6.静と家族1
「おう、あかりちゃん。元気?」
「え、あ、こんにちは……?」
よ、と道端で手をあげて軽い挨拶をしてくれるのは――誰だろう。
ラフな服装で薄く笑みを浮かべている、父よりは幾分若そうな男性が、反対方向から歩いてきたあかりを見てわざわざ立ち止まった。
バイト先の客の一人だろうか。見たことがあるような気はするものの名前が出てこず、あかりは愛想の良い笑顔を貼りつけながらも内心で冷や汗をかいた。
――あかりは今、昨日もお邪魔した静のマンションの目の前にいる。
土曜日と同じく外では話しにくい内容になるという理由で、静が再び場所を提供してくれたのだ。その言葉に甘えて目的地を決定したまでは良かったのだけれど、なんと静は「すぐに準備して迎えに行く」と続けたのである。
もちろん、断った。
起きたばかりの静を急かしたくなかったし、単純に往復は手間だろう。もう道は知っているのだから、あかりが向かえば良いだけだ。
そう説明したのに、なぜか静の方が難色を示した。そのため、納得させたくてつい「私が行った方が早く会えるよ」と口走ってしまい、あかりが準備をすでに終えていることを伝えている手前、「じゃあすぐ出られる?」と返されて否定できるはずもない。
そうして電話後すぐに家を出た結果、マンションの下に着いたあたりでこの男性に親しげに話しかけられた――わけだけれども。
(どうしよう、お客さん? それともお母さんの知り合い……ううん、中学の友達のお父さんかも)
名前まで呼ばれてしまった以上、面識はあるのだろう。
こんな時、素直に覚えていないと白状すべきか、相手が名乗ってくれるのを待つべきか、そもそも迷う暇がないのが困る。
そこに、割って入る声があった。
「叔父さんはあかりとは初対面でしょ」
そう言ってマンションから出てきたのは、呆れた顔をした静だった。
「! 静くん」
「あかり。来てくれてありがとう」
静はあかりに目を移した途端、嬉しそうに表情を和らげる。
――格好いい。
陽光を浴びる姿が昨日よりずっときらめいて見えて、あかりは一瞬目が眩んだ。やはり実物の破壊力は凄まじい。
あかりはぼうっと見惚れてしまいそうになるのをなんとか堪えて、微笑み返した。
「そろそろ来る頃かと思って様子を見に来たら……何女の子怖がらせてるの」
「いやー、お前のことは一目でわかったらしいからさぁ。俺のこともわかるかと思ってな」
「無茶言うな」
静は男性を睨むと、まるで危険物から遠ざけるかのようにあかりの手を引いた。
(知り合い、みたい。しかもすごく親しそう)
蒼真を始めとする仲間以外で、これほど砕けた静を見られるとは思わなかった。
あかりは目を丸くして二人を見比べるのに夢中で、触れたままの手が恋人つなぎに変わったことには気づかない。
「つーかお前、表情違いすぎだろ。なんだよそのホットケーキをハチミツに浸したような顔は」
「? 何それ。してないよ」
「……自覚なしかよ。切り替わる瞬間がこえーっつの」
「そんなことより、ちゃんと自己紹介しなよ。あかり、この人が僕の叔父さん」
男性が頬を引きつらせているのにも構わず、静はあかりにさらっと重要事項を告げた。
「え……」
(おじさんって、あの『叔父さん』?)
ぱっと思い浮かんだのは、ゲーム画面。少しの猫背とくたびれた服を愛用する三十代の男性キャラクターが、主人公と話をしているシーンだ。
言われてみれば、特徴そのままである。
序盤から登場する主要人物の一人で、叔父というだけあってそっくりというほどではなくとも血の繋がりを感じる程度には主人公に似た容姿。適当で面倒くさがりでやや引きこもり気味な性格の彼は、少し乱暴な言葉遣いをする。
普段何をしているのかが謎に包まれており、主人公のリンク相手の一人だというのに、作中ではプライベートな面はほとんど語られない自由人だ。
(すごい、本物……!)
あかりの胸に湧き上がるのは、芸能人に会えた時のような感動だ。
『サイド レストアラー』に登場する大部分の人物が実在していると、頭ではわかっている。けれど、あかりにとってはやり込んだゲームでもあった。大好きなゲームのキャラクターだ、という感覚は、どうしたって生まれてしまう。
あかりは蒼真と会った時のように、目を輝かせて『叔父さん』を見つめた。
「んじゃ改めて。はじめまして、静の叔父の詠史だ。よろしくな」
「あ、は、はじめまして! 斎川あかりと申します……あれ?」
ぴしっと背筋を伸ばしお辞儀をしたところで、やっと静と手を繋いでいることに意識が向き、驚く。あかりが静の手を離さなかったのだろうか。無意識、怖い。
いくら大抵のことには動じない静でも、さすがに身内の前で女性とくっついているところを見られるのは恥ずかしいだろう。そう思って、あかりはさりげなさを装って手を解いた。
「ぶはっ」
「? あの、これからお家にお邪魔するところだったのですが、早すぎますよね。ご迷惑でしたら私時間をずらして――」
「あーあー、いいって。どうせ誘ったの静だろうし?」
なぜだか詠史は笑いがおさまらないらしく、静をちらりと見ては体を震わせている。
静はそんな詠史の視線を不機嫌そうに受けつつも、頷いた。
「くく、じゃあ気にすんな。あともっと楽にしなよ。俺がそういうの苦手だって知ってんだろ?」
「ええと……はい」
と答えて良いのだろうか。
ゲームキャラとしては知っていても、現実での彼は静から聞いた以上は知らないのだ。静のように、どこかしらにあかりの認識とのズレがあってもおかしくない。
ただでさえこの人は、すでに主人公を引き取ってくれた大恩人だけに留まらず、『サイド レストアラー』の制作者かつ、あかりの好きな人の父親的存在でもあるのだから。
その一つひとつの肩書きがあまりにも大きく、あかりは逆に緊張で身を硬くしてしまった。
「こっちも勝手にあかりちゃんって呼んでるし、俺のことは名前で良いぞ。静から散々話聞いてたから他人な気がしねーしな。それに去年あたりからは」
「長くなりそうだしとりあえず上がろうか、あかり」
詠史が話している途中で、静があかりの背を押して建物の中へと促す。良いのだろうかと詠史を振り返るものの、静は構わずエレベーターのボタンを押していた。
「おい置いてくなよ。ホントお前はあかりちゃんのことになると心が狭くなるな。さっき手振り払われたのだって俺のせいじゃねーだろ」
「……振り払われてはない。あと帰ってくる時間くらい連絡して」
「ああ? お前のために外泊してやったんだろ。この時間なのも、朝早く帰ってきてまだ居たらって気ぃ遣ってやったんじゃねーか」
「あかりの前でそういう発言やめろ」
(わぁ、すごい……主人公と叔父さんが話してる)
まさかこの二人の掛け合いを生で見られるなんて。
エレベーターで目的の階まで上りながら、ゲームよりずっと親しげな様子なのが新鮮で、あかりはつい傍観に徹してしまう。
「あー、にしても腹減った。静、帰ったら俺の飯な」
「食べてきてないの?」
「明け方までは飲んでたけど、本部でシャワー浴びてさっきまで寝てた」
「またそんな使い方して……。叔父さんはそろそろ多方面から怒られればいい」
「昨日は特別に許可が出てたんだよ。蒼真あたりはまだ寝っ転がってるかもな」
「本当に何やってるの……」
ゲームの二人はリンクイベントを進めていくごとに、叔父は『姉夫婦から距離を取らせるために引き取った子ども』から、主人公は『住む場所と役割を与えてくれた人』から、ほんの少しだけ『家族』という意識が芽生えていく。本編終了後も二人のペースで親子になっていくのだろうと思わせるストーリーで、あかりはその先によく思いを巡らせたものだ。
(静くん、信頼してる人にはちょっと雑な態度になるのすごくかわいい……)
大好きなゲームの先をこの目で見ている。
あかりは満ち足りたような、もっと見ていたいような、不思議な気分で二人を眺めていた。
そうしているうちに家に着き、静が鍵を開けてあかりを招き入れてくれた。
「どうぞ」
「お邪魔、します」
「うん。いらっしゃい」
中に入って通されたのはリビングだ。
昨日は静の部屋までしか入らなかったため、初めて見る生活感のある様子に内心興奮してしまう。きょろきょろしてしまわないように注意しなくては。
「ふいー、疲れた。よし、じゃ静は飯作ってこい。あかりちゃんはその間、俺がちゃーんともてなしといてやるから安心しろ」
静はあかりの荷物を預かって端に置こうとしていたけれど、早々にソファに寝転んだ詠史の言葉で動きを止めた。
「……ごめん、あかり。電話した時は叔父さんが帰ってくるとは思ってなくて。二人きりで嫌じゃない?」
「おい」
「もちろん、私は全然!」
「そっか。……いや、やっぱり叔父さんと二人は僕が不安だから、僕の部屋で待っ」
「あー、静。やっぱ俺シチュー食いたいわー」
「は?」
気のせいだろうか。
二人の間に火花が散った。
初対面のあかりですらわかるほどのわざとらしさにまみれた詠史のセリフは、わざわざ時間のかかるメニューを選んだように感じる。
しかし静は叔父の無茶振りには慣れたものらしく、氷のような視線を詠史に向けた後は大人しく「わかった」と頷いた。
「もちろんルーは使うなよ。静の手作りの方があかりちゃんも嬉しいよな?」
「えっ。ええと、私は……」
まるであかりも食べるかのような言い回しに、戸惑う。
そもそもお昼をどうするか、あかりたちはまだ決めていなかった。ここで「はい」と言ったら外に食べに行く選択肢を消してしまいそうで、答えに詰まってしまう。
(もちろん静くんの手料理がまた食べられるのなら嬉しい。むしろ外よりそっちの方が嬉しいくらい、なんだけど)
当たり前だ。あかりの人生で一番おいしかったものが何か聞かれたら、あの熱の日に食べたあんかけうどんだと答える。
けれど静がもし外食をする気だったなら、食べさせてもらう前提で話すのは気が引けた。
そんなあかりの葛藤を察したのか、静が優しく尋ねてくれる。
「あかりはシチュー、好き?」
安心させるような声だった。
あかりはほっと息をついて、今度は素直に頷いた。
「……好き、です」
「よかった。一緒に食べよう。嫌いなものとか食べられないものはある?」
「ないよ。ありがとう」
あかりの言葉に笑みで返事をした静は、詠史の方を向いた途端――いつもの無表情に戻った。
「じゃあ作ってくる。叔父さん、見えないからってあかりに変なことしないでよ」
「しねーよ! つか顔変わりすぎなんだよ!」
心の中で、あかりも全力で同意する。
もちろん詠史への態度は冷たいわけではなく、むしろ静にとっては通常運転なのだろうけれど、あかりへ向けるものと比べると落差が激しい。そして何より、静当人が無意識なのが恐ろしい。
「何言ってるの? ああ、あかりはここ座ってて。今飲み物持ってくる」
静は結局リビングのドアの近くにあかりの荷物を置き、ダイニングチェアを引いて座らせてくれた。そして一度対面式ではないキッチンに入って用意した飲み物を、一つはあかりの前に、もう一つは詠史のいるソファの前のローテーブルに置いた。
「あの、やっぱり私手伝った方が」
「いーからいーから。あかりちゃんは座ってなって。静はあかりちゃんのために一人でうまいもん作りたいってよ」
「言ってない。あかり、叔父さんが嫌になったらすぐ逃げてきて」
本気で心配している顔で言われ、あかりは目をぱちくりさせる。
「お前な。あんま失礼なこと言うなら品数増やすぞ」
「仕方ないだろ。そっちこそあかりに触ったら夜はにんじんステーキだから」
静はそう言い捨てて、キッチンへと戻っていった。
(仕返しが、にんじんステーキ……? か、かわいい……!)
これがこの家の日常なのだろうか。詠史といると、高校の頃から大人っぽかった静がまるで子どものようだ。
それが微笑ましくて、あかりはそっと相好を崩した。
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