繕うあかりに、静は何か考える素振りを見せると、ぽつりと口を開いた。


「ねえ、あかり。僕の運転、どうだった?」

「え?」


 まったく脈絡のない会話の流れに、あかりは思わず面食らう。

 ただ、幸いにも助手席にいる間感じていたことを伝えるだけだったので、話に乗るのは難しくなかった。


「すごく上手だったよ」


 もちろんお世辞ではない。

 静はあかりの知る誰よりも運転が丁寧だった。


「ちゃんと一定の速さで走ってたし、曲がる時とかブレーキの時に『うっ』てならなかった」

「それは普通だと思うけど」

「そんなことないよ! それに車線変更で無茶な割り込み方もしないし、ちゃんと他の車に道を譲ってたし、自転車が飛び出してきた時だって、急ブレーキってほどじゃなかったのに私を支えてくれて……」


 横道からすごい勢いで現れた自転車にも、突然の強いブレーキにも驚いたけれど、あかりは何より自分を守るように伸ばされた静の腕に驚いた。

 家族で出かけた時にもそんな経験をしたことがない。なんて紳士なのだと密かに衝撃を受けたほどだ。


 絶賛が止まらないあかりに、静が照れたように笑う。


「褒めてくれてありがとう。蒼真とか深澄を乗せて練習した甲斐があった」

「練習してたの?」

「うん。前から蒼真に、女性は運転が上手い男の方が好きだって言われてたし、何よりひどい運転でいつか乗せるあかりに不快な思いをさせたくなかったから。ちゃんとできてるか判断してもらうために、結構連れ回した」


 そうだったのか。

 自分のために免許を取っただけでなく、練習もたくさんしてくれたのだと知って、嬉しさが胸に広がる。練習相手が女性ではないとわかったのもほっとするポイントだった。


「ところで、さっき言ってた『一定の速さで走ってた』とかの判断基準は、どこで養ったの?」

「え?」

「いや、紗緒里さんとの世間話で、引っ越すまでは車を持ってたからあかりもある程度乗り慣れてるって聞いてはいたんだけど。なんだかやけに具体的だなと思って」

「あ……」


 もっともな指摘に、あかりは少しばかり遠い目になった。

 静とは真逆な運転をする人の車に最近乗った、と言っては、その人物に対して妙な先入観を持たせてしまうだろうか。しかもあまり男性が好きではない人だから、勝手に自分の情報を渡されたとわかれば傷つくかもしれない。

 余計なことは言わない方が良いと判断して、あかりは頭の中で他に理由になりそうなものを探した。


「えっと、あ、そうだ。私のお父さんがね、安全に歩くには歩行者も車側の気持ちを知るべきだってよく言ってたの。それで多少勉強してたせいかも」

「へえ……お父さん、しっかりしてる人なんだね。でも勉強って?」

「私も後から知ったんだけど、お母さんが教習所に通ってた時の本を教科書にしてたみたい。もちろん、子どもにもわかりやすいように噛み砕いてだけどね」


 それが始まったのはまだ小学生になる前だった。

 まるで絵本のように時々読み聞かせてくれたのは、車や人が描いてある文字の多い本。父と過ごせるだけで嬉しかったあかりは、たとえ楽しい話ではなかったとしても、その時間が嫌いではなかった覚えがある。

 一方で、母はもっとわかりやすい本があるでしょうにと呆れていたし、姉は早々に逃げ出していた気がするけれど。


「そうなんだ。……じゃあ、あかりのしっかりしてるところは特にお父さんに似たのかな」

「え。そう、かな?」

「うん。僕の前では、しっかりしてなくてもいいけどね」


 頼ってもらえた方が嬉しい、と甘く微笑まれれば、キャンドルの灯りと夜景も相まって一層静がキラキラして見える。

 ときめきが襲って、胸の中を静が占拠した。


(あ……)


 もしかして、静はあかりの緊張を和らげるために、この場所とは関係のない話を振ったのだろうか。

 気がつけば肩の力が抜けている。少なくとも先ほどまでよりは気持ちも楽になっていた。


「……ありがとう」

「こちらこそ。さっき、あかりが『頼りにしてます』って言ってくれて、嬉しかった」


 会話の流れから、しっかりしなくていいという部分にお礼を言ってしまったらしい。

 訂正しようかとも思ったけれど、せっかく静が喜んでいるのに、わざわざ水を差す必要はない。

 静の誕生日の埋め合わせなのだ。静が満足してくれるに越したことはなかった。


 あかりは静と夜景を眺めながら、この後の食事を楽しみに待つことにした。




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