1-8 旅立ち(旅立つとは言ってない)
風呂はそれほど好きというわけでもなかった。客商売の仕事をしていなければ、習慣的な入浴を面倒と思い欠かしていたかもしれない。
しかし、地味めだがちょっとかわいい自分に忠実足らんとしてくれるちっこい奴隷メイドが一緒なら、むしろ積極的になってしまうのはしょうがないのではないか。昨日と違って特に理由はなかったが、ネルフィアには一緒の入浴を拒まれなかった。『しょうがないなあ』とは思われていたが。そう、しょうがないのである。
「よし、頼む。」
「はい……。」
昨日もされたが、全身を丁寧に他人に洗ってもらうのはやはり贅沢な気分だ。ノアより頭一つ半分小さいその矮躯で頑張る様も、健気さが感じられて微笑ましい。石鹸か何かで泡立った全身を流されると、交代してネルフィアを洗う。背面は他人が洗うのが効率的なので、今日もノアが背中を流した。
「身体だけでなく頭まで洗えるとは便利だな。この洗剤は?」
「ワッテンですね。同じ名前の木の葉を干してから煮詰めたものです。」
ネルフィアの家でもたまに作っていたようだ。こんなに濃いままでは使わなかったらしいが。
一通り流して湯船に浸かる。この八畳サイズ浴場は最大十人程度で使用することが想定された広さであり、奥側ほど湯船が深くなる構造である。ノアがちょっと深いところに腰掛けると、ネルフィアが隣で普通に腰掛けるには難儀する。
「座り心地は悪くないか?」
「……はい、大丈夫です。」
なので、ノアの膝の上に座ってもらうことになった。ちょっとした突起物はあるが、問題はないだろう。『浅いところで離れて座ればいいのでは』なんて言葉は聞こえない。実際、そんな発言がされたわけではないし。
「今日は大分歩いたが、疲れは大丈夫か?」
「大丈夫です。」
「ならいい。」
「あ……。」
結晶や素材の回収と荷物持ちも任せてしまったものの、特に『疲労感』は感じなかったが念の為聞いてみた。農家の仕事であれぐらいの運動量は慣れているらしい。ノアが労いを込めて抱き寄せ、もたれかかるよう促すとネルフィアも身体を預けてくれた。
「そういやスライムキューブって何に使うんだ?」
「ええと……分かりません。申し訳ありません……。」
ネルフィアも詳しくはないようだった。金になるのだから何かしら用途はあるのだろうとは思う。スライムキューブが接着剤などの原料になることを知るのは、後の話であった。
「まあ今はいい。ゆっくり風呂を楽しもう。」
「……はい。」
質問に答えられなかったため『不安感』が生じる。彼女が受けた「教育」はメイドとしてのもの以外は、勇者と自らの天職である賦活師に関することぐらいであり、元々の一般常識以外に特に知識が豊富というわけでもない。
「……勇者ってなんで勇者って呼ばれるんだ?」
「それは……古の勇者様が仲間を失い、一人となっても勇敢に戦い続けたからだと聞きます。」
「そうなのか……まあ君にはずっと一緒にいてもらうけどね。」
「は、はい……。」
『勇者様のことなら答えられたのに』という思考から、答えられそうな質問をしてみてうまいこと繋げられた。伝わってくる『安心感』が広がっていくのを感じながら、勇者はソロ能力が高い職なんだろうな、などと考える。
そうしてしばらくお預けになるだろう、ネルフィアとの入浴を堪能する。ノアはこの時、いつか風呂がある家に住める程度に稼いで誰に憚ることなくネルフィアと滅茶苦茶入浴する、という秘かな目標を抱くのであった。
それはそれとして、今日もベッドで最後の一仕事を終える。手応えは悪くない。男子三日会わざれば刮目して見よという言葉にもある通り、三日も真面目に打ち込めばそれなりのものは身に付くのだ。
「ん……んっ……。」
互いに寝転がったまま、余韻を深く味わうように舌同士がゆったり絡まる。最初に比べ、かなり『気持ちいい』の感情の割合が大きくなってきたネルフィアも慣れてきたようで、今日は力尽きて先に眠りに落ちなかった。
もうすっかりノアはこの奴隷に情が移っており、借金の事情を抜きにしても手放す気はない。この奴隷を維持しようと思えば、魔物を倒すだけの簡単なお仕事をするしかないのだろう。当初は何かの罠かと思わないこともなかったが、少なくとも勇者を戦いに駆り立てるという意味では効果は抜群である。
「…………っ。」
舌伝いに唾液を流し込んでも素直に飲んで貰えるのは、ノアにとって至福であった。一方的な放出と違い、受け入れられている感が強いのがいい。今はそれがある種の『義務感』や『忠誠心』から来るものだったとしても。いつかはネルフィアに食事の時以上の『幸福感』を覚えさせたいものである。また秘かな目標がひとつ増えた。
翌朝目を覚ますと、先に起きていたネルフィアはメイド服ではなく、狩りの時の簡素な服で控えていた。メイド服や下着など身の回りのものが詰まった背負い袋が用意されており、既に旅立つ準備を整えていたようだ。ノアの分の服や下着の入った袋もある。
探心の変化に気付いたのは、服を着ている時だ。明らかに効果範囲が広がっていた。位置によっては範囲外になっていた隣室や廊下、更には階下にいる人間の感情を探知できるようになっている。以前の有効射程距離が半径五メートルだとすれば、今は大体その倍程度はあるだろうか。続いて接触時の検証を行う。
「ネルフィア……あー、そうだな……なんか好きなものは?」
「はい? ええっと……甘いもの、でしょうか。」
ネルフィアの頭に手を乗せ、何事か考えさせるために適当な質問をすると、答えと同時に情景のようなものが伝わってくる。朧気ではっきりとはしない。
「具体的に最近食べた甘いものは?」
「王都に来た時に蜜菓子を。屋台で売ってたものを食べました。」
「そうか……。」
今度はビスケットみたいなものを焼いている屋台と、それに蜜を垂らしたものが売られているという、はっきりとした情景が伝わってきた。どうやら接触時は思考に加え、イメージ的なものを探知できるようになったようだ。
以前にも探心が進化した状況から推測するに、成長後に長時間の睡眠を取ることが、この能力の進化条件なのではないか。昨日は成長が二度あったのでまだ正確には分からないが、睡眠がトリガーなのは確かだろう。
それにしてもこの能力、結構な頻度で使っているが一向に精神力が枯渇する様子がない。よほど精神力の消耗が少ないか、全く消耗しないのかもしれない。やはり技能とは違うのだろう。考察はこのぐらいにして、とりあえず今は『なんでこんな質問を?』と思っているネルフィアだ。
「王都に出たら食いに行くか。案内してくれ。」
「はい、ありがとうございます。」
そうして息を吐く。いよいよ自力で生きていかねばならないことに、不安がないわけではない。それでもこの世界に来る前も、なんとかそうしていたという自負はある。コンビニ店員の生活が充実していたとは言い難いが、それでも安定していたし、何より生命の危険はまずなかった。未知の魔物との戦いは怖いが、成長し強くなるという発展性には代えがたい魅力がある。元の世界に戻れない以上、今は希望を積み上げて前に進むしかない。
「ネルフィア。」
「はい。あ……。」
「ん、行くか!」
軽く顎を持ち上げ唇を奪って、旅立ちを宣言する。ネットはなくてもきっとそれなりに楽しいさ。
「あの……召喚主任の方が、出発前にお話があるとのことです。」
「……あ、そうなの。」
無駄にテンションを上げてしまった。冷静に考えれば朝食ぐらいは取ってから出発になるところだし、話も食事の後らしい。
それにしても召喚主任というのがあのローブ男の役職なのか。今更過ぎる情報だった。