1-36 この上なく下劣な一撃
全力以上を尽くさんと贅沢に[治癒]と[回復]を使い、必要以上にベッドのスプリングを酷使したのは、少々自堕落が過ぎたかもしれない。だがああも奴隷に求められていたのだから、応えるのが主人の甲斐性というものだろう。
おかげでネルフィアの幸福度ランキングも過去最高を更新できた。そしてそれは、ノア自身にとってもそうだったと言える。
後に思い返せば、この主人と奴隷にとって、この日こそがこの国での最も幸福な一日であったのだろう。
翌日、本格的にヴェーリンダ周辺での狩りに繰り出す。目的地は北東にある岩石地帯だ。[加速]は移動・戦闘の両面で本当に役に立つ。途中、魔物を仕留めながらサクサク歩みを進められた。
大小様々な岩が立ち並ぶ岩石地帯に到着し、周囲を探る。出会ったことのない魔物の反応があったので、標的かと思い早速向かってみるとハズレだった。
「グラップカンガルーか。」
魔物の特徴を記した書物によれば、俊敏に跳ね回り手足と尾で格闘戦を挑んでくる魔物だ。噛みつきは滅多にしてこないらしいが、脅威度は六と侮れない。
金属鎧がガシャガシャうるさいせいか、三十メートルぐらいの距離からこちらを発見し、後ろ足だけでぴょんぴょん跳ねながら襲いかかってきた。ひとまずネルフィアから[堅固]だけ貰いながらこちらも前に出て盾を構える。
「重っ!」
二メートル近い体長から繰り出されたカンガルーの両足飛び蹴りは、尻尾でも地面を蹴りながら行われるため、反動でかなり強烈だ。よくよく近くで見れば、カンガルーの体躯は全身絞り込まれた筋肉に覆われてもいる。[堅固]を受けた上で想定以上の重さに普通に防ぐだけになってしまったが、分かっていればどうということもないだろう。
続けての妙に肥大した前足のパンチは、飛び蹴りほどではないので弾いて反撃───しようと思ったら、続く尻尾の連撃でカバーされてしまった。しなりがあるのを肩に受けたが、[堅固]に加えてジュラルミンの鎧でダメージはほぼない。尻尾の使い方が中々巧みのようだが、こちらも一人で戦っているわけではないのだ。
「はあっ!」
「──────ッ!」
基礎鍛錬により鋭さを増したネルフィアの突きがまともに入る。その隙を逃すノアではない。鋼の剣の斬撃が入り、ネルフィアが一度抜いた角槍でもう一突きし、更にもう一度鋼の剣で斬り付けると、カンガルーは魔素となって消えていった。
[加速]を使うまでもないが、強力な魔物は相応にタフなようだ。
「こんなもんか。今のは良い突きだったな。」
「はい、お役に立てて何よりです。」
カンガルーはウサギのようなほぼ一発屋と違って、正統派の強さを持っていた。それを苦もなく倒せるようになっているのだから、自身の成長を実感する。勇者という秀でた近接戦闘能力者を、賦活師が高めるシナジーも強力だ。
(ネイチャーゴレムはもっと奥か?)
カンガルーの結晶を拾いながら周囲を探っても、主な反応はカンガルーぐらいしかない。仕方ないので岩場に分け入り、反応のある方に歩みを進める。
「三匹だな、右の一匹を任せる。[加速]を使っていこう。」
「はい、[加速]。」
「[光刃]!」
素早く仕留めてネルフィアの負担を減らす方向で、[光刃]を発動する。[光刃]なら多分一撃だろう。走って左の二匹に接近。こちらが速くなっただけ相対的にゆっくり感じられるカンガルーの攻撃を、盾を使うまでもなく回避しつつ胴体を横薙ぎに両断し一匹。もう一匹の攻撃を盾で弾きつつ、返す刃で首をはねた。
思った通りに完璧に仕留められたことに満足しつつ、残り一匹を仕留めようとネルフィアの方を振り向いた時、
「なっ……!!?」
ネルフィアの背後には、腕を振り上げる巨大な人型の岩塊が存在していた。ネルフィアは正面のカンガルーを牽制することに集中しており、全く気付いていない。
ノアの身体は考えるより先に動いていた。振り下ろされる大質量の腕がネルフィアに届くより前に彼女を突き飛ばせたのは、勇者の身体能力と[加速]のおかげであっただろう。
「ぐッ、がッ! ……うぐうぅッッ……!!」
「ご、ご主人様ぁッ!?」
その代償は大きかった。[堅固]に加えて鋼の盾で受けはしたものの、吹き飛ばされ地面に叩き付けられる。
圧倒的な破壊力はノアの左腕を粉砕しつつ、衝撃が鎧を突破して肋を何本か折りながら、内臓にまでダメージを与えていた。凄まじい痛みで思考がかき乱される。なんとか口から言葉を絞り出せた。
「ち、[治癒]……。」
吹き飛ばされたことで魔物から距離が離れたのは、不幸中の幸いであった。[治癒]の一定以上の痛みに対する鎮痛効果で、いくらかまともな思考が戻ってくる。
あの人型の岩塊はネイチャーゴレムで間違いないだろう。普段は岩などに擬態していて、近付いた者を攻撃してくる魔物だ。それに気付けなかった理由はひとつ。
「くそっ……探心が効かんとは……!」
無機物のような身体をしているためか、ネイチャーゴレムはどうにも思考を一切していないようなのだった。何故それで動けるのか、なんてことを今は考えている余裕はない。
ネルフィアはどうしたかと思えば、こちらに駆けて来ていた。ゴレムの攻撃が掠めたためか、鎖帷子のフード部分の大半が千切れ飛んではいたが、負傷はしてないようだ。
「大丈夫ですか!? ご主人様!」
「なんとかな……。」
ゴレムとカンガルーが標的をお互いに変えて争い始めたために、ネルフィアはその隙を縫って窮地を脱した。ゴレムにはカンガルーの攻撃が通じず、カンガルーにはゴレムの攻撃が当たらないようで、無駄を悟ったのかカンガルーは跳ねて撤退していった。残ったゴレムはこちらにゆっくりと近付いてくる。
「んん……!!」
「どうやらまた逃げられんらしいな……。」
必死にネルフィアがノアの身体を引きずって逃げようとするが、荷物や盾を捨ててもまだゴレムの方がわずかに速い。[回復]を使って体力を戻しても、そう距離は稼げないだろう。ノアが[治癒]が解けるのも構わず動こうにも、このダメージでは難しいし、傷が治るまでゴレムが待ってくれるわけもない。
「覚悟を決めるしかないようだ……。」
「そんな……ご主人様……。」
「覚悟を決めて……ここで奴を倒す!!」
ノアは立ち上がって剣を手に取った。難しいということは不可能ではなく、勝算はあるということだ。
ネイチャーゴレムは人間でいう心臓の位置に、弱点のコアがある。それを破壊すれば倒せるのだが、逆に言えばそれ以外の方法では倒せない。足は遅いが極めて頑丈な身体は生半可な攻撃を通さないが、[光刃]の一撃ならコアに届くはずだ。
問題は、その一撃をどう届かせるかになる。
「ぬぐ……ッ。」
[治癒]が解けて痛みは酷いが、脚が無事なのは幸いだった。短時間でも、感覚のない左腕から吹き出していた血を止めるぐらいの効果はあったようだ。
できるだけ引きつけて[光刃]で一突きするしかないとは思うが、間に合うだろうか。体長三メートルはあるゴレムは短足のゴリラのような体型で、歩き方もゴリラのように腕を使っている。身体を支える巨大な腕はリーチも長い。今の身体であれが振り下ろされる前に動ける保証はない。
ノアの狙いを察したネルフィアが申し出た。
「私が気を引きます。その間にご主人様が。」『私が死んでもこの人だけは守る。』
「……分かった。だが命令するぞ、死ぬなよ。」
「はい……!」『この人だけは……!』
果たしてこの命令は通じるだろうか。考えている暇はない。ゴレムの腕が振り上げられた。
(まだ死ねない……メイド服のネルフィアと一日中するまでは……!!)
昨日の素晴らしい時間と、心残りが剣を握る力に変わる。死に瀕した雄が種を残そうとする本能と、どうしようもなく低俗な願望がノアを突き動かす。
だがそれでもどうしようもなく身体は鈍い。
「こっちよ!」
ネルフィアが肉薄し槍を突き立てるが、最低限の効果しかなかった。ゴレムの攻撃を自分に向けるというだけの効果しか。巨腕が振り下ろされると同時に、木の砕ける音がする。
ネルフィアが無事かを確認する時間さえ惜しい。再びゴレムが腕を振り上げたその時、[光刃]を纏った鋼の剣はコアに届いた。




