2-7 冒険者になろう(なれるとは言ってない)
共和国を南東に抜けると、街ひとつが小規模な国となっているものがいくつもある。小都市国家群とでも言うべきその地域を、半包囲する形で版図を広げるのがデュルトハイゲン帝国であった。
帝国の名を冠する通り国のトップは皇帝であるが、元老院のような諮問機関が存在しており、地球の物語ほど悪の皇帝の専横が罷り通るようにはなっていないらしい。別に当代の皇帝が、殊更悪辣というわけでもないが。
その皇帝は健康に問題を抱えているとされており、既に一線を退いている。数年の内に没すると目されているが、明確な後継者の指名が行われていないのが、帝国の政情を不安定にしていた。
故に潜伏にはもってこいである。後ろ暗い人間は他にも集まるだろうし、人の出入りも激しい。単純に距離があって王国の手が届き難いというのもある。アンドという男は工作員だけあって、引き出した知識の中にはこういった他国の状況も含まれていたのだ。
そしてガーアンを取り逃した際、捕まえるのが困難であろう場合を想定したものが、帝国辺りまで逃走されることであった。王国の外の知識などカインたちにはロクになかったので、この想定にそのまま乗っかることにしたのである。
道中、結婚したり奴隷を探すなどというアドリブはあったものの、旅は概ねこの想定通りに進んでおり、帝国に入るところまで来れたのだから、悪い選択ではなかっただろう。
こうして小都市国家群から、帝国の玄関口となっている地方都市ケイデンへと入市を果たした。
『こいつもはずれか。』「……次。」
あまり職務に熱心でない様子の衛兵の入市審査をパスする。彼の興味は、後ろ暗いものを持ち込もうとする不届き者というよりは、不届き者が関所を通るために握らせてくる賄賂に向けられているようだった。
こんな輩がのさばっていることも、政情の不安定さの証明だろうか。こういった汚職に手を染める存在がいることは、考えようによっては都合のいい話である。いざとなれば金で非合法な手段に利用できる余地があるということであり、また探心を用いれば賄賂の通じる相手かどうかも、ある程度は事前に分かるのだから。
悪人プレイ用の名前に変わったからというわけではないが、この手の悪党との適切な距離感も考える必要はあるかもしれない。当面、利用の予定はないが。
(さて、どうするかな。)
逃亡生活は成功したものとしてひとまず終わりだ。新生活を始めるためにも働かねばならない。当面の金はあるが、これは奴隷購入資金でもあるので、あまり切り崩すとイマイチな奴隷しか買えなくなるだろうし。
もう呪いでネルフィアに刺される心配はないので、魔物を狩る以外の仕事をしてもいいとは思うが、勇者の適性を活かそうと思えば、結局魔物を狩る以上に儲かる仕事はそうない。
探心を活かして商売をしてもいいかもしれないが、大口の商取引をするためには、商人ギルドに登録してランクを上げないとならない。商人ギルドのランクアップは他の商人からの推薦を受けるしかないので、駆け出しはまず適当な商家に勤めて、丁稚のような仕事を何年もすることになるらしい。その適当な商家も、何かしらコネがないと雇ってもらえまい。
或いは奴隷商人に自分を売り、丁稚の口を紹介してもらうという方法もあるが、これは商人として本当に最下層からの出発なので、成り上がるのは難しいようだ。普通に雇われるよりも時間も掛かるし、正直気は進まない。
然るべきところに幾らか払って許可を取り、その辺で露店を広げることはできるが、その程度の規模では探心があってもあまり意味はないだろう。
ちなみに露天や屋台は、個人取引の範囲ということで商人ギルドを介さない。この辺は帝国でも同じらしい。
後は違法な取引に手を染めるぐらいだが、それはリスクが高いので最後の手段になるか。結局、生きていくためには魔物相手に剣を振るうしかないようだ。
「まずは冒険者ギルドに行くか。」
「はい。」
王国でも二人で行った最初の場所は冒険者ギルドだった。これがこの国での新しい第一歩だ。
ケイデンという都市は人口数万程度の規模のようだが、王都や首都にあった程度には冒険者ギルドが大きい。それもこの街が小都市国家群や共和国との中間貿易によって栄える都市であり、常に商隊など護衛の仕事が絶えないためだろう。
開けっ放しになっている冒険者ギルドのやけに大きな入口を潜ると、既に夕刻だったこともあって中は混み合っていた。
「あれは巨人族か……本当にデカいな。」
ひときわ目立つのが、身長三メートルをゆうに超える汎人の一種だ。王国では見かけなかったが、この辺だと比較的多いらしい。ギルドもそうだが、店の入口などが巨人族サイズになっていることが珍しくない。
異世界にもかなり慣れたつもりではいたが、まだまだ驚くことは多いのを実感しつつ、受付に登録申請をする。珍しいと言っていいのかは分からないが、ここの受付は女性だった。赤髪で、ついでに同じ色の立派な口髭も生えている。鉱人族だからだろう。
「んだば、ここに名前をどんぞ。」
「あ、はい。」
おまけに妙に訛っていた。急な属性ラッシュで疲労した脳をなんとか奮い立たせ、カインと記入。字を書くのも久々だが問題はない。
最低限、自分の名前が書けるかどうかなんてことも、依頼を受けられるかの判断材料にされるようだ。革鎧に腰の剣で冒険者経験があるかと思われてはいたが、特には聞かれない。腕前を見て一気にランクアップ、みたいなことはないらしい。
「新人への説明は朝方にまとめでやるんで、明日お越しくだせえ。」
ということなので、その日はさっさと引き上げる。
共和国からこっち、相変わらず蒸し風呂の公衆浴場で汗を流すと、日も暮れた宿までの道が涼しく感じられる。季節はもう初夏といっていい頃に差し掛かっていた。
そこそこの宿に泊まると、食堂で出てきた帝国料理は胡椒のような香辛料が効いていて嬉しい。暑くなってきたのもあって、辛味に存分に食欲を刺激されてしまう。
「こいつはいいな。」
「ええ、こういう味わいのお肉もいいですね。」
王国だと輸入するしかなく高級品だったが、帝国まで来ると栽培が可能なのだという。農繁士の力は作物の質と収穫量を高めはするが、環境的に適さない作物を育てられるほどではないらしい。
新たな刺激を得て食欲を満足させた後は、三大欲求の残りを満たして明日に備えることにした。要はいつも通りということだが、変に気負っても仕方ない。
バイトの面接に行く程度の緊張感を伴いながら、指定された時刻の少し前に冒険者ギルドに到着。他にも何人か新人らしき連中が集まっているようだ。
カインたち以外にも奴隷を連れている者もいた。屈強そうな男奴隷であり、主人の男もそれなりにいい装備をしている。どんな事情で冒険者となるのかはちょっと気になったが、人それぞれとスルーしておく。
「こっちゃ集まってくだせえー。」
時刻を知らせる鐘が鳴ると、昨日と同じ髭の受付嬢に呼びかけられる。ロビーの一角で冒険者についての説明が始まって数分した頃、慌てた様子で遅れてやって来た新人がいたが、受付嬢に丁重にお引取り願われていた。物理的に。
赤い残像が走ったかと思えば、気付けば元新人は外に放り出されている。探心で何があったかを確認しようにも、見えたのは最初の一撃が腹に入ったところまでで、視線が追いつかず振り向いた時にはもう全てが終わっていた。圧巻である。
「時間のひとつも守れねえようなら、冒険者にゃあ向かねえってことだよ。おめえだづ新人もよく覚えとくだ。」
髭の受付嬢はなんでもないように説明に戻る。ネルフィアよりも背丈は小さいが、女性であっても鉱人族の力強さは変わらないらしい。やたら速いのは天職によるものだろうか。
とりあえずこの受付嬢は怒らせないようにしよう、と思うカインであった。




