2-36 人の牙はほどほどに硬い
巨大な肉体を有し十分に動ける生物とは、その巨体を動かしめるだけの筋力なりを備えているということであり、単純な物理作用が大半を支配する戦闘では恐るべき存在となる。
巨大であるということは、それだけで疑いようのない脅威なのだ。
「っとぉ!」
ロンリーウルフの前足の振り下ろしを辛うじて避けた。明らかにゴレムよりも強烈で、空振りの風圧でさえまともに受ければただでは済まない威力であることを理解させられる。
思ったよりも鋭い一撃であったことにはヒヤリとしたが、思ったよりも伸びが鈍かったおかげでバックステップが間に合った。前足の付け根────人間でいうなら肩の辺りに刺さったダガーのおかげで出足が鈍っているようだ。
続けて膨れ上がる一匹狼の『攻撃性』に対し、今度は思い切って踏み込む。噛み砕かんと迫る牙をすり抜け、巨体の側面に入り込んでその横腹に
「[光刃]!」
ちょうど技能のインターバル明けに即発動して斬りつけ、即座に離脱。直後に一匹狼の巨体が倒れ込んできた。調子に乗って追撃していれば潰されているところだ。
これだけの体格差は体重でさえ十分な武器となる。一匹狼は生命力も巨体に見合ったものを持ち合わせており、相打ちになれば小さい人間の方が被害が大きいことを理解しているのだ。
「ッ!」
今度こそ広い背中に追撃しようかと思うも、一匹狼はそのまま巨体を半回転させて潰しに来た。これは行動掌握を発動し避けながら斬りつける。魔物に対しても効果があることは既に検証済みだ。
次の攻撃が何か予想がつかない時は、ひとまず距離を取るのがセオリーだったが、今となっては初見行動さえ読める。むしろ相手の初見行動に合わせて発動するのが、行動掌握の使い所のひとつと言っていいだろう。
そのまま能力の時間いっぱいまで斬りつけようとしたが、転がった勢いのまま身を起こした一匹狼が大きく飛び退き、距離を取られてしまった。それに合わせた追撃は毛を斬るだけに留まる。スピードではまだ狼の方が上のようだ。
そのまま行動掌握も時間切れ。
(タフで強くて速い……情報通りの強敵だ。)
[光刃]付きの鋼の剣は皮を裂いて肉に届いた感触があるが、傷跡から魔素が漏れる様子はない。まだまだ余裕のある証だ。
一匹狼が転がる間にネルフィアも青銅の槍で一撃入れたらしいが、そちらは大したダメージになっていないようだった。向けられる『敵意』が最もダメージを与えた一人に集中していることからも、それが分かる。
「────!」
「ふんッ……くっ!」
二呼吸ほどの間を置いて、再び突っ込んできた一匹狼の薙ぎ払うような爪を鋼の盾で弾き上げれば、逸れた爪が近くの木を軽々と折り倒す。これほどの速度の乗った重い攻撃は、受け流すだけでも如実に体力が削られるところだ。この巨体相手ではリーチの差が大きいだけに反撃も難しい。
そのまま一匹狼が爪で連続攻撃を繰り出そうとしたところに[氷弾]が命中。身体を支えていた方の前足を揺らしたそれは、球体の形状で放たれた打撃であり、隙を生み出すのに一役買っていた。
身体を支えようと浮かせていた前足を下ろす隙を見逃さず、長い鼻面に斬撃が決まる。たまらず一匹狼が下がろうとしたところに、ネルフィアが静かな追撃を置いていた。
「────ッ!」
槍を突き刺すのではなく、刃を立てるように穂先を地面に置いて踏ませることで、一匹狼の体重を逆手に取ったのだ。毛皮ほど丈夫でない肉球に踏ませたのも、叫びを上げさせる痛撃となった。
蹈鞴を踏む狼の脚へと追撃が更に決まる。奴隷二人の火力が不足していることは最初から分かっていたので、主に脚を狙った嫌がらせを頼んでいたのが功を奏した。
そうした嫌がらせを警戒して牙による攻撃が主体となった一匹狼の猛攻を避け、時に受け流しながら脚へのダメージを蓄積させる。やがて巨体の各所から黒い霧が立ち上り、機動力をかなり奪った頃には
(……そろそろキッツい。)
カインの体力が尽きかけていた。元より純粋な体力勝負でも分は悪い。一匹狼もまた、嫌がらせは鬱陶しいがこいつさえ倒してしまえれば、自分にまともにダメージを与えられる敵はもういないのだから勝てる、といった雰囲気がある。
だがそれを打ち砕く技能は用意されていた。
「[回復]!」
ネルフィアの手から放たれた光の玉がカインへと吸い込まれ、失われた体力を復活させる。普段はやらないが[回復]は離れた相手にも届くのだ。
最大射程距離は五メートル程度と短く、直接触れて[回復]するよりも効果は落ちるが、戦闘中に味方に近接する必要がないだけ使い勝手はいい。
ちょうど[光刃]も切れたので掛け直す。真っ向勝負でこれほどの長期戦となったのは初めてのことだ。
動きが戻ったことで一匹狼の『敵意』がネルフィアにも多少向いたが、自分以外を狙おうものならその隙を突く心構えはできている。安々とそれを許すつもりもないが。
そこから勝負をほぼ決めたのは、メルーミィの次の一手だ。
一応試した[寒波]はほぼ効果がなく、少し前から[氷弾]は目潰しを狙って放たれていたが、狙い通りにはいっていなかった。不規則に動き回る的に対してピンポイントで当てるのは、それこそネルフィアでも難しいだろう。
だが動きが鈍ったところに散弾式[氷弾]でなら話は別だ。散らばる破片が一匹狼の両目を首尾良く潰した時にメルーミィが覚えた『喜びと興奮』は、冒険者としての彼女にとって格別のものであった。
「後で褒めてやらんと、なッ!」
視界を奪われたことでいよいよ後がなくなった一匹狼の暴れ振りは凄まじく、やたらめったら周辺を薙ぎ払う。下手に近付くと危険なのは、避け切れなかった爪で脇腹を引っ掛けられての出血から学べた。
ネルフィアと同じように鎖帷子を着込むようにしていなければ、もっと深手だっただろう。とはいえ後は詰めるだけだ。
最後に一匹狼が悪足掻きで仕掛けた前足を広げるようにしながらの突進は、左右に避けられるような範囲ではなく、とにかく当てるだけなら理にはかなっていた。
行動掌握でそれを見切れば、姿勢が低くなった分だけ上方へと抜けるのは容易である。跳躍し、ガラ空きの背中に落下の勢いを加えた斬撃を叩き込む。
甲高い金属音が森の中に響いた。
「かってぇッ!?」
人の造りし鋼の牙が弾かれる。渾身の一撃を阻んだ正体は背骨であった。元より毛皮と筋肉で骨まで剣を届かせるのは至難であったが、背中は筋肉が薄い故に狙えたものの、骨の強度はそれ以上だ。
全くのノーダメージというわけではないだろうが、今の一撃で決められなかったのは何気にショックであった。
「こんちくしょうがああぁ!!」
「────────!!!」
無理な突進で潰れるように姿勢を崩した一匹狼にしがみつくと、骨の隙間からひたすら胴体への刺突を繰り返す。
これがとどめとなり、一匹狼は魔素となって消えていった。その量は並の進化種に比肩するものであり、新しく揃えた絆の腕輪を通して三等分を受け取った奴隷たちが、二人揃って成長を果たすほどである。
汗を軽く拭って[治癒]を使っていると二人が駆け寄ってきた。
「お疲れ様です、ご主人様。お見事でした。」
「ああ、ありがとう。どちらかと言えばメルーミィの目潰しがあってこそだとは思うけどね。」
「そうですね、メルーミィも本当に見事でした。」
「お、恐れ入ります。」『……嬉しい……!』
興奮冷めやらぬメルーミィのテンションは、何気にかつてないほど高い。
『この主人に仕えて冒険者をやっていくのが自分の生きる道なのだ』という確かな想いを彼女が抱いたのは、思えばこの時のことかもしれなかった。




