2-6 美少女が海の泡になる以上に価値あるもの
「それじゃあお世話になりました。」
「元気でね。嫁さんを大事にするんだよ。」
旅立つ前のおかみさんとの挨拶で、またネルフィアを大事にするよう言われてしまった。世話焼きタイプの人間からすると、女奴隷には気をかけたくなるらしい。
王都の姐さんは元気だろうか、などと思いながら宿を出て、乗合馬車でプガンナを出立。不安がないわけではないが、ネルフィアが一緒ならそれだけで全ての困難はなんとかなるだろう。それが浮かれてるだけとは分かっているが、今ぐらいはそんな気分に浸っていたいものだ。何せ新婚なのだし。
「ご主人様、またお噺を聞かせていただけませんか。」
乗合馬車に揺られながらネルフィアがねだるのは、地球の童話や昔話だ。探心のおかげで内容を鮮明に思い出せるのを利用し、彼女に噺を聞かせて好感度を稼ぎつつイチャつくのが、馬車の旅での定番の暇潰しとなっていた。
寝物語でもしないこともないのだが、その場合は大体彼女が先に力尽きて寝るので、主体はやはり馬車になる。
「ああ、いいよ。じゃあこんなのはどうだ。昔々あるところに───」
柔らかい身体を抱き寄せて囁くように、まだ彼女にしていなかった噺をひとつ語り出す。わざわざ他人にまで披露するほどではない。噺に含まれる異世界要素で変に勘繰られても困るし、吟遊詩人で食っていけるほど語り口が上手いわけでもなかろう。どうしても食い詰めるようなら考えんでもないが。
レパートリーは意外と多い。幼稚園の頃の紙芝居や、赤ん坊の頃に親が聞かせてくれたものさえ、探心は思い出させる。成長してからネット上で知ったものや、童話のみならずネットフォークロアの類まで含めると、相当なものになるだろう。
こういった噺にネルフィアは素直に耳を傾けてくれる。娯楽が少なく、情報伝達も口伝によるのが主体である世界で、個人が知り得る量は、知識欲を満たすに概ね十分ではない。貧しい生まれであれば尚更だろう。
「こうしてカブ料理でみんなお腹いっぱいになったのでした、おしまい。───どうだった?」
「そうですね……みんなお腹いっぱいで幸せになれたのだから、いい話だと思います。」
唐突に生えた巨大なカブをとにかく人手を集めて抜くだけという、おそらく「大事に際しての協調の重要性」を教訓とするための童話を語り終えた。
個人的には特に好きでもないが、ネルフィアがどう受け取るかは別なので、とりあえずどんな噺でも聞かせるようにはしている。とりあえず彼女の好みは童話のようだ。シンプルで『分かり易い』からである。
「ご主人様、そろそろあのお噺を……。」
「またか。好きだね君も。」
いくつか噺を終えると、ネルフィアがリクエストしてきた。最初に聞かせて以来、毎回ねだられる程度には彼女が好きな噺、それこそは「人魚姫」である。
「こうして人魚姫は海の泡となったのでした、おしまい。」
「ああ……やっぱりいいですね。」
最後に王子を殺せば助かったのに、そうしなかった人魚姫からの教訓はおそらく、「自己犠牲の悲しさ」みたいなものではないかとカインは思うのだが、ネルフィアの解釈はかなり違う。
彼女に言わせれば、人魚姫が海の泡となることを選んだのは、『自分が死んで愛する相手を生かすことで、相手のその後の一生に自分という存在を刻み付けたかった』のではないか、ということになる。
ちなみに「泣いた赤鬼」では、青鬼は遠くに行ったのではなく、人知れず命を断ったのだとさえ信じていた。
彼女が奴隷婚にこだわったのも、愛する人間との別れにこれ以上耐えられないためであり、死ぬのは主人と同時ないし自分が先と決めているためだ。ネルフィアはそんな自らの内面を、知らず内に人魚姫と重ねていた。
(まあ作品にどんな感想を持つかは個人の自由ではあるが……。)
ネルフィアの思考も大概病的であることは認めざるを得ない。彼女の希望に沿うよう奴隷を選んでいるのも、それが一因であることも確かである。
それも込みで彼女と一緒に人生を歩むことを選んだのだ。そこに悔いはない。それだけ彼女に愛されているということでもあるのだし。
忠誠心の分だけ確実に重量の増した愛情を、若干の恐怖と共に確認しつつも馬車の旅は続く。
次の街でもこれといった奴隷は見つからなかった。奴隷商人に払った紹介料を無駄にしているような気はしないでもないが、奴隷そのものに比べると微々たる額だ。必要経費と割り切ろう。
「それにしても……。」
天職の条件が合う女奴隷を一通り見せてもらったが、どれも見た目が一定以上の水準に達しているというか、なんというか個性的な見た目の奴隷はいなかった。安いから先に売れてしまうのだろうか、と思ったがどうもそうではないらしい。
「王国にはその手の奴隷を色を付けて買う勇者様がいるんで、この辺のは王国に流れるんですよ。」
奴隷商人が品揃えの偏りについて解説してくれた。どこかで聞いたような話である。
その勇者と同じ趣味なのかと思われてしまったが、もちろんそんなことはないので否定はしておく。妻の見た目で大体分かりそうなものだろうに。比較的地味系とはいえ。
「個性的な見た目の奴隷を好んで買い集める勇者……一体何ザー・ベルクホルンなんだ……。」
思わずその日の宿の部屋で一人、軽くボケてしまった。
美醜感覚が逆転した世界から来た彼は彼で、この異世界を楽しんでいるようである。あの外見ではそうなるのも無理はないという気もするが。
素体でも生前とそう見た目が変わらないことは、身を持って知っている。地球やこの世界だと超絶イケメンであるあの勇者が、元の世界だとどのような扱いであったかは、推して知るべしだろう。はっちゃけたくもなろうというものである。
「今日もいい奴隷は見つからなくて残念でしたね。」
「まあ焦ることはないさ。」
個性的な見た目の奴隷がいなかったとしても、ネルフィアのハードルを超えるものはそういないようだ。
よって今日も若さ溢れるこの熱情は、彼女一人に受け止めてもらうしかない。或いは仕置きクラスのことをすれば妥協を引き出せそうだが、それは最後の手段でいいだろう。
この国に入ってから十日ほどで首都ニールタイネイに到着。国の中枢となる都市の名前が国名と同一であるのは、文明的な伝統らしい。
ちなみに共和国という呼び名は、この国の政治形態である議会共和制から名付けられたものである。この国に王はおらず、複数の貴族たちの協議によって国の舵取りが決まるらしい。なお国の代表は、議員貴族たちの投票によって選出された「議長」が務めることになる。
議会制は瞬発力に欠けるという弱点はあるものの、複数人による議論で時間を掛け導き出される結論は概ね妥当であり、それだけ国の安定性は高い。
故に、この国に居を構えるわけにはいかなかった。王国とも比較的友好的なこの国は、それだけ王国からの手が伸び易い場所でもあるのだ。
「いい街なんだよな……。」
王都に比べると異世界技術のごった煮的な煩雑さはないが、規模は同等以上だし、その上で街並みも清潔だ。それなりに大きい通りは軒並み舗装され、碁盤の目のように区画は整い、治安も良好。追われているかもしれないのでなければ、こんな街に住みたかった。
そう思えるのも、首都に複数ある奴隷商館を全て回るには一日では足りず、数日滞在したためだ。やはり文明的に進んだ都会の暮らしは楽である。金があればの話だが。
人魚姫のように何かを代償に望む場所に居ることも出来ないまま、旅は続く。結局、この国で新しい奴隷を買うことはなかった。
6/22 共和国の名前を間違えていたのを修正




