2-32 午後の路地裏に開く傘
「……そういうのは他所でやってほしいんじゃがの。」
「あ、なんかすいません。」
ネルフィアを抱き締め、自分にとって彼女が如何に大事かを囁くのは説得手段として有効だったが、これ以上『これだから若いもんは』などと老年の革職人の機嫌を損ねるのもまずいので、メルーミィを抱き寄せてのイチャイチャもとい全肯定は後回しとしておく。
「ではデザインを詰めるかの。と言っても、三人分ともなると使える量は限られるから……こんな感じにするのが無難じゃろう。」
そう言って革職人が手に取ったのは、ハーフメットないしシュタールヘルムめいたデザインの兜だ。フルフェイスのように頭をすっぽり覆える方が防御力は高いのだろうが、これはこれで視界が広くていい。
通気性を確保し衝撃を吸収する内部構造────いわゆるライナーや、顎紐には普通の革を用いるらしい。意外に高い機能性は好感触。
念の為、奴隷たちにも意見を募る。
「これでいいと思うが何か希望はあるか?」
「大丈夫だと思います。」
「マスターの判断に問題はないかと。」
「そうか……では基本はこれでお任せします。」
「うむ、細かい注文もあれば受けとるが、まずは採寸じゃの。」
二人とも本当に反対意見はないようなのでそのまま進める。顎紐の留め具には面ファスナーを選択したりしながら、全員の頭蓋のサイズを計測してもらった。
「どれぐらいで仕上がりますか?」
「ハードレザーは鞣しにちっと時間が掛かってな、まあ半月ってところじゃな。」
今更だがこの世界の一月は一律三十日だ。十二番目の月まであって、年末以外の偶数月から奇数月の間に渡り日というものが設けられており、一年が三百六十五日という感じである。
ちなみに閏年に当たるものは渡り年と呼ばれ、年末と年始の間が一日増えるようだ。
「分かりました。ではこれを。」
「……うむ、確かに。」
代金を受け取った革職人が『満足気』に頷いた。素材を先に預けて注文する以上、完成品と引き換えでも別に構わないのだが、敢えて先払いすることで相手の仕事を信頼してますよというポーズになる。
ギルドから紹介される程度に真っ当な職人ならもちろん後払いでも手は抜くまいが、多少損ねた機嫌をカバーする意味でも先払いが無難であろう。
それにゴブリンロードの結晶を換金するまでもなくそれなりの貯蓄はあるので、ここは余裕を見せてもいいところだ。
完成次第ギルドに言付けてくれるよう頼んで鍛冶屋を後にした。
「そろそろ昼飯にするか。何か案は?」
ちょっと路地に入った辺りでメルーミィを存分に褒めそやすと、朝食が押した分だけ遅めになった昼食を決めることにする。
ネルフィアの提案を採用し、メニューは揚げベッサムに決定。その名の通り、ベッサムに衣を付けて揚げたものをパンに挟むなどして食すものだが、珍しくソースが味付けの主体で中々に好ましい。要はメンチカツサンドなのだが。
(確か……こっちか。)
探心で揚げベッサムを出していた屋台の場所を思い出して歩みを進めると、娼館の多い通りに出た。
ピークはもちろん夕方以降になるのだろうが、大体のところは昼を過ぎると営業を始めるようで、既にそれなりに賑わっている。
一度ぐらいはこの世界のプロの技術を味わってみたいな、という気持ちもないではないが、つい煽情的な街娼の服装に目がいくと、それだけでネガティブな感情がネルフィアから湧き出してしまう。もっとも、それは主人に対して向けられたものではない。
『娼婦ごときがご主人様に色目を使うなんて……。』
相手の娼婦のためにもやめておくのが無難というものだろう。変に夫婦関係にヒビを入れることもあるまい。
そんなことを考えながら通りを抜け、再び路地に入って少しした頃、あることにやっと気付いた。悪意を持った者たちが集団になって迫って来ていることに。
(!! これは……十人ぐらいで来てやがる!)
メルーミィを買ってから嫉妬めいた悪意を寄せられることに慣れた分だけ、最近鈍感になっていたことは否めない。よくよく迫る集団の中の一人の反応を思い出してみれば、こいつは朝からこちらを尾行していた。
(っていうかこないだの新人冒険者じゃねえか。しかも二人。)
集団が悪意を持って接近している目的は襲撃であろうし、一杯奢ったことは余り意味がなかったようだ。
動機はまあ金だろう。ロードを倒して稼いだことは知られているし、対外的には脚に怪我も負っているので、狙われる理由は十分か。
治安の悪い地域に半歩足を踏み入れてしまったのも迂闊であった。娼館の立ち並ぶ通りはその性質上、スラムめいた地域と隣接しており、新人冒険者以外はそこで集められた人間のようだ。集団の何人かは反応をスラム地域内で感知した覚えがある。
(横着しようとするとロクなことがないな。さて、どうするか。)
屋台を目指して人気の少ない道を選んだことや、流石に街中で襲撃してくるような奴はそういないと高を括っていたことは後で反省するとして、まずは対応を練らねば。
といってもそう時間はない。路地に入ってから集団が足を速めたので、のんびり歩いているとすぐに追い付かれるだろう。まあ逃げるか戦うかしかない。
ひとまず逃げるのが無難だとは思えたが、集団もただ追ってくるだけではないようだ。
(土地勘と数の利を活かしてやがるな。)
集団は路地に入ってからというもの、カインたちが人通りの多い方に抜けられないよう、ルートを塞ぐように別れて追跡してきている。
無理に抜けようとすると行き当たった連中に足止めを受け、残りに挟み撃ちにされるのは容易に想像できた。
(……やるしかないか。)「ちょっと雨が降りそうだ。メルーミィ、傘の用意をしておいてくれ。」
「ッ! は、はい。」
念の為に符丁で指示を出し、武器をいつでも抜けるよう臨戦態勢に入る。
「こっちだ。少し走るぞ。」
集団の位置を確認しながら離れるようにルートを変更する。必然スラムの方に近付いていくが、この動きは想定外だったようで集団は慌てたように追尾速度を上げ、カインたちも追い付かれないように走り、少し開けた場所まで出るとそこで足を止める。
日を少し傾けただけで路地裏に落とされる深い影。その程度には背の高い建造物たちの狭間で、ありふれた殺し合いが始まろうとしていた。
「……今だ!」
「[寒波]!」
迫っていた集団に向けてメルーミィが背負っていた杖をかざし、技能を解き放つ。路地裏に冷気と男たちの悲鳴が響き渡った。
獲物を逃すまいと急ぐ余り、襲撃者集団はほぼ同じ方角に集まる形となってしまっていたのだ。おかげで[寒波]の範囲は集団全体を巻き込むに至った。もちろんそうなるよう誘導したのはカインたちの方である。
そしてメルーミィへの「傘の用意」とは、[寒波]を撃てるよう事前に集中しておけという意味の符丁だ。事前に襲撃を察知できる能力と、事前に集中しながら行動できる特性がシナジーとなり、痛烈な範囲先制攻撃を可能としていた。
冷たい薄霧が立ち込める暗がりの向こうからふたつの攻撃的意思を感知。次の瞬間、飛んできたふたつの石のひとつはカインが袋から取り出した盾で防ぎ、もうひとつはネルフィアがスリングで投射した石で撃墜される。
(さらりとやってるけど何気に神技だよな。)
相変わらずの覚醒ネルフィアの技量の異常さを確認しつつ、気を引き締め直した。
初手の[寒波]で半壊した襲撃者集団には、どうやらまだ戦意が残っている者がいるらしい。




