9.永遠の別れ1
チャイムが鳴って先生が授業の終了を告げると、教室全体が浮き足立った。あとはホームルームだけということもあり、放課後どこへ寄るかや、部活についてなどの会話があちこちから聞こえてくる。
あかりも板書をノートに書き写し終わり、机の上を片付けていた。
「あーかーりー」
「わっ、びっくりした」
顔を上げれば、友達二人があかりをじっとりとした目で見つめていた。
「今日こそは時間取れるよね」
「う、うーん」
「何がどうなって例の彼とちゃんと付き合えたのか聞きたいー!」
そう、あかりはあの週末が明けた月曜日、何も言っていないにも関わらず、静と付き合い始めたことを早々に見抜かれた。
この二人には以前から、体調を崩した時に静を呼んでくれたり、告白されて周りの反応に困っている時に助け舟を出してくれたりと、様々な場面でお世話になっている。だからあかりとしてもきちんと報告がしたいとは思っているのだけれど、静とのことはまだ、誰かに説明できるほど整理がついていなかった。
(特に、何がどうなって付き合えたのかっていう部分を、なんて説明したらいいんだろう)
もともと例の彼は、あかりが一目惚れして告白して友達から始めてもらって、その後もそれなりの回数会っている男の子――だと二人は思っている。ゲームはもちろん仮の彼女についても説明できないため、いろいろとごまかしたらそうなった。
数ヶ月前の女子会では、背は高い方で別の学校に通っていて、会うと主に勉強会をしていることも話した。あとは相手のどういうところが好きか、あかりには優しいのかなども聞かれたはず。
一応月曜日に見抜かれてからも、差し支えない程度の質問なら答えている。たださらに詳しくとなると、意図していない部分に食い違いが起きそうで、どうしても濁してしまうのだ。
「月曜日はその彼と約束があるからって帰っちゃったし、昨日はバイトだったでしょ」
「写真だって一枚もないしさぁ」
「今日こそは大丈夫だよね。ほらお姉さんたちに話してごらん」
「お姉さんって……」
友達の言う通り、一昨日の月曜日は早速静に勉強を教えてもらう約束があった。
あかりにとっても少し懐かしい、静の高校の最寄り駅付近にあるファストフード店。大学が休みだという静が先に着いて待ってくれていた。
始める前までは、好きな人と付き合えて浮かれたあかりで集中できるのかと少し不安だったけれど、そんな考えは杞憂に終わる。
静は驚くほど教え方が上手だった。
さすが元家庭教師である。
さらに、人目のない部屋に二人きりといった状況でもなければ過度な緊張をしないで済むとわかり、これからも静と勉強をするのなら外が心臓に優しいと学んだ。
火曜日は、バイトが終わって帰ろうとすると、静からメッセージが届いていた。『送りたいから、終わったら連絡して。近くのコンビニにいる』と。
慌てて電話をかければ、静は本当にすぐそばで待機してくれていて、たった十分程度の距離のためにわざわざ来てくれたのだと知った。
正直、もう犯人は捕まったとはいえ、やはり夜に一人で歩くのはまだ怖い。特に腕を掴まれたあの場所の近くは。
心配だし少しでも会いたいから、と言ってくれる静には負担をかけて申し訳ないけれど、会えて嬉しいのはあかりも同じなので、昨日は甘えることにしたのだった。
そして、今日が水曜日。
静との約束も、バイトもない。
「ええと、それがね。今日はお母さんと約束があって」
「あー……そうなんだ。じゃあすぐ帰る感じ?」
「うん。ごめんね」
「ええー。それ、どうしても今日じゃないとダメなの?」
「そりゃ駄目に決まってるでしょ。あかりとお母さん、休み合わないって言ってたじゃん」
「あれ? そっか。そういえば二人暮らしだったっけ」
「うん。だからまた違う日にしてくれると助かるな」
「ちぇー。しょうがないか」
理解してもらえて、ほっと胸を撫で下ろす。
代わりにというわけではないけれど、今日の用事が終わった後にでも静に連絡して、表向きの内容をどうするか相談しようと決めた。
こんなにあかりを気にかけてくれる二人に、静がとても素敵な人なのだと胸を張って紹介したい。
「あ、先生きた。あかり、途中までは一緒に帰ろうね!」
「うん」
「また後で」
手を振り返して、それぞれが席に戻るのを見送る。
あかりは先生が読み上げる連絡事項に耳を傾けるのと同時に、この後の予定を思って密かに深呼吸をした。
「あれ? なんか門のとこ、ちょっとした人だかりできてる」
「ほんとだ。何だろうね」
あかりが靴箱で上履きからローファーに履き替えていると、友達二人が外を見て首を傾げていた。
「どうしたの?」
「ほら、あそこ。いつもと違う」
そう言われて指された先を見てみれば、たしかに人が集中している場所がある。これから通る予定の正門だ。
どうやらその外側に注目を集めるような何かがあるらしい。
「なんかおもしろそう! あたしちょっと先に行って見てくるね!」
友達の一人が、宣言と同時に生徒用玄関の前に数段だけある階段をぴょんと飛び下りる。そして壁に沿って細長く設置されている駐輪場と校舎の間を、人にぶつかりそうになりながら走り抜けていった。
「ああやって人だかりってできてくんだよね」
「あはは……。どっちにしてもあそこ通らないと帰れないし、私たちも行こっか」
残ったあかりたちも門の方へ歩き出す。
途中の道も、何事かと留まって情報を集める生徒たちが点在していて、普段より混雑していた。
「なんか外にイケメンがいるんだって!」
「さっき三年生が話しかけて玉砕したってホント?」
「なんだよこの騒ぎ。邪魔くせー」
「卒業生かなぁ」
「先生呼んでくる?」
「どうしよう、わたしも話しかけてみようかな」
「部活だるー」
歩いているだけなのに、漏れ聞こえてくる声のおかげで状況が見えてくる。
そこで、先に行っていた友達が戻ってきた。
「おーい、わかったよ!」
「おかえり。イケメンどうだった?」
「すごかった! 今も何人かの女子に話しかけられてたよ。でもなんかずっとスマホいじってて、待ち合わせでもしてるのかなって思った」
「ふうん。ま、わたしたちには関係ないか。あかりは約束の時間、何時だっけ?」
「四時半だから……あと一時間ないくらいかな」
「明日はわたしがバイトだからなぁ。なかなか合わないね」
そうだね、と返事をしながら、立ち止まる人を避けて学校の外に出る。
少し人は多いものの、通れないと言うほどではなさそうだ。
「お、噂のイケメン発見。あれは……うん、想像以上だわ」
感心したように言う友達につられて、あかりも何気なく目をやろうとする。けれど、その前にポケットに入れていたスマホが震え出したため、すぐに意識はひびの入った画面に向いた。
(! 静くんだ)
それもメッセージではなく、着信。
どうしたのだろう。今日あかりに予定があることは、事前に伝えている。何か急ぎの用事だろうか。
あかりは友達に断りを入れて、歩きながら通話アイコンをタップし、スマホを耳にあてた。
「もしもし、静くん?」
『もしもし』
「……あれ。なんか賑やかなところにいるね」
あかりのいる場所と同じくらい、電話の向こうからも人の声がする。大学か渋谷辺りにでもいるのかもしれない。
『うん。あかりは今どこ?』
「え? 今は学校出たとこだけど……どうして?」
『……ああ、見つけた』
「えっ?」
周囲がざわつき、通話が切れる。
「もう終わったの?」
「終わったというか、切れちゃった。かけ直してみ――」
「あかり」
後ろから名前を呼ばれて、あかりは考えるより先に足を止めて振り向いた。他の音にかき消されてもおかしくないほどの大きさの声に、強い引力を感じて。
「……!?」
幻だろうか。
ここにいるはずのない人の姿が見える。
騒ぎの中心だった場所から、生徒たちを慣れたように躱して近づいてくるのは――静だった。
「え、しず、ええ!?」
「よかった、会えた」
ふわりと浮かぶ優しい笑顔に、それを見た人たちが息を呑む。
あかりももちろん頬を染めた。
「なん、」
「ちょ、あかり! このイケメンと知り合いなの!?」
「え、あ」
「お迎え!? もしかして例の彼氏!?」
「こら。あかり今どう見ても混乱してるんだから、手加減しなさい」
あかりは友達に話しかけられたことで、やっと注目を浴びていると気がつく。それが、驚いて回転の遅くなった頭をさらに鈍らせた。
「ごめん、いきなり来て。……そちらは友達?」
「はい、あたしたち一年の頃から同じクラスです! お兄さんは、あかりの彼氏ですか?」
「うん、そう。はじめまして」
「やっぱり! はじめましてー、お会いしたかったです!」
「たしか、シズカさんでしたよね。七月ごろ、あかりが熱出した時はどうも」
「ああ、あの時の。こちらこそ、その節は連絡くれてありがとう」
高校生の静のことを話していた友達と、大人になった静が会話している。
(あれっ、そういえば私、静くんが同い年だって二人に言ったっけ……?)
これまでもできるだけ静という人物像はぼかしていたと思うのだけれど、ほんの数日前まではあかりだって彼を高校生だと認識していた。どこかで年齢に触れていてもおかしくない。
そういった前提が食い違えば、二人の中でこれまでのあかりの話と辻褄が合わなくなってしまう。
そんなあかりの焦りとは裏腹に、静はいつも通り無表情で受け答えていた。きっと静もその程度の想像はしているはずなのに、どうしてそんなにも冷静なのだろう。
さすが主人公というべきか、心臓が強い。
「どういたしまして。あの日、シズカさんを呼ばなければクラスの男子にあかりを送ってもらうところでしたよ。危なかったですね」
「!?」
にっこりと友達が笑う。
事実と異なる上、どこかトゲを感じるのは気のせいだろうか。
「静くん、ちが――」
「それにあかりに彼氏ができてショック受けてる男子結構いますよー。特に一年以上前から片想いしてる、サッカー部のエースとか」
「ちょっ」
「わたし達もあかりが騙されてるんじゃないかって心配してたので、修学旅行の時に発破かけたかいがあって嬉しいです」
「……っもう! 二人とも!」
気のせいではなかった。少なくとも一人はわざと尖った言い方をしている。
それが心配からきていることも、配慮して周囲に聞こえないよう声を抑えてくれていることもわかっている。
けれど、別れを告げて待たせたのはあかりの方なのだ。
(しかも、五年も……。でもそんなこと言ったら私が小学生になっちゃうし。うう、どう弁解したら)
それにいくらなんでも話を盛りすぎだ。
熱を出した日は当の友達が早々に断ってくれたし、サッカー部の男の子とは修学旅行以来まともに話してもいない。もっと言えば一年以上前からかどうか、あかりですら知らないのに。
あかりは静を誤解させたくなくて、違うのだという思いを込めて首を振った。
静は――ただ、微笑む。
「じゃあ、牽制に来て正解だったかな」
ふわりと、静があかりを軽く抱き寄せる。
急な静の熱と匂いに驚いたあかりは、一拍の後、距離の近さを理解してぶわっと頬を紅潮させた。
多くの視線まで感じて、友達の反応すら見られなくなる。
「僕の方があかりに夢中なんだ。他の男に渡したくないから……学校ではこれまで以上に、よろしく」
ちゅ、という音とともに頭に何かが触れた。
黄色い声が上がり、何をされたのか考えるより先に精神が限界に達したあかりは、ぐいと静の胸を押し返した。
「――あの、二人ともごめん! また明日説明させて!」
そして逃げるように、静の手をとって、駅へと走り出したのだった。
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