解除
「ちょっとタクト、話があるんだけど」
タクトが顔を洗っている時、朝食を食べているはずのフウが、背後に立っていてびっくりした。鏡に映ったフウは腕を組み不機嫌丸出しの様子で、タクトは嫌な予感がして鼻白んだ。
「なんだー。何の用だ」
「ここじゃ、ちょっと」
鏡越しではあるが、フウが視線を逸らしたのが気になって、タクトはタオルで顔を拭きながら、フウの様子を窺った。
「んじゃあ、後で俺の仕事場に来い」
「ん、わかった」
フウはそのままマグを持って、自室に戻っていった。香りからすると、自分でコーヒーを淹れていったようだ。
その後、フウはタクトの仕事場に先に来ていて、眠そうな目をこすりながら、イスにちょこんと腰掛けていた。
「大丈夫か? 疲れてんなあ」
確かに眠そうではあるのだが、顔色もあまり良くない気がする。もともと白い頬が、さらに透き通って見える。
「ん、ちょっと力使い過ぎてるのかも。最近、ツキが急いで進めてて」
「ほどほどにしとけよ。身体壊したら元も子もねえよ」
「うん」
タクトが道具の準備をしているのを気だるそうな目で見ながら、何か言いたげな表情を浮かべている。
「で、話ってなんだよ」
「ん、その……ツキのことなんだけど」
「ああ」
「ツキはみんなを起こさないって決めてるけど……わたしは、起こすべきなんじゃないかなって思ってて」
「え、そうなのか?」
フウがツキの反対の立場を取るとしたら、それは本当に珍しいことだ。ツキが目覚めてから、刷り込みをしたヒヨコのように、ツキの後をついていっているからだ。
けれど、普段から何を考えているかわからないようなツキの、突拍子もない考えに、タクトは心底驚いてしまった。
「……まあ、俺もお前に賛成だけどな。このまま永遠にコールドスリープだなんて、まったく意味がねえ。何のためにお前らが起きたんだっつー話になるよな? 環境が整い次第、解除するで、いいんじゃねえの?」
「うん、私もそれ。ただ……」
「んー?」
「また私たち地球人がリアキアをぐちゃぐちゃにしちゃったらって。どうしても考えちゃう」
「ツキの言うことも一理あるってか?」
「まあね」
女子高生の割には考えてるな、タクトは道具が置いてある棚を側に引き寄せた。ハルはまだ来ない。壁に掛けてある壁時計を見る。時計の針は、ほぼ遅刻のないハルにしてはちょっと遅いな、と思う数字を指している。
タクトはフウに目を移してから、はあっと大きなため息をついた。
「なあ、お前らには悪いが……」
慎重に言葉を選ぶ。
「うちの会社の会長との約束もあるし、政府の密命ってのもあってだな。俺としては先陣を切ってコールドスリープを解除しなきゃならねえんだ」
「……うん、わかるよ。それにあんたの恋人を起こさなきゃだもんね」
「まあそれ無しでも、やっぱりな」
「やっぱそれって、愛してるってやつ?」
タクトは遠くにハルのモーターの音を聞きながら、右手に道具を持ち替えた。
「だからあ、忍さんはそんなんじゃねえって何度もなあ」
「じゃあ、何で『好き』なの?」
道具を持っていた右手が止まった。タクトが黙り込んでいる間に自動ドアを開けてハルが入ってきた。
「おはようございます。すこしおくれました」
「……おはよう」
「ああ、はよ」
フウの放った質問に、躊躇してしまった。返事を返す前にハルが来て、良かったような悪かったような複雑な気持ちになった。
そう、どう返事をしていいのか、わからなかった。
妙な雰囲気が二人の間を漂っている。けれど、それにはハルは気づいていない。
(まあ、ロボットだしな)
フウはそのままセンターを出て、『仕事』に出掛けて行ったが、タクトはその後、フウとの会話が会長と話した、遠い日の記憶を連れてきて困った。




