1-37 静かなる場所への生還
限界だった。
文字通りの渾身の一撃を放ち、手を付く余裕すらないまま、前のめりに地面に倒れ伏す。
「ぐぇ……ち、[治癒]……ふぅ……。」
無理に動かして容態が悪化しているであろう身体を癒やしながら、魔素の吸収が行われていることに少しだけ安堵する。このまま寝ていたい気持ちもあるが、気力を振り絞って声を出す。
「ネルフィア、無事か?」
「…………はい、私は大丈夫です。」
答えが返ってくるまでにはそう掛からなかっただろうが、体感では異常に長く感じられた。今度こそ心から安堵しながら考える。もし二度と答えが返ってこなかったら、自分はどうしていただろうか。なんとなく想像はつく。
ネルフィアが危機に陥った際、ノアは理性でなく完全に感情に突き動かされていた。ネルフィアを死なせたくなかったという気持ちはもちろんあった。だがそれ以上に、ノアがネルフィアと離れたくなかったという気持ちが強かったのが、偽らざる本心である。
この奴隷に何かと気を遣い、不意に得た尊敬を放置し、時に尽くすように悦ばせ、主人に依存するよう仕向けたのは、ノア自身がネルフィアに依存していたからなのだ。
依存のみならず、極限状態で身体を動かしたのが低俗な動機だったり、結局その劣情の対象を囮にしてしまったりと、我ながら下劣なものだと思わず自嘲の笑みが漏れてしまう。だが所詮、自分という人間はこんなものなのだろうとも思った。割と下等なぐらいでちょうどいいのだ。
しばらくネルフィアに膝枕してもらいながら治療に努める。魔物の領域では落ち着かないが、今は仕方ない。
「本当に助かった。ありがとうよ、ネルフィア。」
「私の方こそご主人様に助けてもらって……申し訳ありません。」
「まあお互い様ってことさ。槍は潰れちまったな。」
「いいんです、ご主人様の命には代えられませんから。」『ありがとう、父さん……。』
ネルフィアが無事だったのは、振り下ろしに対して角槍がつっかえ棒のような役目を一瞬だけ果たし、逃げる時間を稼げたためだ。ノアも心の中でネルフィアの父に礼を言う。
一応、娘を好き放題してしまっていることについても詫びておいたが、それは恐らく赦されないんだろうな、という確信は何故かあった。
痛みは相変わらず酷いが、どうにか動けそうになって移動を開始する。ネルフィアに肩を貸してもらい、回収した戦利品と荷物も持ってもらって、時折休憩を挟みながらゆっくりとだ。[治癒]と[回復]は惜しまない。早々の撤退になったので精神力は十分余裕がある。
途中の魔物はなるべく回避しつつ、ネルフィア一人でも倒せそうなのだけ任せた。スリングは投石が主な使い方だが、接近戦でも振り回した石でそのまま殴りつけることもできる。スリングはそれだけ激しく傷むだろうが、ナイフよりはいいだろう。銅の剣は扱いがイマイチのようだし、鋼の剣は重過ぎる。
(交通事故で全治数ヶ月、って感じか。)
地球でだったらそんな具合のダメージだろう、と自分の傷を分析する。これを癒やすには[治癒]でも数日掛かるに違いない。十分早いと言えば早いので、贅沢は言えないが。
痛みから気を紛らわそうと思考を巡らせる。まず考えるのは探心がネイチャーゴレムには効かなかったことだ。奴が思考を持たないのは、身体が無機物のようなもので構成されているためだろうか。ゴレムと同じ器物系の魔物には、注意する必要があるだろう。
ともあれ探心を過信していたか、或いは慢心していたのか、効かない魔物がいることを想定できなかったのは痛恨であった。それに探心があるのだとしても、目や耳を用いた通常の索敵を、疎かにしていい理由などあろうはずもないのだ。これは起こるべくして起こった失敗である。猛省せねばなるまい。
ゴーレムがゴレムを模したものだということは知っていたし、ゴーレムに探心が効かないことは馬車で分かっていたはずだ。気付くチャンスがあっただけに余計に後悔が増してくる。
言い訳をするならゴーレムは魔道具だったし、スライムのような謎生物にだって探心は通じたのだから、仕方ないと言えばそうかもしれない。一応効かない相手がいることも想定はしていたが、それも同じ召喚勇者が無効化能力を持ってる場合ぐらいだ。
能力バトルものの主人公は、無効化かコピーと相場が決まっている、というのは偏見だろうか。
ともあれ生き残ることはできた。またひとつ、探心のことを理解できたと思えばいいだろう。授業料はとんでもなく高かったが。
やっと宿まで帰り着き、下着姿になってベッドに寝転がれた。ようやく治療に専念できる。
「はあぁ~…………。」
しかしネルフィアが結晶や素材の売却、装備の修理などの雑事を片付けるために出かけてしまい独りになると、巨大なため息が漏れざるを得ない。そう命じたのはノアだが、それでも寂しいものは寂しいのだ。依存を自覚した今となっては尚更である。
このような時、「もう戦うのは嫌だ」とか「探心を悪用して儲けた方が楽なんじゃないか」などの、後ろ向きの弱い考えが湧いてくる。気分転換にテレビ番組の内容を思い出しても、実況スレに書き込みながら視聴だったので、ほとんど画面を見てないことに苛ついたりもした。
「ただ今戻りました。お加減はどうですか?」
「おかえり、まあ問題ない。」
ネルフィアが帰って来てくれただけで、心が温かくなる。
買い取り及び修理は、代理として勇者のタグを持たせたので問題なかったようだ。ジュラルミンの鎧の修理はそこそこ値が張ったが、ゴレムの素材───ネイチャーブリックが出たのもあって、何とか賄うことができた。
レンガのようなこの素材は主に建材として使われ、細かく砕いたものをコンクリートなんかに混ぜて、防音性の高い壁や床を作れる。今いるこの宿や、王都の宿でも壁に使われていたのはこれだろう。
思い返せば、ゴレムは歩くだけなら静かなものだった。ネルフィアが背後を取られるわけだ。素材となるのも納得である。
「…………。」『私のせいでご主人様は……。』
その戻って来たネルフィアは沈み込んでいた。街に戻るまでの間も割とそうだったが、自分のミスで主人を危険を晒してしまった、という思いが徐々に深くなっている。探心を使わずとも分かるほど顔に出ていた。
「そんなに自分を責めなくてもいい。」
『いけない、ご主人様に気を遣わせちゃった。』「でも私は……。」
「気付くのが遅れたのは俺も同じだ。それに俺が受けなければ多分、君はここにはいない。」
勇者が鋼の盾と金属鎧で受けてこの有様だ。装備の劣る賦活師が全く想定外の攻撃を受けていれば、どうなっていたかは想像に難くない。
「結局二人で生き残れたんだから、あれで間違いじゃなかったんだよ。」
「はい……。」
「それでも申し訳ないと思うなら、せいぜい俺の世話でも焼いてくれ。」
「は、はい、お任せください! あ……。」『す、すごい……。』
早速身体でも拭いてもらおうとした時、流石にネルフィアも気付いた。
死に瀕して種を残そうとする雄の本能により、血液が一部の器官に集中するのは自然である。それはもう過去最高に集中していた。下着が破損しそうな勢いで。
「……頼めるか?」
何をとは言わないが、察したネルフィアが頷いて服を脱ぎだす。[治癒]でほぼ動けないのだから、ネルフィアに頑張って動いてもらうしかない。
結論から言えば最高であった。
責任感の強いネルフィアの献身は、十二分の働きがある。そこには動けないから───動かないからこそ、相手を信頼して全てを委ねることで得られる悦びがあった。これは自分から与えるだけでは得られないものだ。
ネルフィアを悦ばせる方法に関して、自分より右に出る者はいない自負があるノアであったが、それが実践されている内にネルフィアも、自然と主人の悦ばせ方を学んでいたのである。
一仕事を終えて、ノアの胸板に顔を埋めながら、ネルフィアも乱れた息を整える。
『ごしゅじんさま……すきぃ……。』
その髪を撫ですきながら伝わってくるストレートな愛情と幸福感は、何度味わっても心地良い。
ネルフィアの沈んだ気持ちは、すっかり上書きされてしまったようだ。もう何日かは治療のためにこれが続くだろうと思うと、ノアも弱い考えは消えてしまった。ネルフィアを奴隷にする際、性生活の充足は重要だとか嘯いたが、あながち間違いでもなかったのは何ともはや。
とりあえず明日はメイド服を着てもらう予定である。こんな形でメイドと一日中ベッドの中で過ごす目標が叶うのだから、本当に人生は分からないものだ。
一度死んで天国には行けなかったらしいノアだったが、天国はこんなところにあったのだと実感せざるを得ない。




