1-52 特別製からの脱出を目指して
「首輪はちょっと特別製」だと召喚主任が言っていたのをノアは思い出す。秘密はこの「特別」な部分にあった。
通常、命令遵守と殉死が奴隷の首輪に掛けられた呪いではあるが、この首輪には位置が分かる他、ある条件を満たした際に寝入った主人を殺害させる呪いが仕掛けられている。
その条件とは、ひとえに王国への不利益となること。一定期間魔物を狩りに行こうとしなかったり、一定以上の罪を重ねたり、他国への移動や、王国への反抗などが挙げられる。もし勇者が本来の貴重な存在であれば、ある程度目こぼしされたのかもしれないが、召喚勇者はそうではない。問題があれば素体を回収・再生し、別の勇者の召喚に使えばそれで済むからだ。
何故奴隷にこのような仕掛けを施すのかと言えば、召喚勇者に備わる特殊能力が原因であった。
素体を使った勇者召喚が実用化された最初期には、勇者を遠隔で殺害できるような呪いを素体に仕込んでいたという。これが勇者の特殊能力により、無効化ないしコンフリクトを起こす事象が多発した。素体を再利用する際には新たに呪いを仕込み直す必要もあり、遠隔で他者の生死を握るほど強力なものともなれば、そのコストも馬鹿にはならない。
やがてコストカットの観点からも別の方法が模索され、兵士を付けたりなどの試行錯誤を繰り返し、最終的に奴隷にやらせるという方向で落ち着いた。
特に首輪や勇者専用のタグなど、普通ならそれを捨てるなんてとんでもない、と思わせるものに秘めた機能を持たせることで、特殊能力からの干渉を最小限に抑えるようにしているのが、このシステムの上手いところである。よほど能力がピンポイントでないと、事前に呪いの存在に気付くのは難しい。実際、他人の心を読めるノアでさえ、ガーアンの記憶を探るまでは確信は持てなかったのだ。
しかも条件を満たして主人殺しの呪いが発動してから、実際の殺害に及ぶまでには割とタイムラグがある。呪いの発動を検知した監視担当部署が、国内各地に配備した上級兵士という名の工作員に通達し、呪いの遂行を見届けさせると共に、素体の回収を即座に行える体制まで整えている。万一奴隷による暗殺が失敗したとしても、工作員が勇者を始末するという念の入れようだ。
つまり初期装備として与えられる奴隷とは、勇者の旅を助ける仲間であり、勇者に献身的に奉仕する娼婦であり、勇者の不満を一身に受け止める玩具であり、勇者が王国に不利益となるようなら処分する安全装置なのである。
(反吐が出るぐらいよくできてやがる。)
昼前に起き出し、あらためて召喚勇者を監視・処分するシステムに関する情報を確認し、出た感想がこれである。宿酔で実際にちょっと出そうになったのは別の話だ。
召喚した勇者が特殊能力を含め最初から不適当なら、即座にお帰り願えばいい。城にいる間は猫を被るなり、後から悪人になったとしても、奴隷を手放すような勇者は極めて稀であろう。勇者の人格はともかくとして、奴隷の都合の良さというのは、簡単に所持を諦めさせるようなものではない。それはノアも非常に強く実感している。
それでも奴隷を売り払ったりするとすれば割とすぐ、王都の奴隷商を利用するだろうから、その辺は対応もできる寸法だ。
また奴隷には勇者が善人であればこそ、解放をためらうような適当な理由が付けられてもいるし、それでも解放するようなタイプは最初から奴隷を受け取らないだろう。それをやると城に滞在できる期間が延びると言っていたし、その間にまた別の処理を施すのだと思われる。
奴隷に主人を始末させるというのも、心中を図る形になって目立ち難い、というのがまたよくできている。主人と奴隷が異性───特に男が主人で女が奴隷───であれば、そのような関係になることは別に珍しくもないし、愛憎のもつれから心中騒ぎがたまに起きるのが、ちょうどいいカモフラージュにもなっているのだ。
システムの考察も程々に、問題はこの秘密を知ってこれからどうするかだ。
(反抗は無理があるよな。)
個人で国という巨大な組織に抗う手段はない。探心はタイマンではかなり強力だが、複数を同時に相手取れるような能力ではないし、勇者スーザーや近衛兵団長クラスが出てくれば、それだけでも勝ち目はないだろう。
他の勇者に奴隷に仕掛けられた罠を暴露し、抵抗勢力を形成するのも難しいか。国に対抗できるほどの頑強な組織を作るのは並大抵のことではないし、ノアが音頭を取って足並みを揃えさせられるとも思えない。想像するだに面倒でもある。
現状、王国を敵に回しても生き残れそうにはないだろう。
(このまま何も知らない振りを続けるという手もなくはない。)
感情的な問題はさて置き、国の利益を守るためにこのようなシステムを構築することに、一定の理解がなくもない。召喚勇者が悪人ではなく、勇者という仕事にある程度勤勉に従事さえすれば、比較的幸福な人生は送れる。少なくとも金銭的に苦労はするまい。最悪でも奴隷が使い捨てになるのを許容するだけの利益を生み出すのが、勇者という存在だ。王国も民もそれで豊かになるのだから、単純な総体の利益と幸福だけ見れば、そう悪い話ではないはずである。
条件が分かった今となれば、呪いを発動させてしまってネルフィアに主人殺しをさせる、というようなこともまずないだろう。
(……まあ逃げるしかないよな。)
理解はする。納得もある程度できよう。だが気に入らない。
この呪いの存在は、知らぬ内にネルフィアを危険に晒していたということだ。これがノア自身にのみ及ぶ何かであれば、それを受け入れたかもしれない。だが危険性はほぼなくなったとはいえ、これ以上ネルフィアを勇者を処するための道具なんぞにしてはおけない。
ノアは決意した。この国を出ると。まだ多少痛む頭でそのための計画を練り始めた。
「……大体こんなもんか。」
大まかな脱走計画が練り上がったのはその日の夜、ベッドの中でのことだ。やはり冷静な判断力を要する計画立案には、寝る前のこの時間が適している。
昼頃になってようやく起きたネルフィアは、あれだけ飲んで宿酔とは無縁だった。昼下がりには買い物に行き、髪や肌に塗る香油を選ぶのを楽しむ余裕さえある。
その油で香る髪を撫でつつ、計画の不安要素であるネルフィアの心に想いを馳せる。実際、その場になってみなければ分からないことはある。たとえ心が探れるのだとしてもだ。
不安を払うように、ここ最近のネルフィアのことを思い浮かべる。どうにも例の仕置き以降、普通に心を触れ合わせても『本気になったご主人様はこんなものではない』だの、『私一人ではご主人様を受け止め切れない』だのと思われていた。仕置きでのやり過ぎが、忠誠心の高まりとあいまって妙な方向に作用しているのだ。
十分満足していることを伝えてみても、『気を遣わせてしまった』と思われるのだからままならない。正直、今は打つ手がないと判断する。
(これが悪い方に作用しないといいんだが。)
望み通りになる公算は高いと思うが、今はそれが甘い目論見でないことを信じて進むしかない。




