8.静と家族3
「おい待て待て。それはまずい」
あかりの目に光るものを見つけた詠史は、答えに満足すると同時に非常に慌てた。
いくらからかうのが楽しくても、女の子を泣かせるのはアウトだという認識は辛うじてある。素早く数枚ティッシュを引き抜くと、あかりに押しつけた。
(こういうところも、似てる)
あかりは初めて静に会った時に、ハンカチを貸してもらったことを思い出した。二人とも、女の子が泣いているのは放っておけないのだ。
ちらちらとキッチンを気にして落ち着かない様子の詠史を和まそうと、その話を口にしようとしたところで――ガチャ、と少々乱暴にこの家のドアが開く音が聞こえた。
(あれ? 静くん、はまだキッチンにいるはずなのに。誰だろう)
まさか鍵をかけ忘れて不審者が入ってきたのでは、と焦ったあかりが振り返って詠史の顔を見ると、彼は楽しそうにリビングと廊下を仕切るドアを眺めていた。
その間にも足音はまっすぐこちらへ向かってきている。
そしてとうとう、バン、という大きな音とともにその人物が現れた。
「ちょっと、オッサン! 鬼ババに指示したの絶対アンタ…………誰これ」
あかりと同じくらいの歳だろうか。静の涼しげな格好よさとは方向の違う、どちらかと言うとかわいらしい顔立ちのイケメンが、不機嫌そうに声を荒らげている。
その男の子はどう見ても顔色が悪く、最初は感情のままに――恐らく詠史に対して――文句を言っていたけれど、その手前で驚いているあかりが目に入って眉をひそめた。
対する詠史はまったく動じず、あかりを紹介している。
「静の愛しの彼女だよ」
「…………まさかそのために僕、今まで鬼ババに連れ回されたとかじゃないよね」
「あったりー。いや、やっぱ感動の再会を邪魔したくねーだろ?」
「ふっざけんなオッサン!! 僕昨日の昼から今までほぼ休みもなかったんだけど!?」
口を挟む隙もない。
詠史の煽るような態度のせいで、男の子はさらにヒートアップしていく。
「まあまあ、レストアラーのエースなんだからそのくらい余裕だろ」
「!? ちょ、それ人前で……っうわ!」
昨日の昼から何があったのかはわからない。とにかく疲れ切っていたらしい彼は、詠史に近づこうとして、ドア近くに置いてあったあかりの荷物に足を引っ掛けた。
それでも身体能力が高いのかなんとか転ばないように数歩耐えるものの、よろけた先にいたのは――あかりだった。
「うわっ」
「ひゃっ!?」
あかりは考えるより先に手を伸ばす。けれどもちろん勢いのついた自分より身長の高い男の子を助けられるほどの力はなく、結局一緒にソファへと倒れ込んでしまった。
あかりを、押し倒す形で。
「ごめっ…………ぐう」
男の子はすぐに上から退こうと一回力を込めたのに、横になったせいで限界を迎えたらしい。そのまま寝入ってしまった。
「あああの、ど、どうしたら……っ」
知らない人に乗っかられた衝撃と重みで硬直するしかないあかりと、馬鹿笑いする詠史。
そこに様子を見るためか、静が顔を出した気配がした。
「…………は?」
部屋の惨状を見た静は、理解と同時に驚くほどの速さでソファに近づき、男の子の首根っこを掴んで横に転がした。
(えっ)
下からゴン、と痛そうな音がしたのに、気にする素振りすら見せず優しくあかりの体を起こすと、怪我がないか確認してくれる。
あかりには丁寧な分、落とされた男の子が少しかわいそうだ。
「あ、ありがとう。でもその、もうちょっと優しくしてあげた方が」
「ごめんあかり。ちょっとこれ置いてくる」
そう言って、怖い目でこれと呼んだ男の子の足を掴んで引きずっていく静と、引きずられているのにまったく起きる気配のないもう一人がリビングからいなくなる。
ただでさえ混乱しているあかりは、何も言えずに後ろ姿を見送った。
(あ、エプロンしてる)
今さら気がついた。かわいい。
そんな、頭が働いていないあかりの後ろでやっと笑いがおさまってきたらしい詠史は、「あれ、深澄な」となんでもないことのように言い放つ。
「みすみ……って、ラスボスの名前ですよ!?」
「そーそー、ラスボス! あの時の少年はいまや成長して、あかりちゃんの一個下なんだよな」
心底楽しそうな詠史に、あかりは二の句が継げない。
ゲームの最後、泰介と努を倒した後に出てくるコーラーで、なんと主人公のリンク相手の一人である。
まだ小学生の彼は、預けられている施設に帰りたくないと、決まった曜日に渋谷の駅に立っている。最初のイベントでは主人公が通りがかると、駅員に話しかけられていた深澄が静をお兄ちゃんと呼んで演技をするのだ。
それが現実にあったかはわからないけれど、エンディングでは彼は罪を背負って生きることになる、という会話を誰かがしていただけだったはず。まさか五年経った今、自由に家を行き来する仲だとは。
「そんで、俺の息子二号で、静の弟一号」
「! ……一緒に暮らしてるんですか」
そういえば敵対していたコーラーについては、昨日の説明で本部預かりになったとちらりと聞いたかもしれない。他にも気になることが多すぎてそこまで触れられなかったのだ。
静と似た境遇の、小さな男の子。
彼にも帰る場所ができていたのだと思うと、無意識のうちに笑みが浮かんでいた。
「そっか。静くん、家族が増えたんですね」
あかりの様子を見た詠史は、一度目を丸くしてからまた笑い出した。
「なんだよ、ホント全然心配いらねーな」
「え? 心配ですか?」
「いや、なんでも。で、いつ結婚すんの?」
ぴしり。
流れるように付け加えられた単語に、あかりはしばらく固まった後、意味を理解した。
「けっ…………!?」
一気に熟れたトマトのような顔色になったあかりを、詠史がいつもの笑みで見つめる。
「なに、まさか約束するって言った舌の根も乾かねーうちに、静のこと捨てる気か?」
「それはないです!」
「てことは行き着く先は結婚だろ。ちなみにうちはいつでも大歓迎だから」
「う、ううう」
まだ付き合い始めて一日しか経っていない上、高校生のあかりになんてことを聞くのだ。頬に手を当てて少しでも冷やそうとするものの、効果は薄い。
いつもこんな風にからかわれているのかと思うと、無表情の静があれだけ感情を表すようになったのも納得だった。
「こら、何あかり苛めてんの」
詠史の方を向くあかりの後ろから、深澄を置いてきたらしい静の声がした。
あかりは助かったという喜びと同時に結婚という言葉を意識してしまい、せっかくのエプロン姿を見られずにうつむいてしまう。
「苛めてねーって。ただちょっと将来のビジョンを確かめようとだな」
「だいたいそういうことは男の僕から言うものだから。叔父さんは報告の時に聞いてくれればいいよ」
「……っ!」
会話を聞かれていた。それに報告、ということは、静の中ではすでに持っていた考えなのだろうか。
頭が沸騰しそうになるあかりの肩に、前触れもなく静の手が触れ、思わず過剰に体を跳ねさせてしまった。
「あか――」
「ぷは、だめだやべぇめちゃくちゃおもしれー! 俺飯食いながら作業すっから、出てくるまで話しかけんなよ」
「……ん。ご飯はもうできてるから」
「おう、ご苦労」
んじゃとっとと部屋行け部屋、と立ち上がった詠史にリビングから追い出され、そのまま静の部屋へと移動する。
昨日も来たはずなのに、あかりは初めて入るくらいに緊張していた。もちろん先ほどの会話を引きずっているからだ。
「えっと、あの、は、早かったね! シチュー作るの、もっと時間かかるかと思った」
「ああ、うん。いつも叔父さんが思いつきでリクエストしてくるから、早く作れるレシピを集めてるんだ」
「そ、なんだ……」
もっと普通に話したいのに、目は泳ぐし顔もきっと赤いままだ。
変に思われたらどうしよう。いや、絶対に思われている。
うろたえるあかりに、静は耳元へ口を寄せて言った。
「あかり。正式に付き合い始めたばかりだけど、二人の未来のこと、真剣に考えてるから。あかりも覚悟しておいてね」
覚悟とは一体何のだろう、と心臓を跳ねさせたけれど、静はあかりの返事を聞く前に「ご飯持ってくるから座ってて」と言い残して、部屋を出て行ってしまった。
静お手製の鶏とキノコのクリームシチューは、絶品だった。
あかりはまたもや感動しながら完食し、その後土曜日に話しきれなかった細かい部分も聞くことができた。
「じゃあ、好きな色は?」
「青と白……あと淡い色がかわいいなって思います」
「ピンクとか、水色とか?」
「うん。ほんのり色づいてるくらいのは特に。静くんは?」
「僕も青。服とか小物ならモノトーンも選びやすいかな」
今は、静の希望でこれまで口にしないよう気をつけていた基本的なプロフィールや好みを教え合っているところだ。
ご飯を食べてからの静は多少の接触はあれど、あかりが恥ずかしくてショートしてしまいそうなことはしないでいてくれる。おかげで普通に話せるようになって、とても助かっていた。
「そうなんだ……。静くんの御守りの色が青なのも、好きだから?」
「あ、いや。あれは僕の使うメインの属性が水だからみたい。時間の停滞でふらふらしてる素養持ちを見つけると、本部に連れて行って心理テストみたいなのをさせるんだけど、その結果で覚醒した時の属性の傾向がわかるんだって」
「え! レストアラーになる前なのに?」
「うん。例えば、ゲームで言う綾人の主人の雑賀がレストアラーになってない素養持ち。あの人が覚醒したら、たしか緑だったかな」
雑賀といえば、三番目のボスであるサイズを喚び出したコーラーで、仲間キャラの綾人が仕えている人物だ。たしかに時間の停滞でも動けていたのだから、彼も素養持ちということになる。
あの事件以降、綾人との会話中に少し触れる程度しか登場しなくなる彼は、もし覚醒型コーラーに目をつけられていたら敵になっていたかもしれない、とネットでも噂されていた。正直すっかり忘れていた。
「蒼真くんも緑だよね。同じ回復系?」
「風だと思う。大体その人の好きな色と似てることが多いから、何かしら関係はしてるんじゃないかって言われてる」
「へええ……! おもしろいね」
主人公たちの属性に風はなかった。実際はもっとたくさんの種類があるのだと思うと、見られもしないのにわくわくしてしまう。
一応すでにいくつかの質問に答えたものの、こうして脱線してしまうのでなかなか進まない。わかってはいるのだけれど、静の話が楽しすぎてもっと深く聞きたくなってしまうのだ。
聞かれる側だったはずなのに、すぐ聞く側に回ってしまって申し訳ない。
「僕もそこまで詳しくないけど、雑賀みたいな人たちが本部に出資してくれてるらしいよ」
「ええ!? そうなんだ」
「雑賀の場合、レストアラーになるのを綾人が反対してるのもあって、無理に覚醒したいとは思ってないみたいなんだ。だから代わりにってことなんだろうね」
なるほど。
大切な主人が危険な戦いに巻き込まれるのを避けたいと綾人が思うのは当然だ。
そして大事な親友が人知れず化け物退治をしていると知れば、サポートしたいと考えるのもまた理解できる。あかりが静のパラメータアップを手伝いたかったように、雑賀は資金での援助をしたのだろう。
「そのおかげか、住人を送り還すのに貢献すると本部からバイト代がもらえるんだ。結構高額だから、高校の時は特にバイトしてなかったよ」
「あ……」
ゲームの中では、好きな時にできてしかも日払いでお金をもらえるバイトがいくつか用意されていた。現実では派遣でもない限りなかなか難しい雇用契約だとは思っていたのが、実はレストアラーとしての活動自体がバイトにもなっていたとは。
「そっか。だからあの時……」
あかりは記憶を辿る。バイトの話をしたのはいつだっただろう。
たしか――
「あかり。そういえば来月、試験だったよね」
「え? あ、うん」
「勉強でわからないところ、ない? 今度は僕が教えたいんだ」
先ほどまで考えていたことが、ぱっと霧散する。
(静くんが、勉強を?)
そうだ。昨日どこの大学か教えてもらった時、かなり有名な大学で驚いたのだった。
当然偏差値も高く、勉強をかなり頑張ったのだろうと推測できる。パラメータなんてない現実なら尚更だ。
「僕が前にあかりよりできるようになりたいって言ってたの、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
いろいろあり過ぎてだいぶ昔のことのように感じてしまうけれど、あかりにとってはその日からまだひと月程度しか経っていない。しかも、静にはもうあかりが必要ないのだと実感した日でもある。そう簡単に忘れられるはずがなかった。
「好きな子に教えてもらうのも悪くないけど、やっぱり教えてあげられる男になりたかったんだ。だから結構頑張った」
「……そんな風に、考えてたんだ」
「うん。おかげで希望した大学にも行けたし、家庭教師のバイトができるくらいには勉強が得意になったよ」
「かていきょうし!」
「高校を卒業して、さすがにもうそんな機会は来ないだろうと思って諦めてた。でもあかりが今高校生だって知って、今度こそ夢が叶うかもって勝手に期待してたんだ。だから僕に頼ってくれたら嬉しい」
あかりに勉強を教えるのが夢、だなんて。
パラメータ上げの手伝いを目指していた手前、問題が解けないところを見られるのは少し恥ずかしい気もする。もし高校生の静に言われていたら、ゲームだと信じていたあかりは自分の役立たずっぷりに落ち込んでいたのではないだろうか。
(でも今は、ゲームは関係ない)
それで静が喜んでくれると言うのなら、断る理由を探す方が難しかった。
「じゃあその、静くんが忙しくない日にお願いしてもいい、かな? 実は最近、ちょっと集中できてなくて」
「! もちろん。いつでも空ける」
「無理はしないでね? 受け持ちの生徒さんだっているだろうし」
「気にしないで、もういない。あかりが戻ってくる日がわかった後、就活を理由に引き継ぎして辞めてる」
「……用意周到、だね」
聞けば大学すら単位をほぼ取り終えていて、ゼミのために週一回行けば良いだけにしてあると言う。
ここまで徹底していると、さすがにあかりのためと言って何かを犠牲にしていないかが気になった。
あかりはそっと、昨日の夜のように静の表情を窺ってみる。
――返ってきたのは、あかりが好きで仕方ないというとろけた笑みだった。
心臓に悪いので視線は落とした。
(むしろ嬉しそう……)
あかりはにやけてしまいそうになる口元を隠し、そういうことなら今はただ静を長年苦しめた寂しさを埋めることに集中しようと決めた。
それに来年の四月からは静の仕事が始まってしまうのだ。二人が学生でいられる期間は残り少ない。あかりだって、一緒にいる時間を増やしたかった。
(……静くんは私がいない間、誰とどうやって過ごしてきたんだろう)
大学へ行って、家庭教師のバイトをして。
蒼真たちとは今も仲が良くて、深澄という弟が加わった家族三人は絆を深めていて。
あかりの知らない静が、たくさんいる。
(私も静くんの五年を、隣で見たかったな)
「あかり、どうしたの?」
「え? あ、なんでもないよ」
言えない。
苦しませたあかりが、それを言ってはならない。
あかりは欲張りな胸の内が静に伝わらないよう、精一杯普通の笑みを浮かべた。
Copyright © 2020 雨宮つづり All Rights Reserved




