片道
「そこ、気をつけて」
地面に大きな窪みを見つけると、タクトは指をさして、注意を促した。花々に覆われた花畑が続いてはいるが、ところどころにこうしてこげ茶色のでっかい穴があいている。
それは以前、ツキの重力の力によって、あけられた穴だ。時々降る雨が、その地面の穴に溜まり、昆虫たちがそこに卵を産みつけ、そして生命が誕生する。
外の世界の様子を確認したい、そんな一言から、タクトとハルは以前、ツキとフウが力を使うために立った海岸へと、足を向けていた。
「は、はい……っとと」
タクトに指をさされた大穴を、ハルはよいしょと大股でまたぐ。着地を少し失敗し、ぐらっと揺れるたび、タクトが手を伸ばして支えてくる。
「大丈夫?」
「……はい」
ハルは頷きながら、体勢を立て直した。
(こういうとこ、本当に優しい……それなのに、忍さんはどうして、そんなタクトの本質を見ないのだろうか?)
毎回、そう思っては苦笑する。
ハルから見て、タクトは紳士だ。顔もモデルの母親を持っているからか、決してイケメンとは言えないが、彫りは深く、まずまずの部類に入るだろう。
(タクトの、何が気に入らないのだろう?)
先を行くタクトの背中を見つめる。技術職だからか、筋肉はあまり見当たらないが、背も高く、肩幅も広い。
ただ。
(あの猫背、なんとかならないかなあ)
心の中で苦笑する。
(ゲームばかりしてるから……)
けれど、ハルは知っていた。
仕事を終えた後、タクトが家へと帰らず、忍のポッドの側で、元々の猫背をもっと丸くして、眠っている姿を何度も見ていた。
いや、自分が入っているポッドから、位置的にどうしようもなく、視界に入ってしまうのだ。
(……あの視線)
タクトの忍を見る目。眼差し。それは確かに『恋情』を浮かべていて。そのタクトの熱い眼差しが、なんとも言えないほどに、自分の胸を絞り上げた。
そして、声。
「忍さん、」
タクトがポッドの中で眠る、忍の名前を呼ぶ。
その声が。
やはり自分の耳に勝手に入ってきては、心をかき乱していく。
しっとりと熱を帯びた、低い声。どうしようもない愛しさが含まれていて、じんっと胸を打つ。
(きっと私も、あんな風にタクトのことを見ているんだろうな)
受付カウンターの隅、地味な自分は一番ふちの、そのまた奥。
返された来客用の名札を受け取っては、引き出しへ整然と並べていく係だ。名札を渡すのは、もちろん忍のように明るくて美人な女性。
「告白されたんだけど、断っちゃった。あの颯タクトって人」
トイレの入り口で聞いた、忍たちのやり取りが蘇る。
何人もの男と付き合っていて、不誠実じゃないかと憤る時もあれば、それでも両想いで付き合えることの羨ましさを抑えられない時もある。嫉妬も相まって、胸の中で黒い液体がふつふつと生まれ出るのだ。
(付き合ってる相手の人が可哀想だと思わないのかな……)
思う時はいつも、その黒いものがじわっと心を真っ黒に染めていくような、そんな錯覚を起こす。
この液体とは、一体なんなのだろう。きっと、色々な負の感情が入り混じってできた、汚いものなのだろうと思う。
出勤の朝。
忍に向かって、おはようと声をかけながら、中途半端に手をあげる。そんな負の塊など関係ない場所で、顔を真っ赤にしているタクトのそんな姿を見ているうちに、少しずつ好きになってしまった。
片想いだと、わかっているはずなのに。
それでも、タクトを見つめ続けるのをやめることなどできなかった。
(ふふ、あんなにも熱い眼差しで見つめ返されたらどんなに……)
————幸せなのだろうか。
「ハル、そこ、ぬかるんでるから」
はっと気づくと、目の前には泥の海。
タクトが手を伸ばしてくる、その手を。一度は躊躇して止めた手で、そっと握った。
「ありがとうございます」
握った手は、ほんのりと温かい。タクトの体温が一気に流れ込んでくる。指を絡めると、絡めたその指先から自分の体温が伝わればいいのにと、願ってしまっては、自己嫌悪に陥る。
じんと胸が痛んで、思わず握っていた手に力を込めてしまった。
(こんなことで、泣くなんて……)
涙が目尻に滲む。
片想いとは。
これほどに辛く苦しい。
「ありがとう」
泥濘を抜け出ると、ハルはそっと手を引いて離した。優しい、大きな手。その手はかつて、忍へと向かって振られていて、そして今もきっと、変わらずに忍へと伸ばされている。
「……ありがとう」
ハルはもう一度呟くように言うと、まだタクトの温もりが残っている指で、そっと目尻を拭った。




