腐敗
「本当だ、ここ腐ってる」
タクトの部屋のあるマンションの屋上で、フウは両手を広げて空気を目一杯に吸ったり吐いたりしていた。
「空気も淀んで、美味くないなあ」
タクトから貰った水色のスニーカーの片方を半分脱いで爪先に引っ掛ける。足を反らせてから、前へと勢いよく蹴り出し、爪先に引っ掛けてあった靴を、空へと放った。
「あーした、てんきになーれっ」
水色のスニーカーは、思ったより高くは飛ばず、二メートルほど先に落ちただけ。コロンと一回転し、止まる。
「ありゃりゃ、明日は雨かあ」
片足ケンケンで、斜めになったスニーカーのもとへと跳んでいき、クツを拾った。よいしょと足を突っ込んで履き直すと、両手を突きあげて伸びをしながら、ふわああと長い欠伸をする。
「んじゃあ、仕事は明後日からにしよう」
踵を返して、階下へと続くドアを開ける。
「なんか食べたい」
声にすると、お腹が途端に空いてきて、フウは階段を勢いよく駆け下りた。
タクトの部屋へ勝手に入ると、どかどかと中へ突き進んでいって、冷蔵庫をバカッと開ける。中から、チューブタイプの携帯食を一つ取って、フタを引きちぎった。
「うは、チョコレート味っ、まっずー」
「まずいなら食うなよ」
背後で声がして、フウは携帯食を口に咥えたまま、振り返る。フウはタクトを怪訝な眼差しで見、そしてふんっと顔を背けた。
「まずいけど、腹は減る」
「お前、本当に女子高生か?」
タクトは両手を腰に当て、呆れたように言う。
「お前の部屋、隣に用意したから」
「別に、ここでいい」
「普通にだめだろ、それは。ほれ、隣のカギ……」
タクトがふわっと軽く投げるが、フウはそれを無視してキャッチしなかった。ガシャリと音を立てて、足元へと落ちる。
「おいー」
タクトが近づいて、落ちたカギを拾おうとした時。
びゅうっと風が吹いて、カギが舞った。舞い上がったのだ。
その時、リーンと金属音が鳴った。
小さな竜巻のような空気の回転に巻き込まれて、タクトの前髪やTシャツがめくれ上がる。
「うわっ」
腕で、顔を覆う。重みのあるはずのカギが舞い上がったのはもちろん信じられなかったが、竜巻のような風が吹いたのに、フウが平然としているのも、タクトには信じられなかった。
視界に入るほどの高さまで舞い上がったカギを、パシッと手で掴むと、途端に風が止んだ。
怒ったような顔でフウが言う。
「同じ部屋でも、全然いいのに」
驚きながらも、タクトは言った。
「ばかお前、女子高生と同じ部屋だなんて、なんか間違いでもあったらなあ、」
その途中で、ばっさりと遮って、フウが言った。
「あんた好きな人いるんでしょ」
タクトが、言葉を呑んだ。
「知ってるよ、データに入ってるもん。だから、大丈夫でしょう」
言ってすぐに、カギをくるくると回しながら、フウは玄関へと進んでいった。
「でもまあ、いいや。あんたがそう言うなら、隣に引っ越してあげるわ。じゃあ、おやすみー」
玄関の重たいドアを開けて、フウは出ていった。遠くに、同じような重いドアが閉まる音が響く。
「……可愛くねえな」
タクトは呟いて、冷蔵庫からビールを取り出すと、ガショとプルタブを引いて、喉に流し込んだ。