1-28 汚すぎて闇堕ちしたわけではない
得られた情報から次に標的とすべき魔物の特徴や脅威度、主な発生域などを比較検討した結果、ネイチャーゴレムを選択することにした。サラリマン風受付の見立ては正しかったと言える。伊達に眼鏡らしきものをかけていない。あれは視力補正用でなく何かの魔道具のようだが。
ある本には「成長は視力を向上させる」という記述があった。記憶から風景を見比べてみれば、確かに成長に合わせて遠くの山肌が徐々に鮮明になっている。であれば相当な手練のサラリマン風受付が、普通の眼鏡を使うわけもない。恐らく魔法的な変装や、透明化などを見破るためのものだと推測される。
眼鏡という日本でも馴染み深いものを思い浮かべたためだろうか、ノアは何度目かになる記憶の再生を行う。元の世界での最後の記憶を。
(何度見ても、やっぱり普通に寝ただけだな。)
最後の記憶はルーチン的な就寝である。召喚主任の言ってたことを信じるなら、寝てる間に死んだということになるだろう。健康状態に問題はなかったと思うし、火事にでもなったのだろうか。安さが取り柄のアパートとはいえ、戸締まりはしていた記憶があるし、誰かに殺害されたというのは考え難い。
魂だけを召喚するのだから、肉体は寝てるだけという可能性はあるが、本当に死んでしまっている可能性を考えれば、元の世界への帰還を試す気にはなれない。今更だが、あれは実質的に断りようのない選択肢なのだろう。いいえを選択しても先に進まない奴だ。仮に本当に戻る勇者がいても、国からすれば別の勇者を召喚すればいいだけなのではないか。
やはりこの国の勇者召喚システムの根底には、何か胡散臭いものがある。
(召喚主任にまた会えば何か分かるか……?)
裏があるとすれば知ってそうなのは確かだが、なればこそ素直には話さないだろう。
表層的な思考が読めるだけでは確実性に欠ける。記憶を探れればいいのだろうが、時間が掛かるのがネックだ。その間、ずっと触れ合っているのは不自然でしかない。
主任に特殊性癖でもあれば別だろうが、あったとしてもそこまで捨て身になるのも憚られる。喫緊の問題というわけでもなし。
(まあ先送りだな。)
未来の自分に解決を期待することにした。自分で積極的に何かしなくても、別の要因で解決の必要がなくなったりすることもそれなりにはある。やることリストには、努力目標の項目を増やしておくことにしよう。
「ご主人様、アイロン掛け終わりました。」
「ああ、ありがとう。」
ネルフィアが夕食後の一仕事を終えたようだ。アイロンはもちろん魔道具である。水変換器と同時期に購入したものだ。
公衆浴場で洗濯した後は、搾って部屋干しするのがせいぜいだった服は皺が酷かったが、それを解消することができた。なるべくネルフィアには綺麗な服を着て欲しい。それと熱を発する魔道具というのは、桶に貯めた水を湯にしたりなど、割と使いようがあるのだ。
よく働いてくれるネルフィアはやはり素晴らしい。裏があったとしても彼女自身は何も知るまい。召喚に関して、召喚主任が口で説明した以上のことは、彼女の記憶にはなかった。安心してこれからも色々と任せることができる。
「じゃあそろそろ寝るか。」
「はい♪」
最重要の仕事を任せる前に、声が弾むぐらい『浮き立って』いた。すっかり楽しんでくれているようで何よりである。保証金を返してもらって風呂に入ってからは、なんちゃって女子高生ルックだった奴隷を抱き寄せ、情熱的に舌同士を絡め合う。
今夜は長くなる予感がした。
よんどころない事情のために出発は遅れたが、今日は久々にトカゲ狩りに出ることにした。これは移動費を稼ぐと同時に、自分がどれだけ強くなれたかの試金石だ。そう頻繁に襲われたりはしないと思うが、昨日の今日で人が多い狩場に行くのもまだ抵抗がある。
朝から思わずハッスルし、消臭魔法を早めに使うことになってしまったのも、この抵抗が原因のようなものかもしれない。実際狩りには出れたし深刻ではないはずだ。
「人がいるな。」
丘の上まで来ると、湿地帯にはちらほらといくつかの部隊が見えた。ウサギ素材の価格が下がった分、トカゲ素材が相対的に価値を上げるのだろう。
「ご主人様となら恐れることはありません。」
「……まあ大丈夫だとは思うが。」
ネルフィアの戦意が高いのはいいことだと思おう。丘陵地帯ほど多くはないし、他の部隊がいない辺りで狩れば問題ないか。
狩りは想像以上に順調に進んだ。何せ以前とは装備が違う。足元は冷えないし、スリングによる投石で先制しつつ誘き寄せてもらえば移動は最小限で済むし、[光刃]を使うまでもなくトカゲは大体一撃だ。成長に加えて、鋼の剣の威力が遺憾なく発揮されていた。まさに泥臭い戦いしかできなかったあの頃に比べ、基本的な剣技を身に付けたのも地味に効いている。適性を大きく上回る狩場ともなればこんなものだろう。
「投げる石を探すのが大変だな。」
投石に使える弾はそこらに落ちているとはいえ、泥の中から探すのは少々面倒だ。面倒なので一度[光刃]を使い、そこらの岩を手頃な大きさにカットして弾を確保したぐらいである。昼までの狩りで毒どころかまともに攻撃も喰らわなかったので、精神力が余るから仕方ない。
石と言えば魔素結晶だが、魔物に投げるのは餌をやるのと同義である。魔物は人間だけでなく別種の魔物を襲うことが普通にあり、魔素を吸収して進化する。同種の魔物を襲わないのは、人間が同じ人間を殺害しても成長できないのと同様に、同種からでは魔素を吸収できないことを本能的に知っているからではないか、とする説が有力だ。
ただ結晶は別なようで、同種の魔物から出たものであっても摂取する。そうでなかったとしても拾いに行く必要ができてしまうので、投げたりしなかったとは思うが。
「? あれは……。」
食事を済ませた昼下がりも順調に狩りを進め、いよいよ沼の淵まで来た時に探心が新しい反応を捉えた。反応のあった沼に目を凝らすと、今までのトカゲとは明らかに違う個体が浮いている。体表の色は真っ黒で、なんと言っても巨大だ。全長三、四メートルほどで通常のトカゲの三倍はある。赤くないので流石に速度まで三倍とは思いたくない。奴が何者かは記憶の中にあった。
「見えるか? あれはダークリザードだろう。昨日読んだ本にも載っていた。」
「大きい……ですね。」
その感想は自分を見ながら言って欲しかったと思うノアだったが、今はそれどころではない。
ダークリザードはダーティリザードから進化した存在で脅威度十、全体的な能力が大幅に強化されており、名前の由来はその闇色の体表及び、闇霧というブレスの一種を吐くことにある。
このブレスは直接的な攻撃力こそほぼないものの、毒を含有している上に長く留まって視界を妨げるのだ。しかもダークリザードには暗視能力があるためか、闇霧の中でも的確に攻撃を加えてくるという。脅威度だけ見ても十分な強敵である。
魔物の進化は人間の成長に比べるとずっと悠長だが、それだけに一度起こると急激に力を持つ。周囲の魔物の定期的な間引きは街の維持の基本らしいが、スライムをエリートのはずの近衛兵が狩っていたのも、その一環なのだろう。スライム自体は問題にならないが、スライムを餌に進化した魔物が出るとなると面倒になる。
「別に狙う必要もないが……そうはいかんらしいな。来るぞ! [堅固]を順次!」
こっちが注目しているのを向こうも気付いたようで、攻撃的な意思を向けられてしまった。探心の射程ギリギリなので百メートル近くは離れているはずだが、闇トカゲは並トカゲよりも遥かに好戦的らしい。
指示に従ってネルフィアがノアと自分に[堅固]を使う間、水飛沫を上げながら凄まじい勢いで接近してくる黒い巨体は、ある程度まで接近すると巨大な水柱を上げながら飛び出し、泥濘んだ地面へと降り立った。流石に並トカゲの三倍とまではいかないが、ただでさえ人間の足が鈍る湿地でこの俊敏さを考えると、逃げるのは無理そうだ。




