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14.永遠の別れ6

 あかりは夜という単語から湧いてしまったイメージに、頭が沸騰しそうになった。


 母は一体何を許可しているのか。


 もちろん好きな人と一緒にいられる時間が増えるのだから、決して、決して嫌なわけではない。

 けれど一つ屋根の下で眠るだなんて、あかりにはあまりにも刺激が強かった。頬や額、手などにキスされただけでも、恥ずかしくて仕方ないというのに。


「こ、高校生の娘のお泊まりを許可するって、私のお母さんながらおかしいと思います……」

「そこはまあ、説得の成果かな」


 娘の恋人に何をどう説得されたら許可を出すのだ。

 静も、場所はそう遠くないところにするつもりだよ、などとそのまま続けないでほしい。正直まったく入ってこない。


 あかりはひとまず落ち着こうと、胸に手を当てながら静かに深呼吸した。


 すると。


「ふわぁ……」


 大きめのあくびが出て、あかりは反射的に両手で口を隠した。


「眠い?」

「ご、ごめ……ちょっと、寝不足で」


 やってしまった。

 今日一日、ふとした時に出そうになるそれを、できるだけかみ殺していた努力が意味を失う。よりによって静が見ている前でしてしまうなんて。


 自分といるのが退屈なのかという誤解をさせたくなくて、あかりは急いでフォローの言葉を探した。


「あの、静く」

「……やっぱり、急がないと」

「え?」


 静の声は小さく、店内のざわめきもあって聞き取れない。

 あかりが聞き直そうと口を開きかけると、ちょうど店員がテーブルの横に立った。


「お待たせいたしました、フォンダンショコラでございます」

「ありがとうございます」


 静が会釈して答えると、静の前に皿が置かれ、テーブルの上の食べ終わった分が回収される。ごゆっくりどうぞ、というセリフを残して、店員は離れていった。


「疲れてるのに付き合ってくれてありがとう。これ食べたら帰ろう」

「あ……全然、大丈夫。ゆっくり食べて。その、まだ一緒にいたいのは、私の方だから」


 特に気にしていない様子の静に安心して、本音がこぼれる。

 あかりがどれだけ疲れていようと、静との時間はいつまでも続いてほしいくらいだ。静といると、この上なくドキドキすると同時に、とても癒される。

 だから多少の寝不足くらい、断る理由にもならなかった。


「……じゃあ、疲れてるあかりに。はい」


 静はやわらかな笑みで、あかりの前にフォークを差し出した。

 先には添えられていたアイスを絡めた、今にもとろけそうなケーキが。


「しず」

「早く。落ちる」

「っ!」


 本当に落ちそうなのが見えて、あかりはとっさにぱくりとそれを口に含んだ。


(わ、おいしい……!)


 甘みが広がる。

 あかりの好きな、チョコレートの。


 温かいのに冷たい不思議な味に気を取られていると、するりとフォークが引き抜かれた。


「おいしい?」


 どこか楽しそうな静に問われ、あかりは状況を把握した途端胸を叩き出した心臓を押さえながら、ぎこちなく首を縦に振る。

 静は良かった、と言いながら同じフォークでケーキを食べた。


「……!!」


 衝撃的な光景に、固まる。

 それはいわゆる「間接キス」というものではないだろうか。


 こちらは「あーん」だけでも涙がにじむほどの羞恥に襲われているというのに、静は平然と丁寧な所作で食べ進めている。納得がいかない。


 二口目を終えたところで、静があかりの視線に気がつく。


「もっと?」


 にこりと言うよりはにやりという笑い方で、あかりに微笑む。

 いつもと違う少し意地悪な表情に、あかりは真っ赤になってかぶりを振った。



◇◇◇



 まだ冬と呼べるほどではない、夜の冷えた空気が肺に心地良い。

 あかりはファミレスを出てから、レジでまとめて支払いをしてくれた静に約束通りお金を渡すことができた。少々困った表情に見えなくもなかったけれど、おかげで帰り道を行く足取りは軽い。


「あかりって、どうして頼るのが苦手なの?」

「えっ?」


 唐突な質問に、隣にいる静を見上げる。


「不躾にごめん。ただスマホのこともストーカーのことも、あれだけ家族と仲が良いのになんでそこまで遠慮するんだろうと思って」

「あ……」


 静から見て、違和感があるのだろう。

 片親とはいえ看護師の母は、あかりの大学資金を貯められる程度には金銭的に余裕があり、あかりのために事件関連の形跡を隠してしまうほど心配をしてくれる。そんな真っ先に頼るべき大人である母にまで、辛いと言わず、心配や迷惑をかけたくないとあかりが悩むことに。


 これは、幼い頃からの「癖」だった。


「えっと、ね。……うちの家族、昔はもっと雰囲気悪かったんだ」

「え、そうなの?」

「うん。大した話じゃないんだけど、聞いてくれる?」


 静がもちろん、と答えてくれたので、あかりはどう説明したものか頭で組み立てながら語った。






 ――カフェで母が褒めていたように、あかりは最初から良い子だったわけではない。


 まだ家族四人で暮らしていた頃、両親はよくピリピリした空気をまとっていた。疲れていたのだろう、ため息をつきながら家事をする背中を覚えている。

 家事の苦手な母と、得意な父だった。

 母はあかりが小学校に上がってしばらくすると仕事を始め、もともと忙しくしていた父は休日にまとめて家事をするようになった。平日は姉とあかりで冷蔵庫に用意されたご飯を温めて食べる生活が続き、寝る時間になっても二人が帰ってこないことも多かった。

 歳の離れた姉は、妹よりも学校や友達といる方が楽しいらしく、帰ってきても部屋に篭ってしまう日が増えていく。あかりは友達と遊んで帰ってくると、一人で過ごすのが当たり前になっていった。


 そんなある日、休日にキッチンに立つ父と話したくて手伝いをすると、みんながとても褒めてくれたのだ。

 喜んでくれると嬉しくて、できることを増やせばまた褒められて。みんなが望む「良い子」でいると、笑顔が増えるのだと気がついた。


 家事も勉強も頑張るようになったのはその頃だ。

 「寂しい」も「悲しい」も、やることが多ければ気にならなくなったし、ただでさえバラバラになりかけている家族にわがままを言って、煩わしいと思われたくなかった。


 きっと、そういった小さい頃の思いが染みついたまま、今のあかりになってしまったのだろう。


 まあ結局数年後には両親は離婚してしまい、あかりの影の薄い努力は単なる習慣に変わっただけで、関係修復の役には立たなかったのだけれど。

 あかりはその後の経験で、離れた方が良い関係を築ける場合もあるのだと学ぶことになる。






「……ていうのが、たぶんこんな癖が身についた経緯のようなもの、だと思います」


 静はあかりが少し恥ずかしくなるくらい、真剣に聞いてくれた。


「あ、でも別に辛い話ってわけじゃないんだよ。今は普通に仲が良いし」


 離れて暮らしていても、姉は学園祭に来てくれるくらい気安いし、父は毎年お年玉をくれる。

 ただ、あかりは静の過去を知っているのに、あかりは静に何も話していないと思っただけだ。


「それに、家事も勉強も『頑張る』と言うより『当たり前』になってて、むしろ生活の一部という、か……っ!?」


 どうしてか口が止まらず思いついた言葉を並べていると、静が近くの暗い小道にあかりを引っ張り込んだ。


「ひゃっ!?」


 何が起こったのかわからないまま、ぎゅうと強く抱きしめられて、すぐ緩む。

 けれど体は離さないまま、今度は頭を優しく撫でられた。


「話してくれてありがとう。……あかりには残念かもしれないけど、ますます甘やかしたくなった」

「……っ」


 すぐ近くに、吐息を感じる。

 急な熱と匂いに、頭がくらくらした。


「そういうことなら、ゆっくりわかってもらえるようにする。そんなに頑張りすぎなくていいんだって」

「が、んばりすぎては、いないよ」

「いるよ」


 ドキドキしているのに、ほどよく低い声と触れている部分が気持ち良くて、目が閉じてしまいそうになる。

 特に頭を撫でてくれる手が心地良く、この腕の中で眠れたら、きっと悪夢なんて見ないだろうと思えた。


「頑張らなくたって、もっと頼ったって、あかりが好きだと思ってる人は誰もあかりを嫌わない。紗緒里さんたちも、当然僕も」

「……うん」


 頑張っているわけではないのは本当だ。家事も勉強もそれ以外も、先ほど言った通りすでに習慣づいている。

 けれどその根底に、そうしなければ嫌われてしまう、と怖がる自分が存在するのもまた、本当だった。


 そこに静や母が気づいて、あかり自身よりも悲しんでくれるのならば――昔のあかりも、報われる気がした。


「あかりはもっと欲を出していいんだよ。僕なんて、したいことしかしてない」


 あかりと結婚したいから紗緒里さんを説得したし、養いたいから稼いでるし、相応しい男になりたいから見た目に気を遣ってるし、と頭の上で指折り数えられる。

 あかりは内容が自分に関してばかりであることに唖然として、思わず少し距離を作って顔を上げた。


「静くんこそ、ちゃんと自分がやりたいことをやってね。私といるからって、我慢しちゃ駄目だよ」


 静が苦笑する。


「……やってるから、あかりは振り回されてるのに。僕は今、あかりが二度と離れる気を起こさないように、意識を変えたくて必死なんだよ」

「え? それは、どういう」

「ううん、なんでもない」


 振り回すだとか意識を変えるだとか、言葉の真意が読めない。


(離れたいなんて、思うはずないのに)


 そう考えるとしたら、静が――


「じゃあ、僕はあかりと寝たい」

「ねっ……!?」


 静の問題発言によって、思考が一瞬で吹き飛んだ。

 ただでさえくっついているせいで赤い頬が、もっと熱くなる。


「僕のやりたいこと、やってほしいんだよね?」

「そう、だけど」

「なら、僕をもっと頼ってほしい。帰り道が怖いから迎えに来てって言ってほしい」

「え、えっ?」


 頼ろうとしない癖は、ゆっくり直していくのではなかったのか。

 静はあかりの言いたいことを察したのか、恨めしげな目を向けた。


「他はともかく、身の危険に繋がるところはのんびりできないよ。迎えだって、本当は五年前に聞きたかったくらいだ」

「う」


 もしかして、怒っているのだろうか。非通知の電話が来ていると相談しなかったあかりを。


「でも、もう解決したからそんな必要は」

「ないとも言えない。何か起こってからじゃ遅いんだ。僕は僕の全力であかりを守るけど、次も間に合うとは限らないし」


 あかりだって僕を魔王にはしたくないでしょ、と言われても、意味がわからない。


「これからは帰り、ちゃんと送らせて。もちろん友達と遊んだりとか、用事があればその後でいいから」

「それじゃ静くんが大変すぎるよ! ……そうしちゃいそうだって思ったから昔の静くんに言えなかったのに……」


 もし静と帰っていたら、あの日も何も起きなかったかもしれない、とはあかりも思う。

 けれど忙しい静を不規則に呼び出すなんてできるわけがないし、特に先月はそうできない理由があった。


「どうして? 言ってくれたらよかった。今ほどじゃなくても、きっと何かの役には立てたよ」

「それは、もちろん頼りにはなったと思うけど。でもあの時はフェードアウトしようとしてたから、できるだけ連絡しないように気をつけてた時期で――」

「っ、待った。え、フェードアウト……?」


 途中で止められて、静の顔色の悪さに首を傾げる。どうしたのだろう、と考えようとして、すぐ失言に気がつき今さら口を押さえた。


(しまった。これ、言わなくていいやつ……!)


 時々出てしまう、余計な一言。

 頼らない癖より、こちらを早急に改善するべきではないかとあかりは思った。


「あ、ええと、だから」

「あかり、僕に説明しないでいなくなろうとしてたの?」

「……っ」


 否定の言葉が出てこない。

 まさしく、正解だったからだ。


 静の目が据わって、まるで自分がヘビに睨まれたカエルにでもなった気分になる。これは事情を説明しなければまずいことになる予感がした。


「これには、その、深いわけがありましてっ」

「深いわけ? どんな?」


 雰囲気に気圧され、あかりが後退りしそうになるのを、背中に回った腕が許さない。

 あかりは一度ごくりと喉を鳴らした。


「そ、そもそも先月の終わり頃までは、静くんが私を好きになってくれてるだなんて、全然、まったく思ってなくてですね」

「……全然……? まったく?」


 本当はそんな気がしてもすぐに打ち消していたので、まったく思っていないこともなかったけれど、そこは言わなくても良いだろう。

 あかりは何度も頷いた。


「でも、あの、なんとも思ってない相手だとしても、急にいなくなったら静くんは心配してくれちゃうだろうなぁ……と。それで興味を薄れさせるために、まずは徐々に会う日を減らそうと――」

「っあかり、待って。お願いだから……」


 ちょっと待って、と手で目元を隠した静が、しばらく無言になった。

 考えを整理しているのだろうか。それにしては顔色が先ほどより悪化しているように見えて、心配になる。


「え……? 僕、蒼真には散々わかりやすいって言われてたんだけど」


 手を外した静は、明らかに困惑していた。

 代わりにあの妙な迫力が消えていて、少しだけ安堵する。


「えっと、何が?」

「デートに誘ったし、看病したし、寝てると思ってほっぺにキスしたよね?」

「う、うん……?」


 何を聞かれているのだろう。

 わからないけれど、改めて静との記憶を辿るとまるで少女漫画のようで照れくさい。あかりはともかく、静は地でヒーローができそうだ。


「告白しかけたし、キスしたこと謝った時も彼女でいてって言ったよね?」

「そう、だね?」


 あかりは覚えていて当たり前だとしても、静にとっては五年も前の出来事だ。よく覚えているなぁと感心する。


「え、……じゃあ何がきっかけで、僕があかりを好きだってわかったの?」

「ああ、それはほら。誕生日にした電話で、ゲームだとエンディング前にしか出てこない『寂しい』を静くんが使ったから、それまでのことが全部繋がって……あっ」


 またやってしまった。

 高校生の静をずっとゲームの主人公だと思い込んでいたせいで、あの頃の話をするとどうしても二人を重ねて話してしまう。

 だからと言って切り離せば、説明できる理由まで失うのだから難しい。


「またアイツか……」

「っ!」


 低い声で静が何かを呟く。

 知りたくても、怒りが再燃したらしい静へ気軽に声はかけられそうもない。


「……ねえ、あかり」

「ひゃい!」

「格好悪いのを承知で聞くけど、あかりが好きなのは僕? それとも……ゲームの僕?」

「え」


 そんなものは決まっている。


「もちろん、静くんだよ」

「……よかった」


 当たり前のことだというのに、静はほうっと息をついて、脱力したようにこつんとあかりと額を合わせた。

 ぼやけるほどに近く、甘いドキドキが胸に広がる。それでも今、半分以上を占めているのは甘くない方のドキドキだった。


(よかったのは、私の方かも)


 というのも、二人を分けて考えられるようになったのはつい先ほどなのだ。

 これまでの静の言動から察するに、あかりにはゲームの主人公と同一視はしてほしくないのだろう。万が一「え、主人公も静くんだよね……?」などと抜かせば、どんな反応があるか想像もつかない。

 本当に、今日苗字が判明して良かった。


 主人公は静の分身ではなく、静に似せて作られた別人である。

 それを踏まえて弁解しなくては。


「静くんとゲームの主人公じゃ、向けてる感情が全然違うよ。紗南ちゃんたちと恋人になっても嫉妬なんてしなかったし」

「僕にはしてくれてたよね」

「う、うん」


 顔を離した静は、数十秒前とはうってかわって上機嫌だった。笑顔がとても素敵である。

 よし、良い調子だ。


「じゃあ、あかりの初恋は?」

「……えっ?」


 …………なぜ、今それを聞きたがるのだ。


「さっき、僕が好きになったのはあかりだけだって言った時、嬉しそうにしてたから。僕も知りたい」


 知らない間に見られていたらしい。静はその時母と向き合っていたのに、洞察力がおかしい。


「それとも、小学生の時とかに済ませてた?」

「そ、んなことは、ない、けど」

「僕の知らない人とか?」

「ううん。静くんの知ってる人……というか」


 もしかして、静はわかって聞いているのだろうか。


「ほら、教えて」

「うう…………わかった」


 そんなに聞きたいなら、仕方がない。

 あかりは軽く深呼吸をして、もう一度告白するくらいの緊張感を持って口を開いた。






「初恋は、ゲームの静くん、です」






 ほう、と息を吐く。

 恋をしていた、中学生からの気持ちを思い出して、頬を染めた。


「…………え?」

「え?」


 静が呆然としている。

 どうしてそんなに驚くのか。


 永遠に会うことのできない、あかりの終わった恋の相手。それは紛れもなくゲームの静だ。


 もっとも、目の前の静には言えないけれど、あかりの中ではあの土曜日に別れた時が最後である。何も知らないあかりは、眠るその一瞬まで、ゲームの主人公だと思って決別した。

 もしあの別れを経験していなければ、大人になった静を受け入れるのにもっとたくさんの時間が必要になったかもしれない。


「……僕とゲームの僕じゃ、向ける感情が違うって言ってなかった?」

「うん? そうだよ。嫉妬する好きと、しない好き。でも好きだったのはどっちも本当だから」


 そうでなければ、現実の静に会えなかった。


 御守りが面識のない静に会わせてくれた時に、あかりの気持ちが『錯覚』でも『間違い』でもないのだと証明してくれたのだ。


「…………振り回されてるのは僕の方か……」

「え、何?」

「ああいや、……そろそろ帰ろうか」


 ぼそりと何か呟いた気がしたものの、静はあかりを包む腕を離してしまった。

 無理に聞き出すのも良くないかと思い、あかりはまた、静と手を繋いで元の道へと戻って行った。






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