2-26 最小規模の魔王決戦
進化種の呼び名の中でロードを冠する存在はそれほど多くない。この呼び名が付けられる条件はただひとつ、人類を滅ぼす可能性を有することにある。
文明的にそれなりの発展を遂げ、繁人族でなくとも産めよ殖やせよと地に満ちてしまったこの世界の人類に対し、例えドラゴンの進化種であろうとも単体では滅ぼすには手に余る。
魔物が人類を滅ぼそうと思えば数を揃えねばならない。ロードとは即ち、そういった能力を持ち合わせる魔物の王────魔王であるということなのだ。
如何にゴブリンが脆弱であろうとも魔王を生み出す可能性は常にあるため、間引きは特に念入りに行われるのが常であった。
(今、逃げれば生き残れそうだが……。)
夏の暑さとは無関係の冷たい汗が首筋を流れ落ちた時、冷静で臆病な部分がそう囁きかけてくる。
壮年の二級冒険者からは『焦燥』を感じ取れるし、彼にも進化種が二体同時に出現したことは流石に想定外だったのだろう。経験の浅い新人連中は一翼を打ち破った興奮で状況が見えてはいないが、だからこそ今逃げれば連中が囮になってくれて、生き残れはするはずだ。
(もうちょっと踏ん張るしかないか。)
真っ先に逃げ出したりすれば、生存者がいた場合に外聞が悪い。それにいよいよ持たないとなってから逃げても、どの道先に小鬼の群れに呑まれるのは身体能力の低い者からだ。
いざとなれば[光刃]を使えば、包囲されていたとしても突破も難しくないはずである。
味方の戦意が落ちていないことを幸いに、判断を迷っていた二級冒険者の肚も決まったようだ。
「チャンプは俺たちでやる! 小鬼どもはお前たちで持たせろ!」
抗戦が選択される。ここで撤退しようにも少なくない犠牲が出るのは間違いない。ならば小鬼どもを撃破する方がまだそれが少ないと踏んだのだ。
そうして炎術師を除くベテラン全員という戦力を、ゴブリンチャンプに集中させて打破するまでの間、他が炎術師を護りながらその援護を受けて粘る、という作戦を取ることとなった。速攻でチャンプを撃破できさえすれば、後は当初の想定通りにロードを討伐できるという目論見だ。
そして結論から言えば、この作戦はまるで想定通りにいかなかったのである。
「ふッ!」
押し寄せる小鬼ども一匹、また一匹と鋼の剣でもって斬り裂く。十数人での単横陣の左端を受け持つカインの負担はそれなりに大きい。
ロードに率いられた残りの小鬼の数は八十程度であり、群れに斬り込んだベテラン連中がある程度気を引いてくれているとはいえ、新人冒険者達を取り囲むには十分な数がいる。
そうさせないためにも両端が踏ん張る必要があるのだが、単純に一度に来る数が多い。
「おっと!」
左前方から錆びた短剣で突いてくる小鬼を蹴り飛ばすと、右前方棍棒で殴りかかってくる奴には剣をお見舞いし、左側面からの投石を受けたばかりの盾を使い、こっそり近付いて石斧を振りかぶっていた奴を殴り飛ばす。
小鬼の位置と攻撃のタイミングが探心によって正確に把握できていれば、数匹を同時に相手取るのもそう難しくない。
ネイキッドキャットの速度を活かした波状攻撃に比べれば、小鬼どものそれは余りにバラバラである。順番に対処していくのが十分に間に合ってしまう。
ネルフィアほど工夫して仕掛けてくるような奴は当然おらず、なんだかゲーセンに置いてあるモグラ叩きを思い出してしまった。
流石に数が多いので、被弾を避けようと立ち回れば小鬼を仕留められる機会は限られるが、こちらが致命傷を負うような場面は想像できない。
「思ったよりヌルいな!」
自分と味方を鼓舞するために声を張り上げた次の瞬間、偶然戦力が集中したことで陣の中央部を食い破ろうとした小鬼数匹が、爆発と共に弾け飛ぶ。
時折後方から炎術師が撃ち込む[火球]が、小鬼を屠るに十分な威力と爆風でもって、崩れそうな場所を支えてくれているのだ。ベテランの一人だけあって判断も間違いなく、実に頼もしい。
陣の右端では巨人族の新人がひたすら丸太を振り回しており、小鬼どもを寄せ付けないでいる。現状、新人たちは粘るどころか明らかに押していた。
「────! ────!!」
そしてロードは自分で前に出ることはなく、小鬼どもの後方でがなり声を上げるのみだ。ロードとなってから日が浅いというのはどうやら本当のようで、その統率能力は十全ではない。それは小鬼どもに拙い連携しか取らせられないことからも明らかであろう。
また、戦術的には正面からの力押しに終止するのみである。奇襲を仕掛けるはずが逆に半数を潰されたことでロードは怒り狂っており、判断を鈍らせているのは傍目にも明らかだ。
総じて目立った重傷者もおらず、新人連中の戦線は想定以上の成果を上げていた。
(向こうは……まだ手こずってるな。)
一方でベテラン勢の方はどうにも芳しくない。想定ではとっくにチャンプを仕留めているはずであったが、思わぬ苦戦を強いられていた。
原因は予想外のチャンプの装備の上等さにある。というのも、小鬼が手に入れられる装備は冒険者などから奪ったものが上限となるが、そう大したものはまずない。良い装備をしている冒険者を倒すのはそれだけ難しいし、仮に装備を入手できたとしても、概ね自らの手で少なくない損傷を与えてしまっているからだ。
しかしチャンプの金属鎧は野外生活のために薄汚れてはいたものの、ほぼ新品であった。戦斧もまた同様で、小鬼上がりがこんないい装備をしているはずがないという先入観が、敵の戦力を見誤らせていたのだ。
とはいえ、二級冒険者だけでも素のチャンプとは互角以上に渡り合える戦力である。それより数段落ちるものの、数人のベテランが共闘及びチャンプ周りの小鬼の排除を行っているのだから、流石に敗れるということはないようだ。
状況は新人連中が小鬼を駆逐するのが早いか、チャンプを打倒するのが早いかという様相を呈していた。
「……!? これは……?」
ようやく頭が冷えてきたのか、旗色が悪いことに気付いたロードの感情がある動きを見せる。午前中に散々感じたそれは、小鬼どもが同種を討ち取られた時に覚える本能に近い。
(まずいな、逃げる気か。)
小鬼が同種を身代わりに逃走を選択するのは、ロードとなってもそう変わらないらしい。
戦いの趨勢は既に決したと言っていいが、ここでロードを取り逃がしては後々大きな禍根となるのは間違いない。時間があればあるだけ規模が大きくなるのが魔王という災厄なのだ。
周囲を見渡し、決断。
「ロードが逃げる! ここは任せた!」
「ちょっ!? おいぃ!」
炎術師にカバーを頼み、小鬼を斬り払いながら戦列を強引に抜けて駆け出す。背後からの爆風が加速にちょうどいいなと思っていると、ロードも背を向けて逃げ出していた。
これは現状でロードを追えるのは自分しかいないと判断したが故の専行。
ベテラン勢はチャンプを追い込んではいるが、油断ならない強敵であることは変わらず、今下手に誰かが抜ければバランスを崩しかねない。新人連中ではロードに追いつける身体能力の者はいないだろうし、ペースを考えずに連戦してるのでそろそろガス欠だ。実力的にも勝てるかは怪しい。
カインは冷静にペース配分を保っていたし、追跡に非常に便利な能力を備えているというのはもちろんだが、ちょっと後ろめたい気持ちもあったのかもしれない。意図的に勇者の力を使わないということは、それだけ手を抜いているということでもあるのだから。
「逃さんぞ経験値……!」
それはそれとして、カイン個人に何の利もなければこのような専行はしなかった可能性もある。進化種から大量の魔素を吸収できることは実地で理解しているのだ。ソロ討伐で独占できるのであれば言うことはない。
そんな感じで勇者と魔王の最後の戦いが、それとは知られないまま始まろうとしていた。




