1-9 大体魔素のせい
「勇者様がご存知の技術などを私どもに提供いただければ、もう少々滞在を引き伸ばすこともできるのですが。」
食事が終わってやってきたローブ男の話は、異世界技術供与の取引だった。
「見れば奴隷はお気に召した頂けたようで。有用で実現の見込みの高い技術であれば、更に女奴隷をお付けできますし、実用後に利益が出れば勇者様にも一部還元いたします。」
魅力的な話ではある。何故今になってこんな話をとも思うが、逆に今だからこそなのか。以前にも覚えがある『利己的』な感情を探知した。追い出される間際にもなれば情報を引き出し易くなる、ということなのだろう。
「うーん、と言ってもなあ……何を言ったらいいのか。」
この世界の技術は、一部では元いた地球を凌いでいると思われる。何せ魔素やら魔法やら地球になかったものがあるのだ。街には有料とはいえ公衆便所があって、上下水道の整備もされているぐらいの文明はある。正直なところ、この社会に何が足りていないのかがよく分かっていない。
「ではまず勇者様は以前の世界で、専門的な技術や知識を身につけられましたでしょうか?」
「仕事はコンビニ……あー、雑貨屋の店員みたいなものが生業だったんで、特に専門的な知識とかはないな。」
「左様でございますか。」
ローブ男は平然としているが、内心で元より大してなかった『期待感』が薄れた。専門職の人間なら有用な技術を持ち合わせている可能性が高く、実現にもかなり近いのだろう。コンビニ店員として、バイクの自賠責保険手続きができたところで役には立つまい。
「でしたら、何か実現できそうな発想などはございますか?」
「あー、じゃあ保険とかある?」
「どのようなものでしょう?」
仕組みをかいつまんで説明したが、まず社会的制度の実現は難しいらしい。それ以前に魔物が跋扈する世界で生命保険などは無理があるか。
「電波はどうだ?」
「そちらも提案される勇者様は多うございますね。」
「電波も無理か。」
「確か実際に電波式通信機を作る段階までいった記録がございますが、うまくはいかなかったようですね。」
この世界では電波は常に何かの干渉を受け妨害される。空気中に漂う魔素が原因ではないかという仮説もあるが、何にせよ電波の利用は無理のようだった。通信技術がないわけではなく、光の魔法を利用した遠距離通信は可能らしい。城の中心のやたら高い尖塔は、そのための設備である。
その後も思いつくままゴムなどいくつか挙げてみるが、ほとんど実現の見込みが低いか、既存の提案・技術であった。
「……役に立てるようなものはなさそうだな。」
地球よりも技術が進んだ世界から勇者が来たこともありそうだし、リバーシで儲けるのはやはり無理だった。似たようなものはもうあるし。というか、勇者に割り当てられたこの部屋にも暇潰しのために、自分の駒で相手の駒を挟んでひっくり返して自分の駒にするタイプのゲームは備わっていた。
夜はネルフィアとの重要な仕事があったので、それで遊んでいるような暇はなかったのだ。
「では勇者様は何か特別な力をお持ちではございませんか?」
「特別? それは勇者としてのものじゃないのか?」
「もちろん勇者様は特別です。それとは別に他の世界から来て頂いた御方には、以前の世界でも持ち合わせなかった特別な力が備わることがございます。何故そのようなことになるのかは、私どもにも分かっておりません。」
今も普通に使えてる探心がそうなのだろう。ただこうして聞いてくるということは、能力があるかどうかを直接探知する術はないのか。
「どうでしょう。何か特別な力があれば、それにも女奴隷をお付けするのですが。」
「なるほど……。」
技術と能力があれば、最初から奴隷が三人になって部隊メンバーが揃うようだった。奴隷は欲しくないと言えば嘘になる。単純に人数は力だ。そしてハーレムを求めるのは、複数の雌と効率的に生殖できる雄の本能と言える。
ただ探心のことを話すつもりはなかった。
今のところネルフィアで満足しているというのもそうだが、どれだけ稼げるかも分からないまま負担を増やしたくはない。
ローブ男を今ひとつ信用しきれないというのもある。何よりこの能力は誰にも知られていない状態が最も強い。できればそのアドバンテージは維持したい。ネルフィアにさえ話す気はなかった。
そして相手の心を見透かすという能力の性質そのものが、他者から疎んじられる類のものだろうというのも大きい。探心はどうだか分からないが、余りに危険な能力持ちは処理されるかもしれない。勇者と言えども全く成長していなければ兵士には敵わないが、召喚された時にあれだけ周囲に兵士がいた理由も今は分かる。凶悪な能力持ちであることを警戒していたのだ。
思わぬ気付きに戦慄しながらも、とりあえず別のことを言ってお茶を濁すことにする。
「ひょっとしてだが……普通に会話できてるのが特別な力なのでは?」
「それは勇者様の素体に付与された翻訳魔法の効果でしょう。」
「あ、そうなの。」
「まず会話が不可能では、事情を説明することもままなりませんので。常時翻訳魔法が働いているために、勇者様には魔法の素養がございません。」
魔法素養の欠如はコストカットの一貫であり、同様に翻訳魔法も文字の読み書きを可能にするほど高等なものではないので、必要な時は奴隷に任せるか、やる気があれば自分で覚えてほしいなどの説明もされる。仮に翻訳能力があったとしても、それでは流石に奴隷はもらえないようだ。
「んー、何かこれと言える能力はないと思う。」
言いたくない能力があるだけ、などとなんとなく完全に嘘にならないような言葉を選ぶ。
「左様でございますか。能力は成長によって得られることもございますので、その際は是非一報を。」
王城の近くにはローブ男が住む官舎があるので、何かあればそちらを訪ねてほしいとのこと。
そして最後に何か質問はないかと、ローブ男に『軽視』されながらの問いかけがあった。凡百な勇者であることは、気に入られなかったようだ。せっかくだから質問をしてみる。
「この身体ってどの程度生きられるんだ?」
「理論上は百年程度の稼働時間がございます。繁人族の寿命としては長寿と言ってよいでしょう。」
そこはもちろん魔物との戦いで命を落とさなければ、という注釈が付くのだろう。
他には何かあるか。最初に避妊魔法のことを言ってきたので生殖は可能だろうし、その機能のチェックはバッチリだ。
「色々種族がいるようだが、それらとも繁殖可能なのか?」
「汎人、獣人なども関係なく生殖可能です。異種族との交配の場合、子供は必ず両親どちらかの種族になります。」
稀にだが、両親が同じ種族でも全く違う種族の子供が生まれることもあるらしい。血統に異種族が多いと起こりやすくなるらしいが、父親の胤であることを調べる魔法はあるので、現在では「変わり子」として扱われ問題はない。つまりその魔法がなかった頃は、変わり子なのか母親の浮気なのか判断できず、問題があったということなのだろう。
一人で納得しているとローブ男から『呆れ』が探知できた。ネルフィアからも感じられるのは、きっと気のせいに違いない。そろそろいいだろう。
「質問はもうない。」
「では良き旅を……それと強制できることではありませんが、できれば他国への移動はご遠慮いただけると幸いです。」
「ん? ああ、分かった。」
勇者召喚の成果はなるべく自国で回収したいのが当然か。
ともあれ、ついに旅立つ時が来た。