2.御守りに込められた願い2
静という名前であることを改めて認めた彼は、泣くあかりをひとまず駅の近くにあるファストフード店に連れて行った。
朝で比較的人の少ない二階の角にあかりを座らせ、二人分の飲み物を持って戻ってきた。
「好みがわからなかったから、お茶にしたけど良いかな」
「も、もちろんです。ありがとうございます……」
涙は少しおさまったけれど、好きな人が目の前にいるという緊張で体を強張らせながらあかりは飲み物を受け取る。
「それで、斎川さんだっけ。さっきのはその、どういう……」
画面と夢でしか会えたことのない人が、あかりの名前を呼んで、喋っている。その衝撃に震えてしまう自分を心の中で叱咤して、なんとか口を開く。
「あの、私本気なんです。静くんから見たら怪しくて面倒くさい変なやつだと思います。でも、うまく説明できないんですけど、す……好きなんです」
支離滅裂だし答えになっていない。それはわかっているのだけれど、どう説明していいのか頭が追いつかなかった。
ずっと前から知っているなんて言ってしまえば、静にとっては親戚のところに来る前からという意味になってしまう。ゲームで静の地元がどこか語られなかったし、実際行ったこともない以上それは嘘でしかない。
そもそもこれは夢のはずだ。
二次元のキャラクターが三次元で生きているなんて、天変地異が起きても有り得ないのだから。真面目に考えてもきっと無駄なのだろう。
あまりにもいつもと変わらない朝だったから、こうして非日常が訪れるまで気がつかなかった。
けれど、そうだとしても、あかりは今こうして静と話せる機会を無くしたくなかった。
「その、ごめん。好きとか、誰かと付き合うとか、考えたことないんだ」
無表情の中にどこか困ったような雰囲気を滲ませて、静は言う。
(当たり前だよ。こんなの、普通断る。怖いし、お姉ちゃんみたいにはっきりした美人でもないんだから)
こうして少し会えただけでもすごいことではないか。昨日だって、駄目元で会えますようにってお願いしただけなのに、どうしてか叶った。
これで充分なはずなのに。
(笑わないと。笑顔で、話を聞いてくれてありがとうって言うんだ)
「静くん、あり、がとう。会えただけでも、うれしかっ……」
笑おうと思っても、体は正直だった。
どんなに心に押し込めても、悲しい。次から次へと止まっていたはずの涙がこぼれていく。
「あ、ごめ……っ」
慌てて顔をハンカチに埋める。
知らない香りがして、これも静に借りたものだと思い出した。
もうだめだ。
これ以上迷惑をかけられない。
ただでさえ学校に行く途中だったというのに、長い時間足止めしてしまっている。もしかしたらもう遅刻しているかもしれない。
「あの、もう、大丈夫です。学校、行ってください」
自分の鞄からタオルハンカチを出して、あかりは思い切って静に押し付けた。
「それ、ちゃんと洗ってます。まだ使って、ないです。汚しちゃったお詫びには、ならない、ですけど」
代わりに、と言ったところで、静が立ち上がる。
そのまま行ってしまうのかと思ってうつむいていると、ぱっとお互いのハンカチを交換された。
え、と思わず声を漏らして、鞄を持たずに歩いていく後ろ姿を目で追う。静はトイレの方へ向かっているようだった。
もしかして我慢させてしまったかとあかりが申し訳ない気持ちになっていると、静はトイレには入らず、その横にある小さな手洗い場でハンカチをしっかりと濡らし、きつく絞ってから戻ってきた。
「これ、目に当てて。少しでも冷やした方が良いと思う」
差し出されるままに受け取る。
静はもう一度席に座り、立ち上がる気配がない。そわそわと時間を気にすることもない。
心がふんわりとあたたかくなって、あかりは素直に目に静のハンカチを当てた。
(ずるい。こんなのもっと好きになるに決まってる)
「ありがとう……ございます」
あかりは言ってしまいたいことをすべて胸に押し隠して、小さくお礼を言った。
今、泣いた以外の理由で、きっと顔が赤い。
その様子をじっと見ていた静は、ぽつりと考えていることを漏らした。
「……僕のこと、好き、なんだね」
静は心底不思議だと思っているというトーンで話す。
「僕は、そういうのわからないけど。斎川さんが僕を本当に好きだと思ってくれてるんだなっていうのは、伝わった」
何を、どう言えば良いのか迷って、あかりは頷くだけに留めた。
「本当に付き合うんじゃなくて、その手前なら。良い、かもしれない」
「手前?」
「付き合うっていうのは、ちゃんと好きになってからするものだから。友達……いや、彼女とは違うか。ええと、うーん……」
眉間に少ししわを作って、静が考え込んでいる。
自分のことでこんなに悩んでくれるなんて。本当に、なんて優しい人なんだろう。
あかりは胸がいっぱいになって、少しの間言葉を失った。
夜永静という名前を付けられたキャラクターは、自分が愛されていた過去をあまり思い出すことができない状態で親戚の元へやってくる。
彼は両親に二度捨てられた。
異形がどこかに現れると、反転世界との境界が破れた衝撃で時間の停滞が起こるのだけれど、その間素養を持った人物は周囲の時間が止まった世界をさまようことになる。
きっかけが何だったのかは語られていなかった。けれど静の場合は小学生の頃だったらしい。
まだ幼い子どもがそんな恐ろしい経験をしたらどうするだろう。母も、隣の犬も、近所の人も誰も動かなくなる。
当然、静は泣き喚いた。
それでも時間は停滞したまま、静はひとりぼっちになった。
どのくらいそうしていたのか、静の母が声をかけてきていた。静が怖かったと泣きつけば、彼女はわからないながらも優しくあやした。
それが何回も続いて、両親は静がお化けの類を見ているのではないかと訝しんだ。
どうしてみんな止まっちゃうの、と泣く息子を、初めはかわいそうに思っていたはずなのに、どんどん気味の悪いことを言う何かに見えてしまう。
家だけでなく外でも同じことを言うそれは、周囲の同じ年の子どもたちからも煙たがられるようになり、その親からも変なことを言わないでくれと責められる。
両親は息子だったそれを疎ましく思った。
だから捨てた。
これが一度目。
育てることを拒否された静は母方の祖父母と暮らすことになる。
祖父母は優しかったけれど、祖父が病気になって祖母は介護に疲れていた。そこに子育てが加われば、体力のない祖母は次第に心を弱くしていった。
静は迷惑をかけないように、祖母から料理を習って負担が減るように家事を手伝った。
そんな新しい家でも、時間の停滞は同じように起こる。けれど元気のない祖母に迷惑をかけたくなくて、静は一人で恐怖をやり過ごすようにした。
静はそうして何度も何度も経験するうちに、周りが動かないことに慣れてさえしまえばそう怖いものでもないと思えるようになった。
静の祖父母は高校一年生の頃に揃って亡くなる。
祖母の方が一日早かったらしい。
お葬式で久しぶりに会う両親は、静を見るなり酷い言葉で罵った。絶対家に帰ってくるな、産まなきゃよかった、死ね悪魔、と。
心を殺してただ聞く彼を守ったのは、恐らく初めて会う母の弟、叔父だった。彼は姉の頬を叩いて暴言を止めた。
うち来い。
そうして二度捨てられた静は、叔父に拾われて越してきたのだ。
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