2-1 ヒロインに好きな女子の名前を付けるのは勇気とは呼ばない
前章までのあらすじ:むしゃくしゃしたので王国を脱出した。今は反省している。
「とりあえずこれからはカインと名乗ろうと思う。」
別に急にしょうきにもどったわけではない。段差の上側からネルフィアを引っ張り上げながら、偽名を名乗ることを宣言したのは、それがこれからに必要だからだ。
元よりノアというのもゲームを善人プレイする上で、デフォルトネームがない場合に付けるものでしかなかったが、新しい環境でやっていくからには、新しい名前を名乗った方がいいだろう。なるべく痕跡は消すべきだ。そのままの名前で身バレするなど、いくらなんでも間抜け過ぎる。
「俺のことは……まあ君は今まで通り、ご主人様と読んでくれればいいや。一応覚えておいてくれ。」
「分かりました。私も名前を変えた方がいいでしょうか?」
「それは、どうするかな……。」
慎重を期すならネルフィアの名前も変えるべきなのだろう。だが余り極端に変えると呼び間違える可能性が高まるし、単純に名前が変わると違和感も強い。これからも夜はネルフィアの名前を呼びながら触れ合いたいし。
結局、本人がまた奴隷になるつもりで、奴隷が主人の持ち物として扱われる関係上、社会的に重視されるのは主人の方になるだろうから、そこまではしなくていいかということになった。
折衷案として、人前では愛称めいた感じで彼女を呼ぶことにする。
「ネリーってのはどうかな? 不自然な呼び方じゃない?」
「大丈夫だと思います。」
実際に呼んでみると悪くなく、ネルフィアにも『好感触』。他にも名前の頭と尻を取ったものも考えたが、にわかに海賊王を目指しそうになってしまったので却下だ。
「それと俺は天職も表向き戦士ということにするからな。」
ただでさえ勇者は希少で目立つ。それだけで出自がバレかねない。そこで技能さえ使わなければ、能力的に勇者が戦士に偽装するのは難しくないはずだ。流石に賦活師の方は誤魔化せまいが。
こうして戦士カインとその奴隷妻(予定)という一行が誕生したのであった。
新たに生まれ変わったと言ってもいい二人の旅路は、順調とは言い難かった。
「……いきなり死ぬかと思った。」
崖の下にドレイクがいるのは分かっていたが、まあ大丈夫だろうと油断していたら、あの巨体が五十メートル近い垂直の壁面をものともせず、一気に駆け上がってきたのはちょっとした悪夢だ。
煙玉と呼ばれる、魔物の嫌う臭いを伴う煙幕を張る道具を用意しておかなければ、とても逃げ切れなかっただろう。視覚を封じられても敵の位置が分かるのが、この二人に共通する強みである。今回逃走できたように、煙幕を張れば一方的に有利になれる状況は多いはずだ。暗視能力があっても煙幕まではそう見通せないだろうし。
そうして煙幕下でも地形を把握できるネルフィアに先導してもらう形で、なんとか危機を脱した。装備を捨てた分だけ軽量だったのも幸いである。
とはいえ装備が貧弱なのは問題だ。所詮銅の剣では、[光刃]を使っても一撃でゴレムの装甲を抜くのさえ難しい。いざとなれば、使い慣れないミスリルの大剣を振るう必要に迫られるかもしれないが、そんな状況に陥った時点で恐らく詰んでいるだろう。
「ネルフィアは怪我はないか?」
「大丈夫です。」
本当に『大丈夫』のようなので一安心。ネルフィアの装備に至っては武器は上等なスリングだけで、防具は簡素な服だけという状態である。偽装にリアリティを出すためとはいえ、ほぼ装備を残せなかったのは少々厳しい。素の耐久力の差を考えると、今カインが着ている革鎧を回したいところだが、サイズが合わないのでどうしようもない。どちらにせよドレイク相手ではほぼ役には立たなかったであろうが。
どうにかドレイクとの遭遇はこの一度だけで済んだが、容易ならざる旅路はまだ始まったばかりであった。
ドレイクの領域を抜け進むこと数日、進行方向に大量の生物の存在を探知。数えるのも馬鹿らしい反応数である。ただ反応自体は微弱なもので、小型に思える。
回避するには進路を大きく変える必要があり、それに伴う旅の遅れは食料的危機に直結しかねない。何がいるかは分からないし、とりあえず薄そうな場所を突破しようと試みたのだが、これはあまり賢い選択ではなかった。
「ええい鬱陶しい!」
盾代わりに腕にロープで括り付けた木の枝で敵を払って潰したが、焼け石に水であった。このノイジービーという蜂の魔物は一匹がネズミぐらいのサイズで、単体ではスライムより多少強い程度でしかない。
しかし単純にその数は圧倒的である。スズメバチよりも巨大で凶暴な羽虫が、数百匹単位の集団で襲い掛かってくると言えば、脅威を想像しやすいだろう。脅威度は七とそこまで高くないが、範囲攻撃を持たないカインたちにとって、極めて相性の悪い相手だ。
「煙玉いくぞ! 突破するから先導してくれ!」
「はい!」
スリングを振り回して蜂を叩き落としていたネルフィアを促し、進行方向の地面に煙玉を叩きつける。程なく煙幕が周囲を包み、またひとつ危難をやり過ごすことができた。
煙玉と[回復]を使いつつ走り続け、なんとか蜂の影響圏外へと抜けた頃には日が傾いていた。
(思ったより煙玉の消耗が激しいな……。)
使い捨てではあるが便利なのは確かだ。こんなことならもっと買っておくんだったと思うが、後の祭りである。これからは余り無理押しはできまい。
「ん、もう大丈夫です。ありがとうございました、ご主人様。」
「ああ、苦労を掛けるな。」
テントの中で抱き合って[治癒]を掛けていると、ネルフィアの傷も癒えたようだ。流石のネルフィアも、あれだけの数を防具もなしに無傷でやり過ごすのは無理がある。浅く広い軽症は割とすぐ治ったが、痛いものは痛い。何せカインの方が負傷が多いのだから。
刺されたり噛まれたりといった傷は致命傷には程遠いが、積もれば馬鹿にはならない。蜂が毒など持ってないのは幸いだった。
拠点からほぼ決まった魔物だけを狙える狩りと、まともに人の来ない自然の中を相手を選ぶこともできないまま進める冒険では、前提からして安全性が段違いであることを実感する。一人では心が折れていたかもしれない。
そうして食事を済ませてお互いの身体を拭き清めれば、後はお互いに見つめ合うしかない。
「……愛してるよ。」
「嬉しい……私もお慕いしてます、ご主人様……。」『ああ、幸せ……。』
今日も今日とて、年若い夫婦のありふれた睦み合いが始まるのは必然である。軽く舌同士を絡め、唾液を交換するだけでも行える精神衛生の回復が、この過酷な旅を支えていた。
如何に体力や負傷を技能で戻せると言っても、精神的疲労まではそうはいかない。「人」という字は人と人とが支え合っているという理論には疑問が残るが、今のネルフィアとはお互い支え合っていることだけは確かだと思える。
結局この日は革鎧すら脱いだまま眠りについてしまった。少々浮かれ過ぎではあるが、完全にプライベートでここまでの関係に至った女性は、前世を含めてもいなかったので仕方ないとも思う。
ネルフィアが奴隷だった頃、結局のところこれは仕事の一環、という側面が常にあったことは否めない。奴隷でない今だからこそ、完全プライベートで触れ合えるのは実に喜ばしく、こうして愛を囁くにも滑稽ということもないのだ。奴隷解放は思わぬ副次効果を生み出すのであった。
二章開始にあたってのタイトル改定案:勇者の初期装備は3D ~元コンビニ店員は奴隷とイチャイチャして暮らしたい~
ボツ理由:イチャイチャだけで済まないから。




