1-34 旅路の連れ合いは嫉妬
「もっと俺に寄り掛かるぐらいでいい。」
「は、はい。」
満員御礼とまではいかないが、客車はそれなりに混んでいる。せっかく人目を引く程度には見目麗しくなったネルフィアで、偶然隣になった見知らぬ男を喜ばせてやることもない。肩を抱いてネルフィアを引き寄せ独占する。鎖帷子で首輪は見えないが、これでこの娘が誰のものかは周知できただろう。『悪意』というよりは『嫉妬』めいた感情が、乗り合わせた男たちからノアに向けられる。優越感で顔がニヤけるのを我慢するのが大変だった。
舗装された主要街道を走る乗り合い馬車は、結構な速度が出ている。今のノアなら装備なしで[加速]を受ければ、全力疾走すれば並走できそうなぐらいだ。
この馬車でヴェーリンダまで三日かかる行程を、徒歩で旅するのは厳しかっただろう。ましてや最低限の野営の準備もないままでは、野垂れ死んでもおかしくない。
(鉄道で旅する……ってのも無理なんだよなあ。)
鉄道は陸上輸送に優秀だとは思われるが、この世界だと線路の保守が難しい。魔物は舗装された路面でさえ時に破壊の対象とする。通行の邪魔になる線路など尚のことだ。
馬車なら路面の穴はまだどうとでもなろうが、鉄道の線路が破損しているとなれば事故の被害は相応に甚大になるだろう。線路に結界を張る案もあったようだが、コストが折り合わず実現には至っていない。
この世界の不便さばかりを嘆いても仕方ないので、昨日どう過ごしたかなどをネルフィアと話したりしながら旅は進んだ。
「休憩だー。降りるのはいいが出発に遅れないようになー。」
昼頃に宿場町に到着した。馬車が止まり御者が声をかけると、乗客のほとんどは降りて行く。身体を伸ばしたり、食事なりをするのだろう。
「俺らも降りるか。」
「はい。」
宿場町は何件かの店や宿が立ち並ぶ集落で、本当に泊まったりするだけの場所という様相だ。宿付きドライブインとでも言ったところか。
護衛がいるにしても結界の外に出るのだから、念の為に装備を着込んでいた。座ってるだけとはいえ、それなりに窮屈で負担もある。気分転換は必要だろう。他の乗客が鎧を着ているかはまちまちだが、金属鎧はノアだけだったが。
「ふう、結構くるな……ネルフィアは大丈夫か?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。」
ノアよりは馬車の旅に慣れているネルフィアに余裕があるのは分かっていたが、あえて聞いておく。余り動かないでいると、エコノミークラス症候群にならないか若干心配にはなる。なんとかならないかと弁当を食べながら考えると、ちょっとしたことを思い付いた。昼食を終え馬車に戻り出発した後、思い付きを実行してみる。
「……楽になるもんだな。」
革の籠手を貫通し、馬車の揺れはノアの尻をそれなりに痛めつけていた。試しに[治癒]を使ってみると、同じ姿勢を続ける負担がかなり軽減されている。
元より動きが制限される技能だ。負傷の有無に関係なく動かない限りは[治癒]は持続するし、同じ姿勢を続ける時に使えば楽になるのは、当然と言えば当然であった。
このような使い方は技能関連の書籍には載っていなかったが、発見したのは自分が最初ではないだろうとノアは思う。美容に用いられたりなど、技能というものは存外奥深いようだ。
「ネルフィア、そっちの籠手を外してみてくれ。」
「はい。」
ノアが自分の籠手を外して手を露出させながら、ネルフィアにも手を出させて恋人繋ぎをすると、他の乗客には分からないようこっそり[治癒]をかけた。
まだ旅慣れているネルフィアとて、同じ姿勢を続けるのが辛くないわけではないのだ。馬車の中で貪るように舌を絡めたら流石に怒られるだろうから、自重して手を繋ぐだけにした。
大半の客は暇で寝ていたものの、それでも起きていた連中からは『イチャイチャしやがって』と思われていたが、奴隷に旅の快適さを与えるメリットに比べれば涼しいものである。ネルフィアからも囁くように礼を言われ、なんとなくそのまま小声で会話しながら過ごしてしまった。密やかな二人だけの空間、みたいな感じでちょっと楽しい。
特に襲撃などを受けることもなく、夕方頃には宿泊予定の宿場町に到着した。町は昼に通過したものと似た様相だが、多少規模が大きく娼館なんかもある。
宿で部屋を取る際に、男性のみの客には部屋に食事を運ばせてちょっと特別なデザートを食べられる、みたいなサービスが勧められていたようだ。ノアに勧められることはなかったが、どうせ断っていただろうから別に残念ではない。
ネルフィアからの評価はもうランクアップしてしまったのだ。昨晩踏み込んだラインまで突入するのを迷う理由はない。
「この辺でいいか。」
夕食を取って寝るには少し早いが、この宿場町に暇を潰せるようなものはない。公衆浴場さえないのだ。ノアだけならともかく、ネルフィアは暇を持て余しただろう。
なので基礎鍛錬で健全に身体を動かすことにした。町はちょっとした塀に囲まれているとはいえ、スペースは十分にある。同じ馬車に乗り合わせた客の中には宿に泊まらず、野宿を始める者が出る程度には広い。
ネルフィアがギルドで習った通りに身体を動かす横で、ノアも次にやろうと思っていた動作を反復し始める。探心を利用した鍛錬法は、姿を映せる鏡があればより効率的だが、ノアは基本的な動きを体得したことにより、ある程度客観的に自己の動作を把握できるようにはなっていた。
(こう受けて、こう!)
盾で防いでから素早く反撃に移る動作を繰り返す。想定しているのは闇トカゲの噛み付きである。あそこで的確に反撃が決まっていれば、もっと楽だったはずだ。剣だけでなく盾の扱いも習熟してこそ、このスタイルは完成に近付く。それからいくつかの反撃動作を滑らかに行えるようになるまで、鍛錬は続いた。
日も暮れかけちょうどいい時間となり、宿の食堂で夕食を済ませ、アイロン製のぬるま湯で身体を拭いて、控えめの回数楽しんでから床につく。
宿の防音はそこまでしっかりしてないようで時折、他の部屋から嬌声が聞こえてくる。馬車で昼寝した分だけ夜が長いのだろう。ノアは気にせず、ネルフィアを抱き寄せて寝た。
寝坊せずに始まった翌日の旅も、初日と似たような感じとなった。
いくつかの街を抜け、馬車の周囲を馬か何かに乗って囲む護衛たちは、時々何人か馬車を離れては戻ってくる。馬車に被害が及ぶ前に、接近してきた魔物を退治しているのだろう。
夕方頃に着いたのはちょっとした街だったが、ここでも夕食前に基礎鍛錬をしたぐらいで何事もなく通り過ぎる。そうして順調なまま王都を旅立って三日目の夕方、ヴェーリンダに到着した。
「やっと着いたか……。」
ヴェーリンダの街並は王都と比べれば建物の背が低めで、舗装された路面も少なく発展の差が見て取れる。ただ人通りは多く、活気はそれなりにある地方都市という印象を受けた。
流石に三日目ともなると馬車の旅も若干飽きる。ノアは脳内で暇潰しができたが、ネルフィアは寝ている時間の方が多かったのも仕方ない。その分は元気が有り余っているためか、新しい環境に内心では浮き立っているようだ。
『新しい街……美味しいものが食べられるといいなあ。』
ギルドに行ったり宿を取ったりとやることはあったが、ひとまず夕食を先にすることにする。手近な屋台に入ってみると、焼き魚とフライが並べられていた。
湖に隣接したこの街では魚の養殖が行われており、魚が安く入手できるのだ。水産資源から縁遠い王都では、どうしてもその辺は高く付いてしまう。ノアもこの世界に来てから魚を食べるのは初めてである。
「こんなに美味しい魚は初めてです。」
「魚を食べたことあったか。」
「はい、村で暮らしてた頃は近くの沢に仕掛けを置いて、取れたものを何度か。もっとこう、臭みのある感じの味でしたけど。」
多分泥抜きをしてなかったんだろうな、と思いつつ名も知らぬ白身魚のフライをかじる。相変わらずの塩味中心だが、わざわざ養殖するだけのことはある味だ。この街では魚料理が楽しめそうなので良かった。




