1-45 寝首をかくだけの簡単なお仕事
非常に面倒なことになった。だが納得もする。真っ当な判断を常に下せるようなら、そもそもネルフィアは、奴隷になどなっていなかっただろう。全く判断を間違えない人間などいないとも思うが、盗賊絡みとなると視界が曇るのは確かなようだ。
「敵が何人いるか分かって言ってるのか?」
「何人いても仕留めます!」
「いくらなんでも無謀だ! 俺の見た限り盗賊は七、八人はいるんだぞ!」
思わずほぼ正確な人数を出してしまったが、『私よりすごいご主人様ならそれぐらいは分かる』とネルフィアには思われていた。余計な説明の手間が省けるのはありがたいが、それでも命令は通じない。ついには自分ひとりでも行くと言い出す始末である。
理性的な説得が通じるような状況ではなかった。だからと言って、このままネルフィアだけを行かせるわけにもいかない。力づくでも止めるべきなのだろう。彼女の身だけを案ずるならば。
しかし心を案ずればどうか。ネルフィアの心の奥に刻まれた深い疵痕が、今まさに張り裂けている。それは炎などよりも熱く煮え滾った、怒りそのものを噴き出す深淵だ。この怒りが噴き出し続ければ、きっとネルフィアは歪んでしまう。或いは深淵が広がり続け、心そのものが裂けてしまう方が先だろうか。
何よりも彼女の心に触れ続けてきたノアだからこそ、そうなってしまうと確信できる。
「どうしてもやると言うんだな?」
「はい……!」
「……後で覚えとけよマジで……。」
ここに至ってノアは説得を諦めた。ネルフィアの身も心も守るには、ここで仇討ちを遂げさせてやらねばならないと判断する。或いはノア自身の中にもあった盗賊への怒りが、それを後押ししたのかもしれない。
我ながらネルフィアに甘いとも思うが、そうでなければこんなところまで来ないのだ。
とは言え、流石に正面突撃を認める気はないので、襲撃案を出すことにする。
「いいか。やるならやるで、少しでも勝率を上げるんだ。」
「どうするんです?」
「寝込みを襲う。」
盗賊相手に、何も正面から正々堂々戦ってやることなどないのである。
勇者とは、魔王を倒すための最も優秀な暗殺者と言える。少なくとも日本の国民的ロープレシリーズでは、ある意味そうだった。初期装備が竹槍、というのは流石に鉄砲玉ってレベルですらないとは思うが。閑話休題。
ここに来てはもう腹を括るしかあるまい。盗賊ぐらい暗殺できなくて、何が勇者か。
あらためて盗賊のアジトからもうちょっと距離を取ってテントを組み上げ、機能をフルに使って隠れ潜んだまま夜を迎えた。罠に獲物が掛かっていないかをチェックするため、何度か近くまで盗賊が来て緊張したが、気付かれなかったようで一安心である。
むしろネルフィアを抑える方に苦心した。奇襲による各個撃破は容易だとしても、戻らない奴がいれば警戒される可能性は高まってしまうだろう。
「……そろそろ行くか。」
盗賊の反応が全員アジトの中にあることを確認し、腰を上げる。食事と仮眠も済ませ準備は万端、とはいかないまでもやれることはやったはずだ。
まず隠密性を重視するため、武器以外の装備を革製のものだけにした。金属鎧の防御力は頼もしいが、スニーキングミッションには不向きでしかない。
ただ鋼の盾だけは持っていくことにした。面ファスナーは剥がれるとバリバリうるさいので、念のために使わず手に持つだけだが、これがなければ始まるまい。
武器は念の為、鋼の剣に加えて銅の剣も持っていく。屋内の戦闘が予想されるため、扱い難いネルフィアの槍は置いて行くことにする。主な武器はナイフだけになってしまうので、これでちょっとは殺る気が削がれないかな、と思ったがもちろんそんなことはなかった。
革の籠手も外している。周辺に罠に仕掛けている連中は、アジトにも罠を仕掛けている可能性は高く、手指が自由に動かせた方が対処しやすいだろう、という理由が表向きだ。
「手を離すなよ。」
「はい。」
実際の理由は、ネルフィアと手を直接繋ぐことで、そのイメージを共有することにある。ついでに先走らないよう、抑えておく意味合いもあるが。
(なんでこんなにはっきり分かるのこの子……。)
テントの外には、常人ではまともに歩くこともできない暗闇が広がっている。だがそれも今は問題ない。
ネルフィアの超越感覚は、更なる進化を遂げていた。彼女の感覚は既に動体物のみならず、静止物さえ空気の流れで感知することを可能にしている。
それを探心でイメージとして読み取れば、ノアにも暗闇の中を普通に歩ける。正直どうかしてると思わないでもないが、今はありがたいと思おう。暗殺に極めて便利なのは確かだ。
如何な強者とて、寝ている間は必ず隙ができる。これだけの感覚を備えるネルフィアでさえそうなのだ。一緒に寝てるんだからその辺はよく分かる。
またこれだけ感覚が鋭い人間というのも、そうはいない。ひょっとしたらネルフィア級がこの世界のスタンダードなのかと、探心を利用して他人の感覚を調べてみたが、流石にそんなことはなかった。よかった、本当に。
つまり、夜襲はこの上なく有利ということである。今まで魔物を狩り成長を重ね、それなりに鍛えてもきた。今は少しでも、自分たちの強みを考えないとやってられない。どうしても不安があるからだ。だが、やるしかない。
最後に[堅固]と[加速]を二人に掛けた。透明のテントはそのままに、入り口を閉めて出発する。方向は思い出せるので、迷いはしない。
(ここまでは順調だ。)
罠を避けながらアジトの入口まで接近できた。ここまで来れば全周囲探知に切り替えてもいいだろう。
盗賊たちは全員寝ている。探心で反応が睡眠時のそれに変わるのを待ってから出発したので、見張りもない。こんな夜中に、こんな山中のアジトまで誰かが来ることは、流石に想定していないのだろう。いたとしても罠で対応する。このアジトが盗賊にとってのテントなのだ。
気付かれず侵入されて襲撃を受けるのは、万が一にしかないと思っているのかもしれない。
(やっぱり見張りがいた方がいいよな。)
その万が一に近い存在が、今の自分たちなのだから複雑である。昨日、見張りなしで寝ていたことはひとまず棚上げするとして、入り口を隠すように並ぶ岩の間を抜けた。
途中で、触れると鳴子か何かが音を立てるであろうロープをまたぐ。普通にまたぐと、その向こうにある低いロープに引っ掛かるので、四股でも踏むように大きくだ。
入り口には戸板か何かが立てかけられているが、端の方にロープか何かが繋がっていて、普通にずらすと仕掛けが動きそうだ。
ネルフィアとは一旦手を離し、代わりに盾を持ってもらう。戸板のロープの繋がっている方の端を蝶番に見立て、普通のドアを開くような感じで戸板を慎重に動かしていく。
(……よし!)
無事開けたので、ネルフィアを招き入れて戸板をそっと戻す。手を差し出すと、再びネルフィアが手を繋いでくれた。当然のことなのに妙に嬉しい。
このアジトは複数階あるようで、一階はさほど広くない。何かしらガラクタが転がっている他は、岩でできた階段があるだけだ。盗賊たちの反応も上から感じられる。照明も灯っていない階段を静かに上っていく。
二階は幾つかの小部屋に、ベッドが等間隔に並ぶ大部屋があった。大部屋の広さは結構なもので、一辺が三十メートルはあるだろうか。盗賊の七人がこの大部屋でバラバラに寝ており、最後の一人は更に上の階で寝ているようだ。その階段も大部屋の奥にある。
戸板が最後の罠だったのか、もう仕掛けらしいものはない。流石に盗賊も、自分の生活空間にまで罠を仕掛けたくないのだろう。
そこから二階の連中を片付けるのは簡単だった。二手に分かれて順番に、文字通り寝首をかいていくだけで済む。ネルフィアのナイフも一旦受け取って[光刃]を掛けたので、斬れ味は十分。即死とまではいかないが、言葉を発せなければ技能は使えないので、遅かれ早かれ死ぬだろう。
(起きやがったか……。)
問題があったとすれば、一人目に手を下した時点で、上の階で寝ていた奴が目を覚ましたことか。そこまでの音は立てなかったと思うが、起きてしまったのだから仕方ない。むしろここまで出来過ぎているぐらいだ。
最後の一人───恐らく盗賊たちの首魁ガーアン・ビッツが、階段を降りてくるのにネルフィアも気付き、手振りで隠れるようノアに伝えてくる。これは隠れて横槍を入れろという意味でも一応あるが、実際のところ『自分でこのまま敵を討ちたい』的な意味合いが強い。
(止まった? いや、降りてくるな。)
奴が階段の途中で一度動きを止めたかと思えば、やはり降りてくる。とりあえず屈んで手近なベッドの陰に隠れ、様子をうかがう。ネルフィアは少し離れた場所で、姿を隠すつもりもなく立ったままだ。ナイフが光ってるので、隠れられないとも思っているようだが。
階段までには距離があって思考までは探れないが、奴が『警戒』していることは分かる。明かりでも持っているのか、階段の半ばにぼんやりとした光が見えた。
(!! あれは明かりじゃない!)
ぼんやりとした光は剣の形をしていた。というよりも、剣に光が纏わりついているのだ。恐るべき想像がノアの脳内を駆け巡る。そしてそれは、奴の『攻撃性』が膨れ上がることで現実となった。
「伏せろ!」
ネルフィアに向けて叫んだが、間に合ったかは分からない。次の瞬間、暗闇の中を稲光と轟音が奔る。一瞬の閃光が収まると、再び大部屋は暗闇に包まれた。狙われたのがネルフィアであったためか、ノアは比較的無事だ。
(今のは[雷撃]で剣には[光刃]……間違いない、こいつ勇者じゃねーか!)
どうやら最後まで簡単にはいかないらしい。




