17.熱に熱3
静が買ってきてくれたアイスも食べ終わり、好きなフレーバーはあかりがチョコ、静がモカだという話もした。コーヒーは苦いからそれほど得意ではないのに、コーヒー味の飲食物はおいしく感じるのだとか。実にかわいい。
ゲームの主人公は選択肢以外基本無個性である。静という男の子の話が聞けて、あかりは嬉しくなった。
それにしても静といられて浮かれているからなのか、学校にいた時よりも元気になったかもしれない、と思った矢先。ずしりと急に頭が重くなって、机にうつ伏せてしまう。
静はすぐあかりにベッドへ入るよう勧め、先ほどあかりから場所を聞いていた救急箱をとってきた。
「食べてすぐ横になるのは良くないから、これ背もたれにして」
二人が座る時使っていたクッションと枕を合わせて、あかりの背中に差し込む。さらに体温計も取り出して、脇に挟むよう手渡してくれた。
「静くん、看病慣れしてるね」
ベッドの上で楽な体勢になるよう調節してもらい、布団までかけてもらった。常備薬の風邪薬を三粒出し、飲むための新しい水も持ってきてくれる。至れり尽くせりとはまさにこういうことを指すのだろう。
ただここまでくると看病というより。
「祖父母……もう亡くなってるけど、二人のお世話もしてたから」
そう、介護である。
看病と言うとドキドキするのに、介護と言うと途端に色気がなくなる。
体温計は学校で測った時よりも数字が大きく、横から見た静はそれを元に戻してからテーブルの上を片付け始めた。
さすがに迷惑をかけすぎている自覚のあるあかりは、静に帰ることを提案するべきか悩んだ。捉えようによっては、帰れと言っているのだと思われてしまいかねない。
そんなつもりはまったく無く、あかりは静が良いならもっと一緒にいたかった。もちろん移らないようにマスクは着けておくけれど。
「食器洗ってくる。何かあったら呼んで」
「え、いいよ! あとでやるから、置いておいてくれれば」
「僕も食べたし、このままにするの気になるから」
言葉を選んでいるうちに、さらなる家事を率先して引き受けられてしまった。
もし体が元気ならばきっと奪ってでも止めたはずだというのに、その場合まず静はここに来ていないのだった。
(静くんともっと話したい……でも、ちょっと眠くなってきた)
あかりは一度トイレに起きて、眠気を飛ばそうと試みた。熱が上がってきたせいか歩くのもしんどい。ただ手を洗う時に鏡に映る自分の姿がぼろぼろだったことが判明し、内心絶叫して顔を洗い髪をとかしたおかげで少しだけさっぱりできた。
もう遅いような気もするけれど、好きな人の前では、できるだけきちんとした自分でいたい。
部屋に戻る際、キッチンに立つ静の後ろ姿が目に入る。あかりにとって、この家で男の人がそこに立つというだけで新鮮なのに、あかりに負けないくらい慣れた手つきに思わず見とれていたら、立ったままだというのにまたうとうとしてしまった。
どうして誰かの家事をする音は眠気を誘うのだろうか。
「あかり? 寝てないと」
「んー……」
キュッと蛇口を閉める音がして、手を拭いた静がまどろむあかりのそばに寄る。
部屋に促そうとする静の手は少し湿っていた。洗い物は終わったのだろうか。
ベッドにたどり着く前、眠ってしまいそうなあかりのために静はクッションを退かして枕を整えてくれる。あかりはお礼を言って布団に入り、閉じてしまいそうなまぶたと戦った。
「寝てもいいよ。帰る時、鍵はポストに入れておくから」
「でも、まだ……」
「ん?」
マスクをしていることもあって声が聞き取りづらくなったせいか、静があかりの顔に耳を近づける。縮まった距離に心臓が跳ねて、少し意識がはっきりとした。
「その、ごめんね。みっともない姿、見せちゃって」
「みっともない……? どこが?」
「髪とか、汗とか、ちゃんとできてないから」
布団から出ている部分だけは多少直せたけれど、いつもに比べたらひどいものだっただろう。かといって普段もメイクはほとんどしないので、静にはわからないかもしれないけれど。
「あかりはいつもかわいいよ」
「……初めて聞きました」
以前格好いいと褒めた時の静の気持ちがわかった。あかりも静に恥ずかしがる顔を見られないよう、マスクがあるのに布団を引き上げてしまう。
「水族館の時にも言ったと思うけど」
「あれは……ペナルティ、だったから」
過剰に褒めてくれたのは丁寧語を辞めさせるための作戦だったと、その時に言質はとれている。蒼真の助言に大いに踊らされて恥ずかしいので、静にはぜひ忘れてほしい。
「かわいいって言ったのは嘘じゃないよ。わりといつも思ってる」
デートの帰り道であかりが静に言ったことを、今度は静があかりに言う。
あの時は照れる静が衝撃的すぎたためにぽろりと本音を話してしまったけれど、言われる方はこんなにも恥ずかしいものなのか。
これまで静の行動だけでも充分動揺させられているというのに、言葉まで加わってしまったら、あかりは。
「今日もかわいい。風邪で弱ってると、あかりは少し甘えてくれるみたいだし」
「え、甘えてた……?」
「うん。電車で寄りかかってくれたの、嬉しかったよ。いつものあかりなら多分してくれなかった」
それはそうだろう。あかりは静の役に立ちたいのであって、甘えるなんて彼女気取りなことをしてはいけないのだ。
あれは、ただ、元気がなかったから。
「あと僕の料理を食べたいって言ってくれたのも。血縁以外に振る舞うの初めてだったけど、おいしそうに食べてくれてほっとした」
だって本当に、おいしかったから。
「ありがとう。いつもあかりがしてくれること、少しでも返せたかな」
何もできていない。
返せないのはーーあかりの方だ。
(すきです)
あかりは静に見られてはならないと、完全に布団に潜り込んだ。
今瞳を見られたら、そこに静への隠しきれない気持ちがあることを暴かれてしまう。そうしたら、熱に浮かされて、取り返しのつかないことを言ってしまいそうだった。
(すきになってほしいなんて、いっちゃだめ)
静の隣は、あかりでは駄目なのだから。
「あ、ごめん眠いのに話し込んで。もう帰るから、顔だけ出そう。そのままじゃ熱中症になる」
布団の外から声をかけられる。
どこまでも優しい静に、顔が赤いのはすべて布団のせいにしようと決めて、恐る恐る顔を出した。
「ほら、赤くなってる」
マスクのない部分に静の手の甲が触れる。
その温度はあかりよりずっと冷たくて、気持ちがよかった。
つい目を閉じてしまうと、忘れていた眠気に襲われた。
「あかり、寝た?」
小さな声がする。
あかりが世界で一番好きな声。
半分夢の中にいるあかりは、開いていない目元を緩ませた。
自分以外に誰かがいてくれるのは、一人の時とは比べ物にならないほど安心する。こうして具合が悪い時は、特に。
「ん……」
彼の声でおやすみと言われたらとても良い夢を見られる気がしたのに、お願いするための声が出ない。
「……困った、な」
(……?)
「僕は今日ずっと、緊張してたよ。久しぶりに会えて、部屋にまで入らせてもらって」
静の様子が、いつもと違う気がする。
今はどんな表情を浮かべているのだろう。見たいのに、目が開かない。
「なんだろう、この気持ち。あかりといると、初めてのことばかりで、戸惑う」
もしかしたら、静はもうあかりを眠っていると思い込んでいるのかもしれない。静の話が気になって、今にも沈んでしまいそうな意識を必死で繋ぎ止めているのに。
「どうしてそんなに、僕を信頼するの。僕といて嬉しそうに笑ってくれるの。君がそうやって、僕を肯定するから……」
(すき、だから)
あかりが会いに来られることがどれほど奇跡的なことなのか、静は知らない。そばにいられる時間がどれほど貴重なのかも。
だからこそ、あかりは静も静といられる時間も大切にしたかった。
「もっと警戒して。僕だってーー」
ぎし、とベッドが軋む。
あかりの上に影がかかって、明かりが遮られる。
着けていたマスクにあかりではない指がかかり、そっと下ろされた。
「ーー男なんだから」
ちゅ。
「……ごめん。おやすみ」
静はそう囁いてから、あかりの部屋の電気を消し、すぐに家から出て行った。
かちゃん、と鍵がポストから入れられた音がして、外の階段を下りる音が続く。
それもなくなって、部屋の中はエアコンの稼働音だけが響いていた。
(いま、の……え?)
そこでやっとまぶたを持ち上げたあかりは、静の唇が触れた箇所を手で押さえて呆然とする。
心臓が痛い。
この熱が上がっていたとしたら、確実に静のせいだった。
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