風月
「フウは、どこ行った?」
いつもの仕事をこなしながら、タクトはハルに何気なく訊いた。
「はあくしていません」
「まったく、うろうろしやがって。外になんぞ、出てやしねえだろうな」
「さあ……ですが、ちゃんとマスクはもっていますから、だいじょうぶでしょう」
「ツキはどこにいる?」
「はあくしていません」
「おいー、まさか二人でイチャイチャしてんじゃねえだろうな」
タクトは、胸の中にもやもやと暗い雲がかかっていくのを感じた。
(いやいや、これ嫉妬じゃねえし)
新しいチップを取り付けてポッドを冷凍し、そして次へと進める。
(嫉妬? 若い恋人たちが羨ましいだけ、か)
「タクト、ぼーっとしていると、てをはさみますよ」
手元が思わぬ内に前へと出ていることに気がつき、慌てて引っ込める。引っ込めたタイミングで、次のポッドが滑り込んできた。
その時。
ごごごごっと凄まじい音が鳴り響き、タクトは驚き、工具を足元に落とした。
「な、なんだっ」
立ち上がると、再度、ごうごうっと音がする。外から聞こえる音に、タクトは作業室を出て、廊下の窓へと走った。
「なんの音だっ」
びょおっと、凄まじい風がタクトの目の前を、窓越しに横切っていった。その強い風の力は、もうとっくの昔に電気の流れも途絶えた電線を、いとも簡単に引きちぎっていく。そして、もちろん電柱も、なぎ倒していく。
竜巻のように、いや、台風のようにあちこちへと散っていく風は、廃ビルの窓ガラスをことごとく破壊しながら進んでいく。
それは、狂った龍のようにも見えた。
「なんだ、突然っ。こんな風、今までに……」
すると目の前の窓が大きくしなった。一瞬、それが膨らんだかのように見えて、タクトは「割れる」と思った。
けれど、何も起こらなかった。窓は一度だけ大きくしなっただけで、他には何も起こらなかったのだ。
跳ね上がった心臓を押さえながら、改めて窓の外を見る。
寮のマンションの屋上に、人影が見えた。
「おい、あれ、フウじゃねえかっ‼︎」
台風の真っ只中にいるのにも関わらず、フウは逃げようともせず、両手を広げているだけだ。
「あ、危ねえっ」
タクトは寮へと続く廊下を走った。見慣れた風景を、廊下の窓から横目に見ながら、けれど風の音は轟々と鳴り響いて終わらない。
「なにやってんだ、あいつっ‼︎」
タクトは寮のマンションの階段を駆け上がった。もうすぐ屋上に届くという階段の途中に、フウの姿があった。
「フウっ」
タクトが見上げる。
フウは、軽い足取りで、とんとんと階段を降りてくる。
「あ、タクト、お帰り」
「なにやってんだ‼︎」
「なにって、仕事……」
「はああ? 頭、おかしいんじゃねえかっ‼︎ こんな嵐の中、外に出るやつがあるかっ‼︎」
「大丈夫だよ、私の仕事だもん」
女子高生は、舌をべえっと出した。
「だから、ほっといてよっ」
「はあああ、なんだとっ」
すると、フウの後ろから声がした。
「タクトは、まるでわかってないみたいだね?」
ツキが姿を見せる。その姿を見て、タクトはギョッとしてした。
瞳が、黄金色に輝いている。
「ハルに説明してもらうといいよ」
低くそう言うと、二人はタクトの横を通り過ぎて、階段を降りていった。横を通った時、小さな風が頬を撫でた。
「な、に、」
言葉が出なかった。その場で動けなかった。
昔、分厚い辞典で見たことのある、地球の衛星。ツキの瞳がその丸い月のように思えて、タクトは身震いを覚えた。