1.御守りに込められた願い1
あかりは体を震わせながら、目の前の小さなダンボールを見つめた。
斎川あかり様宛と間違いなく書いてあることを何度も何度も確認して、恐る恐る封を開ける。
ダイレクトメッセージをもらって本名と住所を記載して送り返してからも信じられず、発送しましたの連絡が来て飛び上がるほど喜んで、今日届くのを最早具合が悪くなりながら待っていた例のアレ。
あかりの一番好きなゲーム、『サイド レストアラー』の主人公が持つデザインの御守り。
インディーゲームであるがゆえに発売から二年が経ってもグッズ販売はなく、ファンが非公式に製作した物だけが密かに流通する現状。
そばに同じ趣味の友人がいないあかりは、そういった催しにも参加したことはなく、当然一つも持っていなかった。
そんなゲームの制作者が去年、突然一年ぶりにSNSで発信したかと思いきや、内容がまさかの応募者プレゼントだったのだから、それはもうネットの食いつきもすごかった。しかも限定一点の超レアもの。
加えてあかりの愛する主人公、静が使うデザインのグッズだなんて、絶対ほしいに決まっていた。
知ってすぐに応募して、締め切りからしばらくはいつ結果が出るのだろうと興奮していたのだけれど、数ヶ月も経てばそれは落胆に変わった。
コメント数は万を超え、比較的最初の方に呟いた自分など、すでに埋もれて見えていないに違いない。
大抵こういうものは発表は発送をもって代えさせていただきます、というのが定石なので、きっともう誰かあのゲームを愛する人の手元に送られたのだろうと思っていた。
それが今、目の前にある。
奇跡としか思えない。
「静くんの使ってた御守りだ……すごい、嬉しい、持ち歩けない」
御守りは、ゲームでは送還術師が各自支給されて持ち歩いているもので、異形が反転世界からこちらの世界に来ると起こる時間の停滞中に武器へと変わる。
時間の停滞というのは文字通り時間が止まってしまう現象のことで、普通の人には認識できない一瞬を、異形と素養持ちだけが活動できる。簡単に言うと戦闘パートの舞台だ。
暴れる異形を反転世界へ送り還すためにはまず弱らせる必要がある。レストアラーは手段の一つとして術――いわゆる魔法――を使え、御守りはその力を時間の停滞以外で間違って発動してしまわないようにする役割も持っていた。
似たものなら個人的に作って持っている人もいるかもしれない。けれど目の前にあるのは、正真正銘制作側から送られてきた公式グッズだ。
こんな貴重なものを外に持ち出して万が一紛失してしまったらと思うと、想像しただけで泣けてくる。部屋で大切に保管しよう。
(でも、今日くらいは……)
一緒に寝ても、罰は当たらないだろうか。
あかりは他のファンへの言い訳をいくつも思い浮かべながら、枕の下に御守りを入れた。
せめて夢の中だけでも、大好きな人に会えますように。
そう願って、目を閉じた。
◇◇◇
朝、あかりは簡単な朝食とお弁当を二つ作る。看護師をしている母と二人暮らしのため、大抵の家事をあかりがするのは中学の頃から当たり前になっていたからだ。
今日はあかりが高校へ行くために家を出てから母が帰ってきて眠る。生活リズムがなかなか合わないことを寂しいとも思うけれど、あかりが大学に行けるように夜勤を増やすと気合を入れていたのを思い出しては、自分も勉強と家事を頑張るぞという気持ちになれるのだった。
誰もいない家にいってきますを告げて最寄り駅までのだいたい十分を歩く。少し早めに出てこれたので、急がなくても余裕だろう。
時間通りに駅に着き、ホームから電車に乗る。朝のラッシュでぎゅうぎゅうになりながら、数分の遅れを謝る車内アナウンスを聞き流す。乗り換えのために降りて、目的のホームまで少し遠い距離を人の波に流されながら歩いた。
(昨日、夢に静くん出てこなかったな……)
当たり前か、と小さくため息をつく。
朝は忙しいので、御守りはとりあえず枕の下から本棚についている引き出しに入れ直した。母は休日になると、気が向けばシーツの交換をしてくれるので、見つからないように。
(もし会えたら、好きですって言いたかった。欲を言えば、好きって言ってもらえる恋人になりたかった)
たとえ都合の良い幻だったとしても。
画面の向こうにしかいない人に恋をすると、どれだけ想っても告白ができない。
また、なかなか周囲からの理解も得られないと知ったあかりは、誰にも教えていないSNSのアカウントに少しだけ気持ちを吐き出すことで、時折訪れる苦しさを抑えていた。
――いや、せっかく限定アイテムを手に入れたのだから、悲しむより楽しくなる想像をしよう。
本当に会えたら何を話すかなんてどうだろう。
時間軸的に、四月はまだレストアラーになる前か成り立てくらいだ。そのためネタバレは絶対禁止。登場人物にはなれなくても、パラメータ上げの手伝いくらいならできる気がする。
『サイド レストアラー』には攻略本がないので、攻略サイトが確立されるまではあかりも当然手探りでプレイしていた。
そこに異議はもちろんないにしても、放課後の行動によって最終的なステータスの値にかなり差が出るゲームだった。日常パートで上げられるパラメータが戦闘パートのステータスにも大きく影響することを、ゲーム初心者だったあかりはそこまで理解できていなかったのだ。
苦労はしたものの、レベル上げを充分にしていたおかげで無事一周目はクリアできた。その後周を重ねるごとに要領良くパラメータ上げをしてきたあかりが思うに、早くに上げておいた方が良いのは日常パートの試験にも戦闘パートの術の威力にも関わる知力だろう。ただ他の三つも大事な要素で、疎かにして良いものは一つもない。
場合によっては、ラスボスに挑むにはステータスが低すぎて直前のフィールドでレベル上げするしかなくなる、という悲しい体験談もネットで見たことがあった。
万が一にもそんなことになっては静が大変なので、是非ともあかりがサポートしたい。
そしてあわよくば静にありがとうと笑顔を向けられたい。ああ、想像した姿でさえも、世界で一番格好いい。
(この路線も、ゲーム中で静くんが学校行く時に使うんだよね)
乗り換えのホームは通勤通学の人たちでいっぱいになっている。毎朝の時間がそこまで苦にならないのは、ゲームに登場した聖地を通れるからだ。
わざわざ少し時間がかかる路線を選んでいるのは、その理由に加え渋谷を経由できて定期区間で遊びやすいことと、値段がこちらの方が安いからである。早生まれのあかりは先月やっと十六歳になったばかりなので、新学期に少し慣れたらバイトをする予定だった。
こんなことを考えているだけで時間はすぐに過ぎていく。
途中、ある駅名が聞こえて嬉しくなるのは、そこが静の通う学校があるという設定の場所だからだ。先ほどよりはひどくない電車の人混みで、制服を着た男女が次々と降りていく。
その中に彼を見つけられたのは、本当に偶然だった。
「――静くん!」
気がついたら、まだ乗っていなければならない電車を降りていた。
全身が沸騰してしまいそうなくらい心臓が激しく動いていて、たくさん走ってもいないのに息が上がる。
手が掴むのはある意味見慣れた制服の裾で、軽く引っ張られた人物は少し目を丸くして振り返っていた。
静だ。
そんな訳ない。
けれど、この人は静だ。
「……はい」
静と呼んで、応えてくれる。
こんな奇跡があるだろうか。
「好きです」
何も考えられずに口から出た言葉がそれだった。
その人のことをもっとよく見て確かめたいのに、溢れてくる涙のせいで輪郭がぼやけてしまう。
「大好きなんです。私を、静くんの彼女にしてください」
静と呼ばれて返事をした彼は、泣き止む気配のないあかりに戸惑いながら、そっと自分のハンカチをその赤い頬に当てた。
Copyright © 2020 雨宮つづり All Rights Reserved