13.永遠の別れ5
その後、じゃあ機種変更をしようと母に言われ、戸惑うあかりをよそに二人が通信サービスやプランを検討し始めた。一応再度今のままで良いと口を挟んでみたものの、逆に諭された結果、容量などの希望のみが採用されることになった。
ちなみにカフェを出る際、母と静のどちらがカフェ代を払うかで軽く揉めている。お礼がしたくて来てもらったのだからと、今回は母が権利を勝ち取っていた。
そうしてあかりは二人に連れられて携帯ショップへ向かい、一時間以上かけてようやく、各種手続きを終えたのだった。
◇◇◇
平日の夜、それなりに混む店内。
その一角にある二人席で、あかりと静は食事を楽しんでいた。
といってもどの皿にもすでに料理はほとんど残っておらず、今は静が最後の一口を飲み込んで、備え付けの紙ナプキンで口を拭いたところだ。
「あかり、デザート頼む?」
「私はこれでお腹いっぱいだからいいかな。静くんは頼むの?」
「うん。まだ糖分が足りてないから」
そう言って、静はメニューも開かずに、テーブルの端にある店員を呼ぶためのボタンを押した。
(……静くんスイーツとか食べるんだ。かわいい)
意外性のある情報に、あかりの胸がきゅんとする。
これまで勉強会でファストフード店にはよく行ったけれど、お腹が空いている時はセットを、そうでない時は飲み物だけを注文していたように思う。見たことがあるのは、あかりが熱を出した日に食べたアイスと、土曜日のお菓子だけだ。
「甘いもの、よく食べるの?」
「よくってほどじゃないかな。いつもより頭使ったりして疲れた時とかに、時々」
「……それってもしかして、今も疲れてる?」
あまりそうは見えなくてあかりが首を傾げると、静は小さく苦笑いする。
「娘さんをくださいって言いに来たんだ。緊張くらいするよ」
「そ、っか」
あかりはカフェでのやり取りを思い出して、頬に熱が集まるのがわかった。
誰よりも落ち着いている様子だったのに、内心では母を前に神経を張り詰めさせていたらしい。それも、終わってから甘いものを食べたくなるほどに。
(全然、気づかなかった)
自惚れでもなんでもなく、静の態度から伝わってくる。静がこれほど頑張ったのは、ただ「あかりといたい」からだと。
その事実に喜びが抑えきれず、あかりはつい顔を緩ませてしまった。
「――お待たせいたしました、ご注文をお伺いします」
話が途切れたあたりで、ちょうど良く店員がやってくる。
静が特に迷う素振りもなく注文をし、あかりは残っているオムライスをスプーンですくって口に入れた。あと数口、早く食べてしまおう。
(ファミレスがいいって言った時は微妙な顔してたけど、メニュー見なくても決められるくらい食べたいものがあってよかった)
そう、二人が今いるのは、駅前にあるファミリーレストランである。
携帯ショップを出て、明日は仕事のある母が解散を宣言したのだけれど、一緒に帰ろうとしたあかりに「無事に家まで静くんが送り届けてくれるなら、二人でご飯食べて来てもいいよ」と言ってくれたのだ。
静はあかりが驚いている間に条件を受け入れると、まだ一緒にいたいなどという口説き文句であかりを誘った。
もちろんそれを断ってまで優先したいものなどあるはずもなく、あかりたちは近くの飲食店の中から手頃な場所を探すことになった――までは良かったのに。
静が選んだのは、ことごとく高そうな店だった。
ハンバーガーではいつもと変わらず、牛丼やうどんなどのファストフード店では他の客との距離が近いため、少々話がしにくい。週の半ばなので肉やお好み焼きなどの制服に強く臭いがつくところは困るし、この駅の周辺にやたら多い居酒屋には当然入れない。
となるとイタリアンや、昼はカフェで夜はお酒がメインになるようなおしゃれな店を選びたくなるのはわかる。
しかし、あかりは高校生だ。普段友達と集まる時だってコスト重視で店を選ぶ。
だから価格帯が財布の中身と釣り合っていない場所は、たまにならともかく、身の丈に合わず入りにくいのだ。
静は自分がすべて払う気なのかもしれないけれど、あかりは彼女になれたからと言って、奢ってもらうのが当たり前だとはどうしても思えなかった。
そこであかりは、半ば本気で「自分の分を自分で出せないなら帰る」と言ってみた。
――効果は覿面である。
驚くことに、焦った静はあかりの要求をほぼ呑んだ。
あかりもきちんと払うこと、今日はファミレスが良いこと。ついでにそういう関係になるまでは、無闇に奢らないことも。
項目が増えるたびにまるで苦渋の決断だと言わんばかりの表情をしていたものの、そんなに食事に行けないのが嫌なのか、最後まで首を横には振らなかった。
あかりの方に合わせてもらうのは申し訳ないけれど、カフェでも言ったように静におんぶに抱っこの状態にはなりたくない。
ただ自分を人質にするのはあまりにも有効であるとわかったので、今後はできるだけ使わないようにしようと決めた。
(さすがに、特別な日云々っていうのは断れなかったけど)
哀願、とでも形容すれば良いのだろうか。
記念日やイベントなどで連れて行った先で遠慮されると悲しいし、あかりのために用意した物を拒否されると捨てるしかなくなるから、と理由まで添えて真剣にお願いされれば、それは受け入れると約束するしかない。
どこか不安が残る気もするけれど、食事をするたびにお金を使われる状況よりは改善した、はずである。
(今日だって、静くんからじゃないとはいえ新しいスマホまで買ってもらっちゃったし……)
あかりはもぐもぐと口を動かしながら、テーブルの隅に置いてあるピカピカのスマホにちらりと目をやった。
最新型より一つ前のモデルのそれは、今まで使っていたものに比べて薄く大きくなっている。まだケースがないため、落とせばまた割れるだろう。いろいろな意味で、しばらくはずっと鞄に入れておきたい気分だ。
そもそも、電話番号を変えると余計な出費になると考えたから無言電話を無視していたというのに、まさか本体まで新しくすることになろうとは。後悔先に立たず、とはこのことだった。
「大丈夫だよ。示談金が入るだろうし、あかりが気にすることない」
「っ!」
ごくん、と咀嚼していたものを飲み込む。考え事に没頭していたせいで、突然かけられた声に動揺してしまった。
スマホを気にしているのが正面からはよく見えたのだろう。あかりは見透かされて恥ずかしく思いながら、食べ終わった皿を通路側に寄せ、口を拭いて言った。
「じだん? もしかしてさっき、お母さんと話してたのは事件のことなの?」
携帯ショップでの待ち時間で、二人は何やら小難しい内容を話していた。店員の説明やデータの移行に苦戦していたあかりは、それに気づいても話に加わることができなかったのだ。
「うん。あかりにはあんまり話してないんだってね」
「どうなったのかとかも、全然だよ。お姉ちゃんのところから帰ってすぐ事情を話したのが最後かも」
「そっか。……あれ、でもそうすると今日の約束は? 紗緒里さん、前にあかりは連れて行けないと思うって言ってたのに」
「あ、それはこの間の土曜の夜に……か、彼氏ができたって言ったら、男の人が怖くなったわけじゃないんだって安心してくれたみたいで」
その流れで「行く?」と聞かれたから「じゃあ行く」と返しただけである。もう一人の女性へのお礼は十月中に済ませたから今回を逃せばチャンスはないけど、と注釈を加えられれば、答えは一つしかない。
土曜日の時点では相手方――つまり静の都合で、まだ日時が未定だったのも大きい。『十一月一週目までは忙しくしているので、詳細はその後に決めさせてください』と母に見せてもらったトモナガさんからのメールに書かれていた。
おかげで、母の休みである水曜日と、あかりの学校が終わる時間を希望できたのだった。
その先はスムーズで、トモナガさんの予定とあかりたちの希望がうまく噛み合い、早々に会う日が訪れた。
ただ、仕事以外ではうっかりやさんな母が、急遽娘も参加するという旨を相手に伝え忘れてしまったせいで、静にとっては急な変更が起こった――というわけだ。慌てさせて本当に申し訳ない。
「そういうことだったんだ。……いろいろ、うまくいってよかった」
静が実感のこもった息をついた。
(今思えば、あの忙しいっていうのは時期を待ってたんだよね)
土曜日の再会前にお礼の場を設けては、母を経由して、何も知らないあかりに名前や容姿などが伝わってしまいかねない。それまでだって、たまたまあかりが静の苗字を知らず、母があかりを事件から遠ざけたいと考えていたから、大人になった静を知らないままでいられたのだ。
こうして考えると、静はかなり危ない橋を渡っていた。疲れるのも無理はない。
「そうだ。もしあかりが事件のこと知りたいなら、話すよ。紗緒里さんは嫌がるかもしれないけど、知らない方が不安かもしれないし」
「いいの?」
自分からは聞けなかった提案に、思わず前のめりになる。
実は、あの事件の情報は母や姉が止めているのか、あかりのところにほとんど入って来ないのである。
怖いのはたしかだけれど、まったく知らないのも怖い。かと言って母たちの気遣いを無下にするのも忍びなく、あかりは犯人が逮捕されたのだから裁判になるのかや、裁判になったとしたら証人としてまたあの人と会わなければならないのかなど、答えの出ない疑問を一人で繰り返していた。
「あかりには知る権利があるから。もちろん、知らずにいる権利も」
「私は……知りたい、な。知らないと、いつまでも不安なままだから」
あかりが言うと、静が頷いた。
「じゃあ簡単に説明する。紗緒里さんは最初犯人を絶対許さないと思って、示談……つまり裁判をせずに話し合いで解決するのに否定的だったんだ」
「そう、なんだ」
「でも裁判で有罪になると、前科がつく。判決が出る頃には今勤めてる会社は解雇されてるかもしれないし、服役後にも職がなければ社会復帰は難しい。結果、自分をそんな目に遭わせた事件の被害者を恨む」
「――!?」
恐ろしい流れに、嫌な未来が思い浮かんで血の気が引いた。
またあの日々が戻ってくるのかと思うと、鳥肌が立つ。
「ごめん、そういうこともあるって話だよ。でも紗緒里さんはその可能性を気にしてた。起こらない『かも』じゃ意味がないって」
「お母さん……」
「それに裁判をするとどうしても長引くから、その分あかりがいつまでも忘れられなくなる。そうやってあかりに一番良いのは何なのか考えて、示談にするのを決めたんだって」
「……」
「示談なら早く関わりを絶てて、きっと裁判より高額な請求ができる。あかりに二度と近寄らないって項目を示談書に入れるとか、そう言う方向で進んでたよ」
知らなかった。
表向き、母はあかりが無事だったからか、もう事件のことなど気にしていないように振る舞っていた。それなのに裏では怒りを燃やし、あかりにとっての最善を真剣に探ってくれていたなんて。
人によるとは思うけれど、少なくともあかりは母の明るい態度に救われていた。もし腫れ物に触るような扱いをされていたら、気がもっと滅入っていたに違いないからだ。
「どうしても許せないなら、今からでも変えられるよ」
「え……」
「ちゃんと罪を償わせることもできる。あかりはどっちの方がいい? 答えづらいとは思うけど、僕はあかりの素直な気持ちが聞きたい」
心臓が嫌な音を立てる。
あかりは法律に詳しくないから、示談をした場合としなかった場合で、どのような結果になるのかわからない。
怖かったし、まだ許すなんて言えないし、今でも眠れない時すらあるけれど――実際にされたのは無言電話と、腕を掴まれて怒鳴られたくらいだ。しかも結果として静に助けられ、ひどい怪我もしないで済んでいる。恐らくストーカーに苦しんでいる他の人たちに比べれば、大した事件ではないだろう。
まして刀川は顔見知りだ。親しいわけではなかったとしても、優しい一面は見てしまっている。
あかりは恐怖にまかせて、あの人に何もかも失ってほしいとまでは思えなかった。
「私は、……これ以上関わらなければ、それでいい。許せないって気持ちもあるけど、私の言ったことで誰かの人生を変えちゃう方が、怖い」
「そこは自業自得だからあかりが気に病むことじゃない。でも、まあ、そうだね。気持ちはわかる」
「うん……ありがとう。あと、教えてくれたのも」
今聞けなければ、この先もぐるぐる悩んでいたはずだ。
安全だと安心まではできないにしても、母の気持ちを知れて良かった。
「どういたしまして。あかりは僕たちが守るから、大丈夫だよ」
優しい笑みに、あかりは胸を撫で下ろす。
静が言うと本当に大丈夫だと思えるのだからすごい。
(それに、私が責任を持てるのは、家族以外だと静くんだけだし)
すでに人生を変えてしまった人が目の前にいるのだ。あかりの腕は静を抱えるだけでいっぱいで、刀川の分まで背負う余裕はなかった。
「だから僕も、近いうちに引っ越そうと思ってる」
「……えっ?」
――今、何か聞き逃したのだろうか。
この流れでどうしてその発言に至ったのか、あかりは理解が追いつかなかった。
「えっと、ごめん。静くんが? なんで?」
「あかりを呼べるように。今の家だと他に男がいるから」
聞いてもやはり意味がわからない。すでに静の家にはお邪魔したし、詠史や一応深澄とも面識ができたので、呼べないことはないはずなのに。
疑問が表情に出ていたのか、静が補足してくれる。
「示談にするってことは、検察に起訴されない限り、家に帰るってことだよ。奴の家と会社は、ここの駅の近くにある」
「あ……」
「あかりの家とかバイト先を知られてて、生活圏も被る。今のところに住み続けるのは、怖いでしょ」
そこまで考えていなかった。
たしかに訴えるまではしなくていいと思っているけれど、決してあの顔を見かけても構わないわけではない。近くにいると思うと、単純に恐ろしい。
「あれ? でもそれなら引っ越すべきなのはうちなんじゃ」
「ああ、紗緒里さんも検討してたよ。でも僕の方が早く動けるから」
「うん……?」
「さすがに今すぐ一緒には住めないけど、紗緒里さんに夜勤の日なら泊めてもいいってお許しをもらえたんだ」
「とっ、え!?」
あかりは耳を疑った。
泊めるとは。
お許しとは。
――静の言う「呼べる」とは、どうやら夜のことを指しているらしい。
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