29.夢の終わり
あかりは、静に教えてもらった住所と地図アプリのおかげで、彼の住んでいる家まで辿り着くことができた。
静は迎えに行くと言っていたけれど、あかりはどうしても静に迎え入れてもらう形にしたかったため、自分が行きたいとお願いした。
学園祭が終わった数日後の土曜日。
今日、あかりは静と決別するのだ。
「……いらっしゃい」
「こんにちは、静くん。お邪魔します」
初めて来たのに、見覚えのある景色。装飾された教室と違って、ここは間違いなくゲームで何度も見たと思えた。
聖地の一つだと喜びたい気持ちもある。ただそれよりもこれから話さなくてはならないことと、好きな人の家だという緊張であかりは震えそうになるほど硬くなっていた。
静は目を伏せ、厳しい表情を浮かべながらもあかりを導く手は優しい。好きだと言ってもらえたことが蘇って、中に入る時に赤くなってしまう頬を止められなかった。
(今日も、いつも通り格好いい。やっぱり、好き)
「あかり、こっち」
「あ、うん」
ショートブーツを脱いで、玄関の端に揃えて寄せる。その間に静はあかりの荷物を持ち、一番近い右側のドアを開けていた。
後を追いかけると、ゲーム画面そのままの部屋が広がる。
「座ってて。今飲み物持ってくるから」
「ありがとう。あの、お手洗いを借りても良いでしょうか……」
「どうぞ。出て左向かいにあるドアだから」
「うん、ありがとう」
あかりは教えられた通りの場所を使い、静よりも先に戻ってきた。
ベッドの横にローテーブルが置かれ、隣り合わせでクッションが用意されている。
あかりはさりげなく片方を向かいに移動させ、座った。
「お待たせ。……」
「お、おかえりなさい」
「……ただいま」
静は何も言わないものの、目があかりを責めているのが伝わってくる。
隣に座ってはあかりの心臓が保たないので、気づかない振りをしておいた。
「あ、えっと、叔父さんは今日はいないの? 挨拶をした方が」
「いないよ。二人きりがいいって言うから、出てもらった」
「え! い、いいのかな」
「大丈夫。気にしないで」
少し会ってみたい気もしたけれど、今日のあかりには時間がないのだったと思い出す。
目の前に置かれたお茶を一口飲んで、渇いていた喉を潤す。
「それじゃ、その。本題なんだけど」
「待って。僕から、いいかな」
テーブルの向こう側に座った静は、意を決して話し出したあかりを止める。一度体に力を込めたところで緩んだせいか、うまい具合に肩の力が抜け、頷いた。
「三日、言われた通りあかりの学校の学園祭に行った。蒼真と」
「……ありがとう」
「でも、二年三組の出し物はスタンプラリーじゃなかったし、あかりのことを聞いても誰も知らなかった」
ということは、あかりの世界と繋がっていなくても、あかりが通っているのと同じ場所に学校はあるらしい。まったく同じ学校かどうかはわからないけれど。
「僕はあかりを迎えに行ったことがあるし、学校から出てきたのも見たことがある。制服だって同じだ。だから、間違えたなんて絶対ない」
「うん」
「……あかりは、この数日みたいに自分の意思で僕の前から消えることができるんでしょ? 最初は五月の連休明けだった。それから何度かあかりと連絡が取れなくなったのも、あかりが原因だったんだね」
「うん。そうだよ」
最初から自分の意思だったわけではない。
けれどそれを今言う必要はなかった。
「その期間は、あかりに会いに行っても絶対に会えないんだ。家は別の人が住んでいて、学校には在籍してない。バイト先の人もあかりを知らない」
(家とバイト先にも探しに来てくれたんだ)
ゲームの世界と繋げていないのだ。あかりがいるはずがないし、あかりがいた痕跡もなくて当たり前だった。
静はそれを、どう思っただろう。
あかりのことを怖いと感じたのだろうか。
「ーー最初からずっと、少し変だと思ってた。会ったことがないはずなのに僕の名前を知ってたり、好みをわかってくれたりしてて。どこかで聞いたのかとも思ったけど、僕が引っ越してきたのはあかりと会う数日前だったし、転入した初日だ。聞ける人なんていない」
あかりがしてきた行動は最初から静にとっては不自然なものでしかなかった。
そのすべてに目をつむってくれていたのだと、あかりは理解する。
「普段からも、こう……僕のためになることしかしないなって思ってた。勉強もそうだし、遊びに行く場所もそうだ。まるで普通に遊ぶのが悪いことだと思ってるみたいに」
否定できない。
あかりはずっと、静のパラメータ上げに尽力していたのだ。ゲームオーバーにならないように、静が怪我をしてしまわないように。
デートだって、静には本当の恋人ができた時にしてほしかった。
「僕を知ってて、僕が何をしてるのかもきっと知ってる。ここにいるのに、どこにもいない。好きだと言ってくれるのに、好きだと言われたくない。僕はあかりが……わからない」
改めて言われると、めちゃくちゃだ。
静が混乱するのも当然で、このまま何も言わずにいなくなっていたら心にずっと重石として残ってしまったかもしれない。
「それに、あかりは時間の停滞にも時々出入りできるんじゃないの?」
「え?」
「一度だけ、見かけたことがある。すぐに消えたけど、間違いない」
あかりにとっても予想外の発言だった。
たしかに時間の停滞には二度入れた。その後はもう経験することがなかったから、素養もなくたまたまだったのだろうと思っていたのに。
どうしてそれを静が知っているのか。
「いつのこと?」
「……六月。僕らが通ってる学校とは別の場所だった。異形の攻撃で建物が崩れて、その後ろに君がいた」
覚えている。忘れるはずがない。
最初に偶然時間の停滞に迷い込んでしまった時だ。怖くて、それでも静が大丈夫なのか心配で、建物の陰から覗こうとしていた。
まさか見られていたとは思わなかった。
「やっぱり、僕らのこと、知ってるんだね」
「……うん、知ってるよ。異形のことも、静くんたちがレストアラーだってことも」
あかりの返事に、静が目を閉じる。
黙っていたことを怒っているのだろうか。それとも気持ち悪いと突き放されるだろうか。
ずき、と強く胸が痛む。
けれどこれでいいのだと、あかりは無理やり笑みを作った。
「ーーあかりは、コーラーの仲間なの?」
きょとん。
そんな音がしてしまいそうな表情を浮かべてしまい、慌てて引き締める。
「違うん、だね?」
なるほど。
あかりはまったく考えもしなかったけれど、言われてみれば怪しいかもしれない。
例えば、静に近づいたのはレストアラーについて探るため。
協力していたのは今の力量を測るため。
出かけたくないのは無駄な接触を避けるため。
時間の停滞で姿を見かけたのは泰介たちと同じ覚醒型コーラーであるため。
時間が経つにつれ会う時間が減ったのはもう会う必要がなくなったため。
そして、静を好きだと言ったのは、油断させるため。
他にいくつも説明できないことはあるけれど、断片的にその推理に近づく行動はしていたかもしれない。
「……もしそうだって言ったら、嫌いになってくれる?」
裏切られていたと思えば、静はあかりに間違った感情を抱くのを考え直してくれるだろうか。
可能性を想像した時点で絶望してコーラーになっていないのならば、その方面で勘違いしてもらった方が静のためだ。
けれど静の顔は、みるみるうちに歪んでいく。
「ならないって言ったよ。もしあかりがコーラーだったとしても、嫌いには絶対ならない」
嬉しい。
あかりは、静の背に縋って抱きしめてもらった時のことを思い出した。嫌わないでほしいと言ったのはあかりだったのに、今は逆を願っている。
そういえば結局デート代を返せていないな、と今さらどうしようもないことが頭をよぎった。
「……じゃあ、怪しいって思っててもずっと言わないでいてくれたのは、どうして? 条件に、私と関係を解消したくなったらいつでも教えてほしいって言ってたのに」
「あかりを手放そうって思ったことは最初から一度もなかったよ」
「え?」
「怪しいとか変とかそういうのはわりとどうでもよくて、あかりがそばにいてくれるかの方が大事なんだ。自覚はしてなかったけど、たぶん好きになったのはかなり早かったんだと思う」
「ええっ」
真面目な雰囲気だったのに、不意打ちを受けて頬が赤く染まる。それどころではないのに、喜んでしまう自分が嫌だ。
でも、いつの話だろうか。もし六月だとしたら、早すぎではないか。
「……そういう、素直なところが好きだ。あかりといると、言葉にしてくれなくても僕のことが好きなんだって伝わってきて、安心する」
静の微笑みに動揺している場合ではない。ないのに、心臓がうるさい。
「あかりが好きだよ。コーラーでもそうじゃなくても何でもいいんだ。ただ消えないで。これからも僕のそばにいてほしい」
決意のこもった眼差しが向けられる。
本当に静にとっては敵であるかないかは関係ないのだろう。
もしその手をとったとしたら、あかりはーー
(一生、いつ静くんと会えなくなるのか怯えながら暮らすことになる。一緒に過ごす時間が幸せであればあるほど、そのいつかが怖い)
静が、テーブルの向こうから表情を暗くしたあかりの頬に手を伸ばしたのが見える。
あかりはその動きが途中からスローモーションのように感じて、一度強く瞬きをした。それを拒否と捉えたのか、静はためらって、触れないまま手を下ろしてしまう。
(だめ。時間が、ない)
くらりと揺らぐ頭を手で押さえて、あかりは覚悟を決めた。
「不安にさせて、ごめんなさい。私はコーラーじゃないよ。異形を喚び出したりできないし、時間の停滞に入れたのも二回だけ。あとは認識もできないから」
「……うん、わかった」
コーラーでもなければレストアラーでもない。それなのにどうして詳しいのか、説明するには静たちをゲームのキャラクターであると言うしかない。
あかりは、それはしたくなかった。だから静が聞かないでいてくれるのがありがたい。
「それで、今日ね。静くんに私のこと、忘れてほしいってお願いしに来たの」
「っなんで……あかりが何者でもいいってだけじゃだめなの? どうしたら消えないでいてくれるの」
あかりの腕に、今度こそ縋る指が絡む。
この手を振り解かなくてはならないのだと思うと、あかりの胸は張り裂けそうだった。
(最初から、同じ世界の人間だったなら)
違う世界だったからあかりは静のことを知っていたというのに、叶わない願いが尽きることはない。
「私ね、生きてる世界が……違うの」
「え?」
「こうやって会いに来れてるのが特殊で、静くんの言う、私が消えてる方が普通なんだよ」
普段からレストアラーとして不思議な現象を体験している静でも、何を言っているのかわからないという顔をしていた。
無理もない。世界を無理に繋げているあかりにだって、半年経ってもわからないのだから。
「消えてたんじゃなくて、会いに来てたの。それで、今日が静くんに会いに来られる最後の日なんだ」
「ーーどうやって来てたの。方法があるなら、今度は僕が」
「だめだよ」
信じてくれるらしい。
すごいな、と素直に感じる。
「こんな話、嘘だって思わないの?」
「あかりはこんな時に嘘は言わない。それに証拠も見せてくれた」
そう、そのための学園祭だ。
来て確かめてもらわなければ、きっとこんなに早く話は進まなかっただろう。
「私、静くんには同じ世界の人と幸せになってほしいな」
「なれない、僕はあかりがいい。お願いだから、諦めないで……っ」
静の悲しそうな、悔しそうな、もどかしそうな目に、あかりはどこか穏やかな気持ちで微笑む。
「大丈夫。静くんなら、私なんかよりもっと大切にしたいって思える人を、ちゃんと見つけられるよ」
「そんなの無理だ」
「無理じゃないよ。だって静くんは、愛してくれるなら私じゃなくてもいいんだから」
あかりの発言に、静は息を呑んだ。
「なに、それ」
「静くんは愛してくれる人がほしかったの。そこに最初に好きだって言ったのがたまたま私だったから、好きだって錯覚しちゃったんだよ」
「……っ違う。たしかに悩んだことはあった。でも」
「もし私じゃない人が告白してたら、きっと静くんはその子だけを見て、その子のことを好きになったんじゃないかな。私にしてくれたみたいに」
ひどいことを言っている。わかっている。
けれど、静の気持ちをすり替えなければ。
あかりが消えたあと、本来好きになるべき人と幸せになってほしいから。
「そしたら、きっと私のことなんて目に入らなかったよ。それに静くんが次好きになる人はすぐ現れる。ううん、現れてる。その人を見つけて、大事にしてあげて」
「違う! 信じて、僕はあかりが好きだ。あかりじゃなきゃ駄目なんだよ……」
静があかりのそばに来て、強く抱きしめる。
あかりは抵抗できず、静にされるがままになった。
(ごめんね)
この人が好きだ。
目を閉じると、走馬灯のように四月から静と過ごした日々が蘇る。
好きだと言って断られたこと。
お試しならばと付き合ってくれたこと。
パラメータ上げの手伝いがしたくて会ってもらったこと。
髪の毛を触られて照れたこと。
御守りが無くなり不安でよく眠れなかったこと。
初めて手を繋いでくれたこと。
静の相棒を紹介されたこと。
異形を見て気を失ったこと。
会いたいと言ってくれたこと。
初めて抱きしめてもらえたこと。
水族館でデートして、キーホルダーをもらったこと。
看病してもらって、頬にキスされたこと。
会えなくて忘れられたのかと思ったこと。
痴漢から助けてくれたこと。
好きだと言おうとしてくれたこと。
形に残る思い出をくれたこと。
誕生日を祝わせてくれたこと。
これ以上ないくらい好きだと思っても、会うたびにもっと静のことが好きになる。
会えないはずだった静と会えて、あかりはずっと幸せだった。幸せな、夢を見ていた。
(静くん、好きになってごめんね)
あかりはそっと静の背に手を回す。
「あのね、これから静くんが立ち向かわなきゃいけないものがどんなに大きくても、静くんなら大丈夫なんだよ」
「……あかり、そばにいるって言って」
「もうだめだって思っても、だめじゃないんだよ。今まで積み重ねてきたもの、全部があなたの味方なの。仲間も、友達も、それ以外もみんなみんな」
「そうじゃない。好きだって、もう一回言って」
体を少し離して目を真っ直ぐ見つめてくる静は泣きそうな表情を浮かべていた。そこに親への愛情を求める幼い静が重なり、あかりは安心させるように笑いかける。
「忘れないで。静くんはみんなに愛されてるってこと。だから忘れて。私がいたってこと。今までお試しで付き合ってくれて、ありがとう。夢みたいに楽しかった」
「嫌だ、離れたくない。忘れたくない……っ」
「私がいなくなっても、絶望しないで、ね」
静はあかりの頬を包んで、存在を確かめるように額を近づける。こつんとぶつかって、熱を感じた。
彼の頬を伝う涙が、ただ美しいと思った。
(傷つけて、ごめんね)
本当にこれが最後だ。
二度と会わないのではなく、会えない。
なぜならその手段はもう手放してしまったから。
ーー静が何か言っているけれど、あかりの耳にはもう届かない。
時間だ。
体から力が抜けて、床に崩れるのを静がとっさに受け止めてくれる。
「ごめん、ね…………さよ、なら」
落ちていく思考で、それだけは最後に伝えなければならなかった。
たった半年程度会っただけの人間なんか、早く忘れて。
どうか、誰よりも幸せになりますように。
ーーこれが、斎川あかりと夜永静の永遠の別れだった。
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