1-38 覚醒(主人公がするとは言ってない)
ノアが他者の心を探る能力を用いるにあたって、有効な資質を備えていたとすれば、それは潔癖ではなかったことだろう。
責任を感じ、極めて献身的に介護してくれるネルフィアにでさえ、『これでご主人様からもっと寵愛を受けられる』といった利己的な心理が、わずかながらもあることは分かっている。だがそれが人間なのだとノアは思う。
全くの善人とは人間ではない。それは言うなれば聖人の領域であろう。まずそこらに転がってたりはしない。多少利己的なのも、時に悪意を持って他者を害するのも、ある意味では当然であると理解していた。
(重要なのは実際に何をしたかだ。)
尽くしてくれるのだからネルフィアには感謝して遇するし、盗みを働こうとしたスリは捕まえて衛兵に突き出せばいい。単純ながらも真理ではないか。
「……そろそろまた頼めるか?」
「は、はい……。」
比較的冷静な思考でちょっとした真理に辿り着いてしまったが、休憩には十分だろう。ネルフィアにはもうちょっと尽くしてもらうことにする。
三日ほど掛けて身体は完治した。装備の修理も終わっている。ヘコんでいた鋼の盾や、グシャグシャになっていた鎧の左腕部分もしっかり修復されていて、新品同様の良い仕事だ。しっかり装備を整えておいたから死なずに済んだと思えば、金を注ぎ込んだ甲斐もある。
ネルフィアの鎖帷子はフード部分を取っ払ってしまった。中途半端に残っていても意味がないので、視界の確保を優先した方がいいらしい。修理を担当した鉱人族の鍛冶屋の勧めなので、間違いではないだろう。
「すまんな。しばらくはナイフとスリングでやってくれ。」
「大丈夫です。」
懐が割と寂しいので、新しく槍を買ってやれるほどではない。ゴレムによって槍を失ったのだから、そのツケはゴレムに払わせるしかないだろう。決して甲斐性のなさを棚上げしているわけではない。
ゴレム狩りは順調に進んだ。最初こそ探心が効かない相手の擬態を警戒し、また重症を負わされたこともあって慎重になっていたが、しっかり見れば分かるものだ。探心に頼らない索敵練習相手に、ちょうどいいかと言えばそうだった。
ネイチャーゴレムの脅威度は八だが、高い攻撃力と防御力を兼ね備えた強さは、本来ならもう少し上のものだ。接近しなければ襲ってこないことと、足が遅く逃走が容易な点が、ゴレムの脅威度を下げているのだ。
「[光刃]、ふッ!」
的確にコアを貫き、あっさりゴレムは消えていく。分かりやすい弱点があるこの魔物は、圧倒的攻撃力を備える勇者にとって相性抜群だ。
カウンターにだけ注意して、[光刃]でコアを突くだけでいい。ネルフィアに投石でゴレムを引き寄せてもらって、背後から襲いかかるだけでも余裕を持って狩れる。[加速]を貰っていれば正面からでも先手必勝だ。不意討ちさえ受けなければどうとでもなる。
時折カンガルー狩りも交えながら、昼頃には完全にゴレムに対する苦手意識は消えていた。
昼頃になって休憩。階段状になってるちょっと高い岩があったので、その上で昼食を食べながら風景を眺める。人の手の入りようのない異世界の景色は、ノアの目にも美しく思えた。
(森人族の自治区、か。)
ここから西───湖の北に広がる森林地帯を見ながら思う。
この国は繁人族中心の国であり、王族も繁人族だ。だがこれと言って異種族を差別・排斥するような様子はない。歴史を紐解けば以前はないこともないようだったが、繁人族同士の夫婦からでさえ別種族の子供が生まれてきてしまうため、なし崩しにこうなったのだろう。それだけに未だに純血主義を掲げる者たちは、過激になりがちである。
元来、森人族は排他的傾向の強い種族と言われる。肉体的には痩身で力はやや弱いが、身軽で素早く精神力が高い。また流麗な外見を備える。繁人族の約三倍の寿命を持ち、この世界の人間というカテゴリで最も長く生きる種族だ。その名の通り森で暮らし、独自の自然文化を築いている。
王都やヴェーリンダでも、その特徴的な細長く尖った耳を何人か見かけたが、彼らは多分繁人族のコミュニティで育った森人族だろう。
(っていうかエルフっぽいよな。鉱人族はドワーフっぽいし。)
地球ではファンタジーの存在として有名であった種族によく似ているのは、果たして偶然だろうか。これもまた答えの出ない問題なのだろう。
(まあ触らぬ神に祟りなしだな。)
冒険者ギルドにも、自治区には近寄らないよう警告の張り紙があった。純血主義を掲げる彼らは外部の人間を受け入れないし、侵入者への対処も容赦がないのだという。流石に一般的な森人族コミュニティはそこまでではないが。
岩石地帯からはヴェーリンダよりも近いし、美人の多いだろう集落に興味が湧かないこともなかったが、なるべく近寄るまいとノアは心に誓った。
午後になって早めに狩りを切り上げる。[光刃]を多用する以上、どうしても精神力の減りは早い。余裕は常に持っておきたい。
「ご主人様、誰かが近くで戦っているようですね。」
岩石地帯を出ようと歩いていた時のネルフィアの報告である。ノアにも他の部隊と思われる人間がいることは分かっていたが、関わる気がないので無視していた。
ネルフィアはどうやら戦闘音を聞きつけたようだが、しかし近いと言っても六、七十メートルは離れた場所である。しかも岩に阻まれ、反響で音の方向を聞き取るのも難しいはずだ。
「多分……向こうの方、だと思います。」
なのに方向まで概ね合っている。これは偶然ではない。ネルフィアが常に集中し、聞き取ろうとしているからこそ分かったのだ。
奴隷にまで身を堕とすのも厭わない彼女の責任感を、正直甘く見ていた。先日の件を自分のミスと信じて疑わないネルフィアは、周囲の状況を視覚以外で感知する方法を、あらためて習得しようとしているのだ。スリに気付けず半ば習得を諦めてさえいなければ、あんなことにはならなかったという思い込みは、以前のそれを遥かに超える意気込みとなっている。実際、今のように成果めいたものまで出始めていた。
「……よく報告してくれた。まあ、あんまり気を張りすぎないようにな。」
「はい、大丈夫です。」
誘導は無意味だった。
開拓村という自然溢れる環境で育ったせいだろうか、ネルフィアの感覚は割と鋭い。少なくともノアよりは鋭敏だろう。これが更に磨かれれば───予感がした。このまま本当に能力を開花させてしまうのではないか、という予感が。
(別に悪いことではない、はず……なんだが……。)
誤魔化しの適当理論が根底にあるだけに、素直に喜べない。
ノアの複雑な心理をよそに数日後、ネルフィアに次の成長が起きる頃には、彼女は周囲の状況を完全に把握できるようになっていた。
『! 何か動いた。』「ご主人様、右後ろからゴレムです。」
「!?」
ノアも見落としていたゴレムが音もなく動き出したのを、明らかに見るよりも先に発見している。遮蔽のない十メートル程度の距離なら、目も耳も使うことなく動体物を感知できているのだ。音がするものであればもっと広く感知できるだろう。
「……よく分かったな。」
「はい、ご主人様の教えのおかげです。」
そんな大したことは教えてない。いや本当に。どうしたら空気の流れを感じ取って物体の動きを感知できるのか、こっちが知りたいぐらいだ。
(俺は一体何を覚醒させてしまったんだ……!?)
思わず顔を覆いたくなるのを必死に堪え、ゴレムに[光刃]で斬りかかる。今はただ、この謎の恐怖を振り払いたかった。
そしてこのゴレムを倒したことで、ネルフィアは成長を果たす。ついに成長回数で並ばれるようになったようだ。
「まあ俺もすぐ成長するだろうがな。」
なんとなく張り合ってしまった。実際、それはすぐのことであろう。
そしてノアは気付いていなかった。ネルフィアが成長したということは、感覚が更に鋭くなり、これからもより精度の高い感知を行えるようになっていく────つまり、真の恐怖はこれからだということに……!




