1-43 無防備になりがちな野営
野営用具でメインとなるのはなんと言ってもテントだ。これも魔道具の一種で、簡易的な結界を張ることができる。野営の仕方など知識でしか持ち合わせてないが、敢えてその冒険に踏み出すことができたのも、テントの安全性あってこそである。
野営用テントは最低でも結界の機能と、内部の灯りが外に漏れない構造を備えている。余り気味だった金に物を言わせ、ヴェーリンダで購入したこれはかなりグレードが高く、消臭や静音に加え透明化の機能までもあるのだ。臭いでも音でも視覚でも探知されないというのは、かなりの隠密性であろう。それだけ結晶は消費するが。
このような機能が備わっているのも、この世界だと余程の極寒地でない限り、野営で焚き火をしないからだ。焚き火で得られるメリットよりも、魔物を誘き寄せるデメリットの方が概ね大きい。
「こんなもんだな。」
石などを除けた地面に厚布を敷き、その上にテントを組み立てる。初めてにしては悪くない手際だ。結晶をテント中央の操作盤に投入。試しに透明化の機能を使ってみることにする。外に出て見ていると一分ほどでテントが透け始め、五分も経つとぽっかり開いた入り口以外は、ほぼ見えなくなってしまった。
「値段分の価値はあるな……。」
鋼の剣三本分に恥じない性能だ。これなら夜も大丈夫だろう。結界も張れるまでにはもうちょっと掛かるらしい。テントを能動的に戦闘に用いるのは難しいか。せいぜい待ち伏せに使えるかどうかだろう。
周辺を軽く見回り、あらためて問題がないことを確認する。この場合の問題とはもちろん魔物だ。探心でも超越感覚でも、脅威となる存在は周囲にいないと分かっているが、探心の方は効かない魔物がいるかもしれない。一応、用心はしておいた方がいい。
そのまま一度だけネルフィアと手合わせもしたが、テンションが高まってるせいか、今日もノアに黒星が付いてしまった。探心で動きを思い出せるのだから、同じ相手とは戦うほど有利になるはずなのに、この有様である。
迂闊に仕掛けると危険だが、だからと言って待ちに徹しても、槍のリーチ差が厳しいところだ。牽制の突きを盾を受け流しても、一気に斬り込めるほどの隙を生み出すのは、もう難しい。ネルフィアも、それがノアの得意手だと分かっているのだ。
どうしてもどこかでノアから仕掛けねばならないのだが、その際の切り返しが的確過ぎる。動いてから反応されるので、探心で動きを読むことも難しく、対応できないタイミングで反撃を受けて崩されるのが、最近の負けパターンである。
(膝関節をちょっと鳴らすフェイントももう通じなくなったか……いや、関節の音だけで動き読まれるとかなんなんだ本当に。)
ノアも動作の最適化は進んでおり、確実に強くなってはいるのだ。だが覚醒以来、ネルフィアの成長速度はそれを遥かに上回っている。
これで天職が士職であったらどうなっていたか。想像するだに怖ろしい。
消臭、静音、透明化、結界の機能をフルに使い、テントの中で夕食の準備を進める。朝から着続けた鎧をようやく脱げた。寝る時にはまた着るだろうが、安全性を考えれば仕方ない。山を歩き回るなら革鎧という選択肢もあったが、荷物が軽くなるわけでもないのだ。[回復]があって本当に良かった。
内側からは外は普通に見えないが、探心や超越感覚でカバーできる。最高級のテントなら、内側からも外の様子を透かして見れたり、テント内の気温を調整できたりするらしいが、流石にそこまでのものはヴェーリンダになかった。照明を使えない以上、暗視能力でもない限りは、外を見れても意味はなかったと思うが。
ひっくり返したアイロンの熱量を最大にして、水を張った鍋を乗せる。ネルフィアがナイフで刻んだ野草を入れて軽く煮立たせ、固形のスープの素を入れたら、後は野草が煮えるまで混ぜるだけだ。とろみの付いたこのインスタントなスープに、保存食の堅パンを付けてふやかして食べるのが、想定していた夕食となる。
今は豚肉もある。鍋がひとつしかないのでスープを木の器に取り分け、薄切りにした肉をそのまま鍋底に並べてみた。
『いい匂い……。』
脂身が溶け出し鍋底で弾けると、順当にネルフィアの空腹を刺激する。焼くのに油を用意する必要がなくて助かった。カリカリに焼けたところで、軽く塩を振って完成。
熱々のアイロンは水を張った桶に入れて冷ましつつ、ついでにぬるま湯を作る。鍋の油の始末は明日でいいだろう。焼き肉専用のフライパンなんかも、あってもいいかもしれない。
「肉は流石に美味いが、野草も中々だな。良いチョイスだ、ありがとう。」
「お役に立てて何よりです。」
スープと堅パンの味自体はそこそこ。野草は農繁士の手が入ってないとはいえ、自然の滋味でも言うべき深みがある。味の良いものを選んでくれたのだろう。実地の知識を持つネルフィアに選ばせて正解だ。何より街から離れた場所での温かい食事、というだけでありがたい。
相変わらず豚肉は普通に美味いので、追加で焼いてたらなくなってしまった。明日はもうちょっと積極的に狩ってもいいか。
「ふう……。」
部隊の四人で使うことを想定したテントは、寛ぐには十分な広さがある。腹も膨らんでぬるま湯で身体を軽く拭くと、あとは寝るぐらいしかないのだが、それには少々早い。
必然的に最後の日課をすることになるのだが、やはり回数は控えめだ。安全性を考えればしない方がいいのだろうが、ネルフィアとの交歓は、もはや完全に生き甲斐である。ゴレム相手に瀕死の身体を動かした原動力も、今こうして山で野営しているのも、結局はそのためなのだ。
早いところ、素直に楽しめるようになりたいものである。とりあえず、今日は声を我慢させる必要がないのが救いか。
「そろそろ灯り落とすぞ。」
あらためて鎧を着込むと、揃って寝袋のようなものに入る。籠手だけは外した手を、寝袋から出してネルフィアと繋いだままにしているのは、[治癒]を継続させるためだ。寝てる間に手が離れてしまわないよう、ちょっとした紐で括るのは、公共の治療院でもやっている工夫である。普段は裸で抱き合って寝るので必要なかったが、今はそうもいかない。
寝袋の寝心地はそれなりだと思うが、用心のために鎧を着たままとなれば、余り意味はないだろう。[治癒]はこんな時にも役立つ。
夜間は交代で警戒することも考えたが、この時ばかりは二人しかいないのが厳しい。[治癒]でも[回復]でも睡眠不足はどうにもならない。なので、割り切って睡眠は普通に取ることにした。そのためもあって、テントをなるべくハイグレードにしたのである。
このテントには、結界やテント自体が攻撃を受けると、警報が鳴る機能もある。流石にここまでのものを潜り抜けられる存在は、こんな山中でピンポイントに遭遇しない、と思いたい。それでも鎧を脱いでまで寝る気にはなれない辺りが、せいぜいの妥協点であった。
翌朝、テントの機能のおかげか、何事もなく目覚められた。少なくとも運がいいだけではないと思いたい。
朝食の内容は、肉以外は昨日の夕食とそう変わらない。食事の間、何か日課をしてないなと思ったら、サラシを巻く必要がないことに思い当たる。ついでに、ネルフィアが九回目の成長してから、サイズを比較するのを忘れていたこともだ。討伐依頼が出てから、色々とあり過ぎたせいだろう。
昨夜のサイズを、それ以前のそれと綿密に比較した結果、変動はないという結論に達する。ついにネルフィアの最終的なサイズが決まってしまった。
大振りの梨ぐらいには実り、完全にノアの手に余る。よくもここまで育ったものだ。感無量である。
「よく頑張ったな、ネルフィア。」
「はい? ええと……ありがとうございます……?」
とはいえヴェーリンダでブラを仕立てるのは難しいだろう。あそこには一般人でもオーダーできるという、ちょうどいい服飾店がない。オーダーできるとすれば、貴族や大商人向けの高級店ぐらいだ。王都に戻ってからの方が無難か。




