消失
「忍さん、」
ポッドの前で立ち尽くす。
ガラス窓の中。睫毛の長さ。高くも低くもないが小ぶりで形の良い鼻。唇。その目尻。
ガラス窓に手を乗せる。その手は本物には届かない。ただ、その拍子に、ポッドが軽く揺れて、中に充填されている細胞の保存液がゆらゆらと揺らいだ。
それに合わせて忍の髪も揺れる。黒く艶のある髪が、海の中の海藻のようにその身をくねらせている。
保存液の影響だろう、健康的だった少し日焼けした肌は、ほわっと青白く光っているように見える。
「肌の色が違うだけで、こんなにも印象が変わるもんなんだな」
よく笑う、忍の本来の明るさが、鳴りを潜めているようにも見えるのだ。
長い一日が終わり、ハルが自らの電源を落とす夜半、タクトは忍のもとに何度も足を運んでいた。
(ゲームやるとか言っといて、こうして忍さんの様子を見に来てるなんて知ったら、さすがにハルも引くだろうなあ)
一目惚れだった。
新設された受付カウンターの中が、花畑に見えるほど、タクトにとっては眩しい存在だった。
この人類のコールドスリープを計画した張本人、サーフェイス社の会長は、心から愛する人がいると言った。
(俺にとっては、それが忍さんなのにな)
どれだけ想っても、交差しない想い。
苦しい。
苦しい。
ガラスをそっと撫でる。
時々、タクトは忍のポッドの側で、そのまま丸まって眠った。
✳︎✳︎✳︎
忍の夢を見ては目が覚める。何度、目が覚めても、そこは地下の書架の天井。何も変わらぬ状況に、タクトはイライラと諦めの気持ちとを半々につのらせていた。
「はああ、こんなところで野垂れ死ぬのが、俺の運命か」
数日前にフウが来たのを最後に、それからは誰一人として来ていない。
「忘れられてんのかなあ。あーあ、寂し」
おどけるように無理矢理そう呟いてみるが、実のところ、頭からリングの話が離れないのだ。
(まさかとは思うけど、……あいつらリング外すの失敗してないだろうな)
くそっとドアを蹴る。ビクともしないドアを恨めしく思いながら、その場にごろんと横になった。
「心配したって、ドアが開かなきゃ何にもできねえだろっ」
ガバッと起き上がり、腕立て伏せを始める。
「だとしても、来たるべき日に備えて、鍛えておかないと……いっち、にー、」
来たるべき日というのが、いったいどんな日なのかは見当もつかないが、タクトは次には上向きに寝ると、今度は腹筋を始めた。
「いっち、にー、」
そして、さんっ、上体を起こしたと同時だった。
何の前触れもなく、ドアがシュンと開いたのだ。
「おわっっ、なんだ?」
けれど、直ぐにも閉まりそうな雰囲気に、タクトは反応して部屋から飛び出した。
「え、え? まじか、出られた……こんな呆気なく?」
頭の中を?でいっぱいにしながら、辺りをキョロキョロと見回す。警戒しながらも、タクトは急いで階上へと続く階段に足をかけた。
(フウか? それとも……)
「タクト」
階段を駆け上ると、見慣れた白く丸っこい形が目に飛び込んできた。さらに聞き慣れたモーター音。
「ハルっっ、お前が助けてくれたのかっ」
ばっと抱きつこうとして、手を止めた。
「タクト、たいへんです。かちょうふうげつが……」
ハルの言葉を待つより先に、タクトの目に映ったのは、倒れこむ四人の若者の姿。
「なっ、どうし、た、」
ぞ、と背筋が凍った。足の力が一気に抜ける感覚。
「これは、どうした? な、にが、あった?」
よろよろとよろけながら足を運ぶ。
「……ハル、」
管理棟の広いホールの中央。
倒れている四人。
顔に血色はなく、髪が乱れている。
そして。
「ハル、何があった?」
声が震え、歯はカタカタと小刻みに音をさせた。ふらつきながら近づくと、ハナとトリが、お互いを抱きしめ合い、そして———
ツキとフウの手がしっかりと繋がれているのを見て、タクトは狂ったような声を上げた。
「嘘だろ、おいっっ、ツキ、……フウっっ、フウううっっっ‼︎」
ガバッとフウを抱き起こし、その拍子にツキの手から外れたフウの手を握る。
「っ⁉︎」
慌てて握ったその手を見た。右手の中指。
あったはずのリングがどこにもない。
そしてとっさに抱き起こし、揺らしたにも関わらず、フウは目を覚まさなかった。
「どういうことだ、ハル、」
だだっ広いホールに、低く唸るように言ったタクトの声が、響いて散った。




