2-31 午前の検証と昼過ぎの発注
「……あれ?」
脳内スイッチを押しても何かが切り替わるようなことはなかった。何かしら使用条件を満たしていないための空振りであろうと推測する。
少々の試行錯誤の末に対象を設定する必要があることに気付いたのは、ベッドで寝る二人を見ながら押そうとしたスイッチに、手応えみたいなものを感じたためだ。
二人を対象にスイッチを押しても空振りだったので、ネルフィア単体を対象に絞ってみると強い手応え。
多少迷ったが、探心に相手を直接攻撃する能力はないだろうと踏んで実験を継続した。
スイッチを押し込むと、ほんの数秒ほど奇妙な感覚に包まれる。何かの効果が働いているのは確かだが、それはよく分からない。分かったことと言えば、新能力の発動中は探心の他の能力が一切使用不能になるぐらいか。
(とりあえずもう一度……。)「む……!」
再びスイッチを入れようとすると、先程とは比べ物にならない重い手応えがある。押そうと思えば押せなくもないが嫌な予感がした。リスクがあるとすればここからだろう。
その手応えも五秒ほど経つと元に戻る。技能と同じように連続使用に何らかのリスクがあると推測しつつ検証を続行。奴隷たちを相手に何度か試したが、やはり具体的な効果は分からない。
当人たちが未だに夢見心地でいるせいなのだろうかと思い、対象を変更。ちょうど宿の廊下を丁稚の男が歩いていたので、彼を対象にスイッチを入れてみる。
(これは……見えるぞ! 動きが見える!)
ほんの数秒間、丁稚がどう動こうとしているかを正確に認識できた。廊下の角を曲がろうとすることも、曲がる直前に急に会釈しようとすることまで手に取るように。新能力が収まると、会釈したのは角から出てきた客とすれ違っていたからだと分かる。
元より相手の動きの予測はある程度できるようになっていたが、より正確な予測には対象の動作を学習する必要があった。会釈という動作をわざわざ予測したことなどないし、またこの丁稚の動作を学習するのも初めてだ。にも関わらず、初見の動作の予測を可能にしたこの能力の精密さは次元が違う。
思うに他の能力が使えなくなる辺り、探心のリソース全てを対象の動作予測に注ぎ込んでいるのではないか。だとすればこれだけのことができるのも納得である。
ある程度検証した結果、この能力の対象にできるのは一人だけ、最大射程距離は百メートル程度、効果時間は約三秒だと判明した。ネルフィアたちに使っても効果が現れなかったのは、本人たちが能動的に動こうとしていなかったからだろう。
(こいつは相当強力だな……相手が一人しかいなければの話だが。)
ほぼ完全な予測を可能とするこの能力は対単体に特化しており、普通にできる行動予測とは使い分ける必要がある。迂闊に複数相手の場面で使うと窮地に陥りかねないが、使い所を見極めればこの上なく頼りになるはずだ。
(……そろそろやってみるか。)
連続使用を試みる。確定的にリスクが発生するのだろうが、一度も試さないというわけにはいかない。
「ぐっ……うぉっ!?」
重くなった状態のスイッチを無理矢理押し込むと、能力の使用時間が延長される。ここまでは予想通り。
その代償は凄まじい頭痛に襲われた上、肉体にまで影響がでるほどであった。具体的には鼻血だが。
しかも延長した三秒の能力使用後は、探心が一切使えないままの状態が継続している。流石に永遠にこのままだとは思っていなかったが、少し不安になった頃────後で思い返してみれば五分ほどしてから能力封印状態は解除された。
実戦で探心なしのまま五分を凌ぐのは中々に厳しい。脳への負担を考えても、連続使用のリスクは極めて重いと心得るべきだろう。
封印状態が解除されるまでの間に鼻血は[治癒]で止まったが、頭痛までは治まらなかったことを考えると積極的な使用は控えたい。やるなら確実に止めを刺せる時か。
(……しかもまだ先がありそうなんだよな。)
このスイッチには三連続使用が可能そうな手応えもあったのだが、流石にそこまで試す気にはなれなかった。下手に使うと冗談抜きで死にそうだ。
状況次第で使わざるを得ないのだろうが、できればそんなところまで追い込まれることがないようにしたいものである。
(大体分かったな。)
一見予知めいた新能力であるが、確実に対象の動きが読めるかというと少し違う。何度か試していると対象の一人が足を滑らせ転び、予測が外れてしまった。
この能力はあくまで対象が『こう動きたい』と思うのを明確にするものであって、対象本人の予想外の事態にまでは対応できないのだ。
他にも投げられた果実を取ろうとして掴み損ねるなど、対象が思い描く動きに本人がついていけないこともままある。
この能力を行動掌握と名付けることにした。掌からはしばしば零れ落ちるものがある、という戒めを込めて。
それにしてもこんな能力が生えたのは、ここしばらく探心の使い方を工夫し鍛えていた影響であるのは間違いない。必要とする方向に能力が先鋭化されたのであろう。
そうしていなければ別の能力が生えたのかと考えていると、おもむろにネルフィアが微睡みから抜け出してきた。
「んん……ご主人様、それは……?」
「あ? ああ、大したことはない。」
血の痕を心配されてしまったが、かき氷を作ったらちょっと失敗したという体で誤魔化しておこう。
遅めの朝食を取って買い物に出る。まずは水袋などを見ることにした。
「じゃあこいつでいいか。」
「はい、問題ないと思います。」
軽銀製の水筒を購入。服なんかと違い、奴隷たちにはそこまで興味がないようなので機能性で選んだ。
一リットルぐらいの容量があり、金属製なので氷室箱でよく冷えるだろう。蓋もしっかり閉まってひっくり返しても水漏れの心配がなく、ついでに軽い。
ちなみに軽銀とは要するにアルミニウムである。ジュラルミンが実用化されてるぐらいだから、アルミ製品があるのも不思議というほどではない。
続いては後回しにしていたポータブル洗濯機なんかも見てみる。
「買うならこの価格帯かな……となるとこれかこれだと思うが、どっちがいいと思う?」
「マスターがお決めになった方でよろしいかと……。」
「洗濯するのは君らだし、意見を聞いておきたくてね。実際、特に決め手もないから使い勝手の良さそうな方で決めてくれていいぞ。」
魔道具屋の店員とも相談しつつ、一見するとモーターボートのエンジンみたいなタイプを購入。
洗濯も三人分ともなると手洗いでは中々の重労働だ。結構な『感謝』を向けられると、楽になった分だけ触れ合いの時間が増えるな、などと下心を抱えていた身としては若干気まずい。心に棚を作って対応しておく。
最後は鍛冶屋に寄って装備製作の相談だ。冒険者ギルドからの紹介で、特に革の扱いに秀でた職人に繋ぎを取ってもらえた。特殊効果のある素材でなければ、四級でもこれぐらいは紹介してもらえるものだ。
髭は長く白いがまだまだ現役、という感じの老年の鉱人族の革職人に、持ち込んだゴブリンハードレザーを見せる。
進化種から出たせいか並のゴブリンレザーの二倍は大きい代物だ。
「……悪くない素材じゃな。んで、どう仕上げて欲しいんじゃ?」
「具体的にこれといったものはないので、むしろこれで何が作れるかを聞きたいですね。」
「そうじゃの、鎧にするなら普通の革で補強しながらどうにか一着、兜や籠手ならなんとか三人分を作れそうじゃがの。」
「兜か……。」
奴隷たちとも少し相談しながら、最終的に兜を三人分仕上げてもらうことにした。頭部の防護は割と重要だが、ここしばらくは軽視していた感もある。軽くて丈夫な硬革ならメルーミィでも扱えるだろうというのも大きい。
ネルフィアなどは革鎧を作って主人が着ることを主張したが、なんとか納得してもらった。ネルフィアたちも掛け替えのない存在なのだということを熱弁した成果だ。
その辺は盾と探心でなんとかしたいところである。




