1-54 勇者死す。
脱走計画の骨子は、死を偽装することにある。もしこのまま脱走しても、位置はバレているのだから追手が掛かるだろう。手配もされるだろうし、他国に逃げても追われ続ける公算は高い。素体を用いた勇者召喚という、王国で独占している機密を持ち出すのだから、それぐらいはやってくると考えるべきだろう。故に死んだと思わせられれば、追及の手はなくなるはずだ。
機密を手土産に他国の庇護を受けるというのも考えたが、どの国だろうと信頼できるかは未知数である。下手すると解剖されてしまう可能性さえあるのだから、軽々に持ち掛けるようなものでもない。
何よりネルフィアが国外への脱出を認識した瞬間に、主人殺しの呪いが発動してしまう。死の偽装は別にしても、まずネルフィアを奴隷から解放する必要があった。
もちろん監視には首輪が外れたことを感知されるのだが、実はこの機能には穴がある。監視側からは主人の手で奴隷を解放したのか、或いは奴隷が死んだのかまでを判別できないのである。
ただこれは通常なら欠陥にはならない。何をするにしても、召喚勇者が奴隷を解放するということがまずないからである。ただでさえ主人殺しをさせるような呪いを積んでいるため、判別機能を組み込むような物理的スペースが、首輪自体にもうないという技術的事情もあるが。
(さあ、どうなる?)
「どうして……。」
久し振りに完全な自由意志を取り戻したネルフィアの心は乱れ、やがてそれはひとつの感情へと収束していき───
「どうして!? どうしてなんですかご主人様ぁッ!? 何か私に落ち度があるなら何でもおっしゃってください! 罰ならいくらでも受けますッ!! お望みになることは何でもしますッ! お願いですからあ! お願いですから捨てないでくださいぃッ!!」
一気に『悲しみ』が爆発した。既にノアに縋り付いてガン泣きである。一方のノアは、ネルフィアを泣かせてしまったことに罪悪感を覚えつつも、想定していた反応の中では比較的良い部類だったことに安堵していた。
奴隷から解放されたネルフィアが、元主人に対しどのような感情を抱くかまでは、実際にやってみなければ分からないというのが正直なところだったのだ。『怒り』の余り、即座に刺されることも覚悟していたぐらいである。
とりあえずネルフィアを抱き締め、頭を撫でながら落ち着かせることにする。
「大丈夫だ、捨てたりしないから安心しろ。」
「ううぅ……ほっ、本当ですかぁ……?」
「まあ事情を聞いてくれ。まずな、この首輪には特別な呪いが掛かってたりするらしい。」
首輪に秘められた主人殺しの呪いについて説明する。当然、何故そんなことを知っているのかとネルフィアには疑問に思われてしまった。もちろんアンドという男の記憶を探ったなどとは言えないので、それについての言い訳は用意してある。
「実はな……あの盗賊ガーアンとは、俺が勝った後で死ぬ間際に話をしたんだ。奴は言っていた、自分はお前と同じ召喚勇者で、王国から与えられた奴隷の首輪には、主人を殺す呪いが仕込まれてるってな。」
「そんな……! それを信じたのですか!?」
「俺だって無条件に信じた訳じゃない。盗賊のアジトに隠し棚があっただろ? 俺がよく調べもしない内からあそこに罠があると言ったのは、奴が罠の存在と開け方を教えてくれてたからだ。まあそれがあっても半信半疑だったんだが、決め手になったのはあのアンドって男だ。あの男は明らかにこちらを探っていたからな。それがガーアンが俺に首輪の秘密を伝えなかったか、だとすると色々納得がいくからな。」
ネルフィアが昏倒してたのをいいことに、勝手にガーアンに情報源になってもらった。死人に口なしというのは、後から勝手に好きな口を縫い付けてしまえる、ということでもあるのだ。
「それが本当だとして……何故ご主人様にそれを教える気になったんでしょうか?」
「さあな、そこまでは俺にも分からん。」
そんなものはないので普通にすっとぼける。
手配されたとは言え、ガーアンが本当に盗賊行為を働くようになってしまった理由は分からない。何にせよ盗賊としての活動が正当化される訳ではないので、討ち果たしたのに問題も後悔もないが。
「まあ、いずれ王国の外には行ってみたいと思ってはいたがな。主人殺しの呪いがあるかは別に、首輪には間違いなくこちらの位置を探知する機能が付いてるだろうし。だから君を解放しない選択肢はなかったんだ。」
絆の腕輪にさえ似たような機能があるのだから、きっと首輪にもあるという理由付けには説得力を持たせられた。最後まで勇者に仕えるという条件の、実質的な借金もあるからだ。
「で、その借金が君の村から取り立てられることのないよう、死んでみようってわけさ。」
「! ……分かりました。どうせ私はご主人様と離れては生きていけません。であればここで命を断てということですね。」
「違ーよ、先走んな。」
断崖に歩いていこうとしたネルフィアを抱き止める。全く躊躇いなく死を選ぼうとする辺りが恐い。何も本当に死ぬことはなく、その振りだけでいいことを説明する。
「それは詐欺なのでは?」
「そうでもないさ。君が最後まで俺に仕えるという条件は満たしてるわけだしな。向こうの受け取り方がちょっと変わるだけだ。」
「なるほど……。」
「まあ奴隷から解放してしまった時点で、君がどうするかは自由だ。実際、君が俺から離れたいと言うなら、俺には止める権利がもうない。それとも村に帰る? 今までよく仕えてくれたから、村に負担にならない程度に金を渡してもいいけど。」
「い、いえ! お側に置いてください!」
この期に及んでネルフィアが脱走に付いてきてくれないとは思わないので、ちょっと意地悪を言ってしまった。お互いに依存し離れられなくなっていることは恐らく不健全だろうが、それを咎めるような者はいない。ネルフィアとならどこまでも不健全になってしまうのは、望むところである。
ネルフィアが離れることを選択するのは、最悪の想定としてあったのだが、そうならなくて何よりである。そうなっていれば、みっともなく泣き縋っていたのはこちらだったかもしれない、とノアは思う。本当に何よりだ。
「付いてきてくれてありがとう。まあ命令できるような立場ではなくなったし、これからのことを考えて俺達の関係をちょっと変えようと思う。」
「というと?」
「まあ、なんだ。結婚してくれると嬉しい。」
「!!」
どうせ一生離れられないのだから、ネルフィアを普通に娶ってしまうのがいいだろう。奴隷でなくなったのだから大手を振って、とはいかないがまあ結婚できるはずだ。
もちろんネルフィアにプロポーズを断られるとは思っていない。ただし実際は想定以上だった。
「はい! 喜んで奴隷妻になります!」
「待って。」
普通の結婚じゃなくて、奴隷婚をするとナチュラルに思われているのが何気にショックであった。やってきたことを考えると確かに否定しにくいが。
「ええと……また奴隷になるの?」
「私如きがご主人様の妻としていただくからには、それぐらいは当然かと。」
普通の結婚でもいいだろうとノアは思うが、これに関してはネルフィアがどうしても譲らなかった。ますます忠誠心がガンギマった作用である。
どうやら一度捨てられると思い込んだせいで、より深く主人への依存を深めてしまったようだ。
(結婚詐欺師の手口じゃないかこれ。)
女性に一度唐突に別れを切り出し、その後謝罪し関係を修復することで、より信頼させるという手口を思い出せた。こうなったのは偶然だし、結婚はするのだから詐欺ではないはずだが、妙な後ろめたさがある。
社会的に死のうという前に人生が墓場入りするとは奇妙な話だな、などと逃避せざるを得ない。
別に都合が悪いわけでもないので、結局ノアが折れた。
「……分かったよ、君の望む通りにしよう。これからもよろしくな。」
「はい、末永くよろしくお願いします。んっ……。」『これでご主人様とずっと一緒にいられる。』
あらためてネルフィアの人生を背負う。誓いの口づけ、というには濃厚なものになってしまったが、なんだかんだでネルフィアと結婚できるのは嬉しいのだから仕方ない。
実際に奴隷婚をするとなると、然るべきところに行く必要があるので、まあこれは仮の誓いだが。
「ふう……もっとこうしてたいが、今は死んだ振りをしないとな。手伝ってくれ。」
危険地帯でイチャイチャし過ぎだなとも思うが、周囲に魔物がいなかったので大丈夫だろう。ようやく偽装工作に入る。
筋書きとしては、調子に乗ってドレイクを狩りに来て返り討ちに遭って崖から落ちる、という感じだ。そのために道中でドレイク狩りに行くことを吹聴したり、このロケーションを探していたのである。
それなりに強くはなったので、もうそこらの魔物にやられた振りはできないし、やったとしても素体を回収に来られればバレてしまう。今もネルフィアの首輪が外れたことで、ここに回収班が向かっているはずだ。
召喚勇者が魔物に殺されることも想定して、素体には死後三日は結界を展開する機構が備わっている。その間に回収を行うのだが、歩いて二日は掛かる地理的距離と、ドレイクという強力な魔物の巣に素体があると思わせることで、回収は間に合わないと誤認させられると考えたのだ。
そんなものを仕込めるなら、素体そのものに位置を知らせる機能ぐらいあってもよさそうだが、それも特殊能力との兼ね合いで避けられている。無効化されるのは概ね、本人にとって不都合な干渉だからだ。それに死後まで働く能力というのはまずないらしい。
「ネルフィアも装備を脱いでくれ。ちょっともったいないが、破壊された風にしてバラ撒く。」
「そこまでするのであれば、血を付けたりすればいいのでは?」
「それもそうだな。」
ここに来るまでに、ドレイクにやられたであろう冒険者の装備の残骸なんかは、腐るほど見てきた。それを参考に、如何にもドレイクの爪などにやられた感を、鋼の盾やジュラルミンの鎧に刻んでいく。なまじ鋭いそれを再現するのは[光刃]ならお手の物だ。
ネルフィアの提案を採用して自分の腕を切り、血を付けたりもしていく。[治癒]があるので予後は問題ない。
荷物も破棄するべきなのだろうが、流石に脱走のためには捨ててはいけない。なので、元々あった収納袋の中身を全て取り出してから、セットされた結晶を砕いた。これでこっちの中身は失われたと思わせられるはずだ。
荷物は新しく手に入った大容量の方に詰めて持っていく。こちらの袋がないことを不審がられるかもしれないが、それぐらいのリスクは飲み込むしかないだろう。素体と一緒に谷底に落ちたか、或いは誰かが持っていったと判断してくれればいいのだが。
奴隷の首輪や勇者のタグ、鎧の大部分を谷底に投げ捨て、やることはほぼ全て終わった。最後に鋼の剣を、そこらの石に[光刃]を掛けたもので叩き折って打ち捨てる。ここまでやれば流石に死んだと思われるはずだ。
ひょっとしたらここまでしなくてもそう思ってもらえるのかもしれないが、やれることはやっておくべきだろう。
「ここからは厳しい旅になる。覚悟を決めろよ。」
「はい! どこまでもお供します。」
まともな装備もないまま歩いて道なき道を踏破し、隣国へと抜けるのだ。そんなことまでするか? と思われることをやるからこそ、偽装は上手くいくはずだ。後は祈るしかない。
「まだこの剣に頼ることになるか。」
予備の装備として持っていた銅の剣が今の主力だ。それに相変わらず奴隷もいる。銅の盾を破棄してしまったことが何故だか妙に惜しまれた。
こうしてノアたちは王国を脱出するため、歩き出す。
「まあ気分だけでも楽しく行こう。この金の使い道を考えるとかな。」
「そうですね……奴隷を買うといいと思います。」
本気かよ、と思ったら『本気』だから困りものであった。
──────一章、了。




