2-38 幸福な奴隷などというものは果たして存在するのか
実際、[冷眠]で確実な先手が取れれば、勇者の攻撃力とのシナジーはエグい。例え一撃で倒せない大物を相手にするにしても、先手で大ダメージを与えられるアドバンテージは非常に大きい。
似たようなことは勇者でなくともできるだろう。しかし[冷眠]を使いたくなるような強敵は、概ね索敵能力も高いものだ。魔物を発見する前にこちらが発見されてしまっては意味がない。
自然、[冷眠]を有効に運用しようと思えば、普段から魔物に見つからないように隠密性を重視した動きが必要となる。しかしそうなるとどうしても効率が悪い。ただでさえ強力な魔物の個体数は少なくなるのだ。
例え氷術師がメンバーにいたとしても、普通に歩き回って獲物を探すことを優先する方が稼げるだろう。[冷眠]は運良く先に魔物を発見できた時にちょっと楽になるボーナスタイム、みたいな扱いにしかならない。
その点でも探心があることは非常に有利だ。何せ千メートル先から獲物を発見できるのだから、毎回ボーナスタイムのチャンスがある。
メルーミィでなくともテンションが上がろうというものだ。
「そろそろこの辺でキャンプを張るとしよう。」
浮かれ過ぎてもまずいので、クールダウンも兼ねてテントを立てることにする。
探心でも分かっているが、ロンリーウルフの習性からして周辺に他の狼はいない。倒したばかりのここは狼の縄張りの空白地帯。安全性は折り紙付きだろう。
少し早いが数日はこの森に籠もって狩りをすることになるのだし、今日は真っ向勝負もしたので早めに切り上げることにした。初日から無理をすることもない。
テント設営を済ませて荷を下ろし、一通り機能をオンにしておく。
「ネルフィアは俺と周辺の探索、メルーミィはその間に料理を頼む。」
受けていた薬草採取の依頼も進めておかねばなるまい。多くの薬草の栽培は農繁士でも可能だが、自然のものでなければどうしても得られない薬効は存在する。
その一種が、この辺に生えてる薬草に含まれる高い鎮痛効果だ。その成分は高純度精製されることで麻酔の他、多少の痛みを無視して肉体を動かせるようになる「闘争薬」などの製作に用いられる。
もしもの時のためにポーチにひとつ入っているが、若干の依存性があるらしいのでできれば世話にはなりたくはないものだ。
そうでなくとも闘争薬を使うような状況そのものが、生命の危機ではあるのだから。
「お気を付けて、マスター。」
「ああ、今日の飯も楽しみにしておくよ。」
「はいっ、微力を尽くします。」『またマスターに喜んでいただけそう……。』
前向き気味なのが継続しているメルーミィを軽くおだてておいた。しかし世辞ではない。昨日から夕食と朝食作りを任せているが、これが中々に素晴らしいのだ。
ベースは定番の堅パンとインスタントスープだが、氷室箱のおかげで肉や野菜といった食材を持ち込めたし、香辛料などの調味料も揃えたのでちょっとしたものは作れる。
昨日の夕食はピリッとした辛味が肉の旨味を引き立てるスープだったが、今朝のは野菜から出る甘味を生かした優しいスープであった。材料自体は同じなのだからバリエーションは余りないかと思っていたが、良い意味で期待を裏切られた形だ。
明確に味を思い浮かべながら薬草を摘んでいたら、空腹が加速してしまった。正確に思い出せるというのも考えものである。
「戻ったぞ……いい匂いだな。」
「お帰りなさいませ。食事の準備は整っております。」
テントに戻ると芳しい料理の匂いが充満していた。手を洗うと新しく揃えた折り畳み式の椅子とテーブルに着き、さっそく夕食だ。
今日のスープは強いて言うならポトフに近いか。多少時間を掛けて煮込まれた野菜は柔らかく、野菜から染み出た旨味が砂糖や塩で調えられ、その調べと共に奏でられるハーモニーに舌鼓も参加する。
思わず詩的になってしまうぐらい美味い。戻って来た時にもメルーミィが繰り返し、『美味しくなりますように』と願いにも似た念を込めて作っていただけはあった。
『時間があればもうちょっと手の込んだものも作れる』と今朝考えていたのを汲んで、料理に専念させた甲斐もあろうというものだ。
「飯も旨いしテントも快適だしで言うことなしだ。ありがとうメルーミィ、君は本当に役に立つな。」
「お、恐れ入ります……。」
森は比較的涼しいが、それでもすっかり夏である。通常ならテント内ももっと蒸すのだろうが、氷を出せることはこんなところでも便利だ。
(そろそろ頃合か……。)
かき氷の甘さと冷たさを堪能し、王国からの逃避行の時期が真夏でなくて本当によかったと思ったところで、居住まいを正す。
「メルーミィ、そろそろ君にも俺たちがどこから来たか話しておこうと思う。」
「……私めなどによろしいのでしょうか。」
「ああ、君には知っておいてもらいたい。」
念の為にネルフィアの方を見やると、頷いて賛同の意を示してくれる。もっとも、よほどのことがなければ彼女に反対されるとは思っていなかったが。
これまでメルーミィは主人の天職が戦士ではないことは分かっていたが、出自などは知らないままだった。カインが異世界から来た召喚勇者であることや、王国から逃げ出して来たことやその理由を掻い摘んで話すと、メルーミィは得心が行ったようだ。
同時に別の『疑問』が湧く。
「何故、それを私めにお話しになられたのですか……?」
『自分なんかにそれはない』とも考えつつも、『もしかしたら』という想いが彼女の中にある。揺れながらも消しきれないそれは、彼女が今最も欲しがっている言葉だ。
あとはそれを投げてやるだけでいい。
「もちろん君に一生俺の側にいてほしいからさ。」
「ああ……! 過分なお言葉、恐悦至極に存じ上げますマスター……!」
こういった秘密を奴隷に対して打ち明けるのは、要は死ぬまで奴隷として縛るということの宣言だ。同時にそれは主人からの最大の信頼のポーズにもなる。
万一メルーミィを手放すことになったとしても、彼女は余計なことを余人に話さないだろう、というぐらいの信頼関係が築けているとは思うが、どちらにせよ奴隷には情報を与えておかない方が安全ではあるのだ。
「どうぞ私めでよければ生涯お仕えさせてくださいませ。」『今日はなんて素晴らしい日……! 』
いずれ話そうとは思っていたが、それが今日になったのは幸福で畳み掛けるのに絶好の機会となったからだ。これだけメルーミィにとっていいことが重なった日を、彼女は生涯忘れまい。
どうせ手放すつもりなどないのだから当初から打ち明けてもよかったが、それはそれでネルフィアとの信頼関係を軽んじることになる。これは彼女との歴史だ。いくら美しい奴隷を新たに買ったからと、その積み重ねをないがしろにはしたくない。
「よかったですねメルーミィ、これからも一緒にご主人様に尽くしていきましょう。よろしくお願いしますね。」
「はい、ネリー。」
嬉し涙を零すメルーミィをネルフィアも言祝ぐ。実に美しい光景だ。
奴隷が主人に尽くすのが当然という感覚について、実のところまだ微妙な違和感がなくもないが、異世界の価値観ばかりを押し付けても仕方あるまい。本人たちが『喜んで』いるのだからこれでいいのだ、多分。
都合の良さを受け入れる心の棚の性能を確認するのもいいが、そんなことよりもまだ最後の仕上げが残っている。
「それじゃあ今日はメルーミィから……。」
「はい……。」
メルーミィの記念すべき一日のラストを飾る行為に手を抜くわけにはいかない。最終回次第で名作か駄作か決まるなんて言葉もあるぐらいだ。
透き通るような白い肌を抱き寄せると、かつてないほど温まった想いが伝わってくる。
早めに狩りを切り上げた分だけ時間はあるので、じっくり念入りに『幸せ』だと思ってもらえるようにしよう。ついでに主人の方も幸せになってしまうのは嬉しい副次効果だ。




