16.熱に熱2
「静、くん?」
「あ、電車来る。歩ける?」
目を丸くするあかりに、走ったらしく浮かんだ汗をシャツで拭いながら静が手を差し出す。目の前にあったからつい、くらいの気持ちでその手へ自分のを重ねると、意外なほど力強い腕に引っ張られた。
(異形と戦うくらいだから当たり前なのかもしれないけど、すごい力。男の子、なんだな……)
どちらかといえば細身の印象なのに、しっかり筋肉がついているのが伝わってきて、あかりは頬を染めた。
「あかり、熱上がってる? 席が空いてると良いけど」
そんなあかりの内心を知らない静は、素直に体調の心配をしている。
二人は到着した電車に乗り込み、平日の昼過ぎということもあって揃って座ることができた。
「あの、ありがとう。静くんはどうしてここに……」
「あかりの友達が、あかりに熱があるって教えてくれたから。迎えに」
え、とゆっくりした動きでスマホを取り出してみれば、履歴にはあかりがお願いした言葉も確かに打たれている。ただその後に友達ですという前置きと送ってあげてほしい旨が続いていた。
そういえば、クラスメイトに男手は足りていると言っていた。てっきりその場しのぎの嘘だと思っていたのに、本当のことだったらしい。
静も、こんなメッセージを受け取っては断りにくかったのだろう。
「ごめん、友達が他にも送ってたなんて知らなくて。急いで来てくれたの?」
「この時間の電車に乗ると思うって書かれてたけど、着いたらあと一分しかなくて。反対のホームから階段だけ走ってきた」
渋谷までは同じ路線なのだから途中から乗っても良かったのに、わざわざあかりのために普段使わない駅まで迎えに来てくれたのだとわかり、嬉しさが胸に広がる。
けれど心苦しい。約束がなくなったのだから静は他のことをしても良いのだ。
「ありがとう……でも、大丈夫だよ。まだお昼だし、友達と遊びに行っても」
「こんなに具合が悪そうにしてる子を、放っておけるわけないでしょ」
次の瞬間、静の手があかりの頭に伸ばされたかと思うと、「良い子にしてて」とその肩に向かって倒された。
◇◇◇
鍵を取り出すと、それを見た静の目がやわらかく細められた。シルバーの鍵に付けられたピンクのペンギンが、見覚えのあるものだったからだろう。
「じゃあ、買い物してからまた来る。少し鍵を借ります」
「はい……」
熱が上がってきたのか学校にいた時よりもさらにふらふらとするあかりをしっかり家まで送った静は、部屋に入らないで家主を中に押し込むと、鍵をかけてからあかりが教えた一番近くのコンビニへ歩いていった。
女性の部屋にそのまま上がるのは良くないという静の配慮のおかげで、あかりは緊張もプラスされて余計に熱が上がった気がしつつ、見られてはまずいものを隠し、いつ寝てしまっても良いように御守りを枕の下にセットすることができた。
(静くんが、この部屋に、入る……)
ゲームのキャラが、ゲームをプレイしていた部屋に来る。そして、好きな人が、自分の部屋に来る。
とんでもない状況だというのに、あかりはひとまず母の部屋のエアコンをつけて仕切りを一部開け、汗をかいて気持ちの悪い制服を脱ぎ、一番見られても大丈夫そうなパジャマを着てベッドに潜り込むという生活感しかない行動をしている。ギャップがすごい。
横になって布団にくるまると、暑いのに寒く、布団をかけたままでいたいような蹴り飛ばしてしまいたいような気持ちになった。本当に蹴ってしまうと静にだらしないと思われるので絶対にしないけれど。
それにしても、静は優しすぎではないだろうか。あかりはこの帰路ですでに三回は惚れ直しているような気がする。
熱のせいでうろたえる元気がなかったので、頭を引き寄せられて肩にもたれかかってしまった時もそのまま体を預けてしまった。まさしく役得だ。
今だってほしいものがないか確認してから買い物へ行ってくれているのだ。彼と結婚する人はきっと幸せになれるに決まっている。
そんなことをつらつら考えていると、インターホンではなくドアをコンコンと叩く音が聞こえた。もしあかりが寝ていた場合、起こさないようにということだろう。
そんな気遣いにきゅんとしながら、静が入ってくるのを待つ。玄関を鍵で開ける音がして、小さくお邪魔しますという声が聞こえた。
静は玄関を入ってすぐにあるキッチンから、どこかにいるあかりに話しかける。
「あかり、起きてる? アイス買ってきたから冷蔵庫開けていいかな」
「もちろん、なんでも自由に使っていいよ」
静が変なことをするはずがないと自信を持っているあかりは、その声に返事をする。小さくて聞こえないかと心配したけれど、静には問題なかったようで、お礼の後に冷蔵庫を開ける音が聞こえてきた。
「昼、何か食べた?」
「まだ、です。あ、静くんも食べてないよね。何か用意……」
「あかりが嫌じゃなければ僕が作るけど、どう?」
体はだるくても食欲はそれなりにある。送ってもらったお礼に何か作った方がいいかと体を起こすと、静がまた耳を疑うようなことを言い出した。
(静くんの手料理……!?)
「それとも、食べたくない?」
「食べたいです」
つい欲に正直に答えると、静がうどんでいいかと尋ねてくれる。それにもちろんと返して、あかりは耐えきれずにベッドに突っ伏した。
熱を出しただけでこんなご褒美をもらえるのならば、いつでも体調を崩していいと半ば本気で考えてしまった。
「熱いのでごめん。アイスもあるから、お腹冷やさないようにと思って。食べられそう?」
「なんの不満もありません……」
あかりの部屋にいつも勉強の時に使っている折りたたみのローテーブルを出し、二人分の食器を向かい合わせに置く。箸を並べて、冷蔵庫の中に作り置きしていたほうれん草のおひたしと、これだけでは男の子には足りないかと思いひき肉のれんこんはさみ焼きも皿に出した。
ーー静が。
(静くんて基本スペックも高すぎでは……?)
うどんはしいたけも入った卵とじになっていて、上にはネギを散らしてある。喉に優しいよう片栗粉でとろとろにしてあるところが細やかだ。
さらに準備をほぼ一人で終えたというのに、運ぶ時に見えたキッチンも綺麗に片付いていた。慣れない環境でここまでテキパキ動けるのは本当にすごい。
最後にあかりのおでこに冷却ジェルシートを貼り付けて、やっと静が座った。
「何から何までありがとう。すごくおいしそう」
「このおかずもおいしそう。いただきます」
「いただきます」
しばらく二人とも無言で食べ進める。暑くて汗をかくけれど、シートのおかげでそこまで辛くはない。少なめに盛ってくれているので完食も難しくなさそうだ。なにより、本当においしい。
お腹が満たされていくにつれて肩の力が抜けていき、ずっと思っていたことがこぼれる。
「家で誰かのご飯食べるの、久しぶり」
「家で誰かと食べるの、久しぶりだ」
ぽつりと、お互いの独り言が重なった。
目が合って、嬉しくて、笑う。
「うち、家事はだいたい私が担当してて、冷蔵庫に入ってるおかずは自分で作ったものしかないの」
「僕もそう。今一緒に暮らしてる叔父が家事できないから、全部やってる」
「叔父さんと一緒には食べないの?」
「あの人、いつも部屋にこもりきりだから。お腹が空いたらご飯の催促されるんだ」
今まで、あかりからは静のプライベートに触れることはほとんどなかった。気にならないと言ったら嘘になるけれど、答えづらいのを知っているし、静と一緒にいられるだけで良かったから。
同じように、静もあかりのプライベートに踏み込もうとしたことはなかった。単に興味がないのだと思っていたけれど、自分は言わないのに人に聞くのはどうなのかとためらっていただけなのかもしれない。
「料理上手なの、格好いい」
「あかりの料理、また食べたい」
またしても重なって、一瞬の間が空く。
(また食べたいって言われた!)
お互いに、言われたことで顔を赤くしている。
それを見られたくはないけれど、静は見ていたい。結果ちらちらと盗み見をしては時々視線が交わって、恥ずかしくなりうつむいてしまうのを繰り返してしまった。
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