2-45 市民の義務を果たすには
「試験にしちゃ色々とやり過ぎだけんども……ま、ええだよ。」
髭の受付嬢からすれば、この模擬戦は無駄に傷付け合うだけの無作法とでもいうべき内容であったが、実力を見るという目的には適ったのでスルーしてもらえた。
三級昇格の手続きを行うので後で受付に来るようカインに言うと、カウンターで半回転してうつ伏せにダウンした三級おっさんを引きずって訓練場を去っていく。
(レベル上げといて良かった。)
試験が終わってあらためてカインはそう思う。おっさんは紛れもなくベテランの実力を備えており、それを打倒できたのも十五の壁を超えていたからだ。そうでなければもっと苦戦することになっただろう。
正直な話、行動掌握を覚えた時点で本当に壁を超えなくても試験には合格できる、という自信はあった。過信ではない。タイマンに極めて有用なこの能力は、恣意的に落第させようとしてくる試験官が相手でもなければ、まず実力を認めさせることができたはずだ。
依頼の達成状況という条件を満たす間に壁を超えてしまったのは結果でしかないが、その結果が試験突破に繋がったのだから、やはり強くなっておくに越したことはない。
ボロ負けのおっさんのギルド内での立場はますます苦しいものになるだろう。だがカインがゴブリンロードを討ち取れたのは単なるまぐれ的な噂を流そうとして失敗してたりなど、細かい嫌がらせをしてきていた相手への同情の余地など、当然あろうはずもないのだ。
臨時で部隊に入り、その戦闘力を盾に分け前を多くもぎ取っていくのがおっさんのメインの稼ぎ方であるが、それも難しくなるのだろう。
戦力としては実際頼もしいので、部隊の生存率が高まるという意味では一概に悪い話でもないが、それも本人が実力を示せればこそ。果たしておっさんは一度落ちた信用を積み上げられるだろうか。
(まあどうでもいいな。)
逆恨みで襲撃でも仕掛けてこない限りは放置でいい。実力差はしっかり叩き込んでやったので、安々と仕掛けてくるほど無鉄砲でもなかろう。陰湿なだけにおっさんがまず図るのは保身であり、ただでさえ低くなった地位をこれ以上下げる危険を犯すような性格でもないように思える。
何かしら計画を練って実行するにしても、その頃にはもう帝都に出立しているだろうという目算もあるのだ。一応警戒はしておくが、万一の時は本当に息の根を止めてやるしかあるまいか。
「お疲れさまでしたご主人様。三級昇格、おめでとうございます。」
「完全に相手の動きを見切っていたように思います。負傷もないようで何よりです、マスター。」
奴隷たちに共通するのは『私たちの主人はこんなにも凄い』という誇らしい想いだ。主人としての面目が立ったようで何よりである。
「ありがとう、まあ単純に武器の扱いだけならあのおっさんよりネルフィアの方が上だろうがな。」
何せネルフィアの場合、行動掌握がほぼ完全な予知として成り立つぐらい予測がブレないという、恐るべき精度である。
余りにも楽に勝ててしまうので、ネルフィアとの鍛錬では自主的に行動掌握を封印しているほどだ。
そんな謙遜もほどほどに昇格続きを済ませ、三級冒険者の証である軽銀製のタグを受領。鉄製の四級タグより安っぽい気がしてしまうのは何故なのか、と思いつつギルドを後にする。
その日の午後は、帝都への旅に備えての買い物などで過ぎていった。
三級昇格の翌日であると同時に、帝都に旅立つ前日は久々の完全休日とした。
カインは何もしない日を過ごすことに決め、宿に引き籠もる構え。
それに対し奴隷二人は主人に気を遣い、旅立つ前にこの街を見たいという名目で出かけることにしてくれた。小遣いを渡し、治安の悪いところには足を踏み入れないよう言い含めて送り出す。
そうして孤独を得た。
「………………。」
何人とも触れ合わず、何もしようとしなくとも、思考は巡ってしまう。
例えば、夏が盛りを過ぎても残暑の気配は色濃く残り、宿の一室は少々蒸し暑い。もうちょっと氷を作ってもらうべきだったかとも思うが、後の祭りだ。
そこから[凍線]を水に使うと一気に大量の氷を作れることを思い出す。一度桶に貯めた水に向けて試してみたところ、膨れ上がった体積が桶を破壊してしまう結果に陥ったことがある。よほど頑丈か、使い捨てにしていいような容れ物に水を貯めるでもしないと、[凍線]による製氷は難しいだろう。
ポリ袋でもあればいいのだが生憎とここは異世界だ。紙袋では言うまでもなく水漏れするし、色々考えてはみたが丁度いいものは浮かばなかった。
といった具合に考えることは止まらない。
「人間は考える葦である」という哲学者パスカルの言葉は正しい。何時如何なる状況であろうとも、そして当人の知能の差さえも関係なく、人間は常に考えざるを得ないのだ。或いは狂人でさえも、その脳内で独自の論理的思考を展開させているのではないか。
地球にいた頃、適当なアニメに「何も考えずに見られる」などといった感想が寄せられるのをネットで度々見たが、真に何も考えていないのであれば、その感想さえ抱くことはできないに違いない。
人間である限り、考えることをやめることなど出来はしないのだ。それこそ死ぬまで。
或いは生きながら考えない方法などというものを習得すれば、所謂悟りみたいなものを得て只人を脱却できるのかもしれないが────
「…………うん、無理だな。」
精神的に進化した上位存在となる道がたかだか一日思考した程度で拓けるならば、哲学者など不要であろう。元から哲学に実質的有用性などないという意見はひとまず置いておくとして、そもそもそんなことで精神的に進化できるという保証もない。
などといった益体のないことを延々考えてしまう程度には、この日は暇を楽しんだ。実に無駄な時間を過ごしてしまったように思う。それ故に世俗のあらゆる煩わしさからの解放────身も蓋もないことを言えば、「何もしたくねえなあ」という自堕落極まる欲求は満たされた。
一応他にもメリットがなかったわけではない。
「今日は楽しめたか?」
「はい、お休みをありがとうございます。」
無事帰ってきた二人と夕食を取りながら尋ねると、ネルフィアの『感謝』の言葉には一抹の『寂しさ』が伴っていた。
その夜はネルフィアもメルーミィもちょっと新鮮な気分で心と身体を寄せてくれた。離れていた分だけ自然と積もった『寂しい』が燃料となり、心の触れ合いの熱を高めている。ついでに身体も熱を帯びるがそれはそれとして。
ただでさえ四六時中一緒にいるのだから、主人のみならず奴隷たちの気分転換も何気に重要だ。良くも悪くも人間とは慣れる生物で、悪い方の慣れとは即ち飽きることである。
もしも娯楽の少ないこの世界でこの触れ合いに飽きてしまったら、或いは飽きられてしまったらと思うと恐ろしい。肉体的には古来より日本に伝わる四十八の合体技を駆使したりと、飽きさせないための不断の努力を続けているが、精神的にもこういうスパイスがあっていいはずだ。
幸福な人生を送るためには、幸福になろうとする努力が必要であろう。
「ごしゅじんさま……。」
「ますたぁ……。」
普段より気持ち甘えるようにすり寄ってくる奴隷たちを抱き寄せるに、方針は正しいことを確認。少なくとも今この瞬間は幸福なので、なんとかこの調子を持続したい所存である。
「……おう、おめえだづに客人がいるだよ。」
翌日の朝方、帝都に出発する前に髭の受付嬢には挨拶しておこうと冒険者ギルドに寄ると、有無を言わせぬ調子でギルドの一室に案内されてしまう。
一体誰が待っているかは探心で分かったので、できればその時点で離脱したかったが上手い言い訳が浮かばず失敗。旅を急ぐので、では流石に無理があった。
思えばギルドに来てしまった時点で詰んでいたのだ。
「久しいな、メランルーミィ。」
案内された一室で待っていたのは、この国の第三皇女────エルデエイラ・ロバスロフ=デュルトハイゲンその人であった。




