1-26 修行回 運動編
昼までの指導料を支払うと、そろそろ懐が寂しくなってきた。分かっていたが鋼の剣は安い買い物ではない。まだ余裕はあるが、次の街への移動費を考えると、もう一度狩りに行く必要がありそうではある。
訓練場にはそこそこ人がいるためか、打ち込み用の標的みたいなものは埋まっていた。この標的はかなり頑丈らしく、実剣や技能を使っている冒険者も多い。或いは鋼の剣に[光刃]を纏わせれば斬れるかもしれないが、あくまで打ち込み用であって試し斬りできるようなものではなく、壊せば弁償らしい。鋼の剣の試しはまた後日として、大人しく基本的なフォームの習熟に努めるべきだろう。
訓練場の壁は傷の多く残る金属製の板で補強されており、鏡ほど鮮明ではないが姿を映せる。素振りのフォームを確認するには十分だ。
あらためて肉厚な剣身を持つ鋼の塊を握ってみる。銅の剣よりも重く、それでいて斬れ味も鋭い。銅の剣はお役御免だが、予備の武器として持っていてもいいだろう。[光刃]でそれなりに威力も出せる。いざとなれば、二刀流という浪漫溢れるスタイルで戦わざるを得ない日も来るかもしれないが、今は剣と盾だ。
実戦を想定し革鎧なども着込んだまま、手本となるスーザーのフォームを思い出す。
半身となって剣持つ右腕を頭上にまで掲げ、右足の踏み込みに合わせて真上から真っ直ぐに振り下ろす一撃。縦の斬撃は基本だと指南役の兵士も言っていた。ただでさえ片手剣は両手持ちのそれに比べ、威力が低い。重力を利用して少しでも力を乗せる必要がある。[光刃]を使うにしても素の威力が高いに越したことはあるまい。
「……まるで違うな。」
実際に振ってみると、軌道は歪むし踏み込みのタイミングもちぐはぐだ。なるべく単純な手本を選んだが、その一振りにも修練の蓄積があるのだろう。やはり一朝一夕に身に付くようなものではない───通常ならば。
「こう……違うな。こうか……!」
ノアは壁板に映る自分のフォームと、記憶の中のスーザーとの違いを正確に把握できる。間違い探しのように修正点を見つけ、ひとつひとつそれを潰していく。もちろんどこを直せばいいかが分かっているからと言って、それを精密に実行できるかは別の話だ。見ただけで動きを完全にモノにできるような才能もない。
それでも修正点が正確に分かっていることは、同じ動作を繰り返す鍛錬において、この上なく効率的であった。
「なるほど、後ろから前に体重を押し出す感じか……。」
更に繰り返すことで、より動作自体への理解が深まりもする。
そして探心を鍛錬に利用する上で最も優れていた点は、フォームが理想に近付いた時の肉体操作感覚を、過不足なく思い出せることにあるだろう。一度上手く剣を振れさえすれば、次はそれを正確に思い出しながら振ることで、前よりそう悪くなるということがない。
鍛錬とは崩れない足場を積み上げる行為だ。一足飛びに強くなれはしない。ただし探心はこの積み上げを、この上なくスムーズに行うことを可能にした。そしてノアは地球にいた頃から、このような地道な繰り返し作業が嫌いではない。
ノアのこの性質はゲームのレベル上げなどに費やされたため、地球で彼を大成させることはなかった。これがスポーツなどに向いていれば分からなかったが、今となっては詮無きことである。異世界に来てから、ようやくこの性質が勇者としての強さを練り上げることに役立つのだから、人生とは分からないものだ。
地球でこのような「作業」をする時には、パソコンやスマホでそれ用の音楽を流したりしていたが、今はそれも脳内だけでできる。作業環境が整うとちょっと楽しくなってきた。
「……よし……!」
同じ動作を繰り返すこと数十分、ほぼ完璧な手本の再現が一度できてから数分、もはや探心の補助なしでもノアはこの一撃を再現できるようになっており、ほぼ完全に体得したと言ってよいだろう。
繰り返しは苦にならなくはあるが、コツを掴んでメキメキ上達するのが自分でも分かっているのは、それはそれで楽しくも嬉しいものだ。
強くなろうとする直接の理由は、命を狙われる経験を経た危機感によるものであるが、それとは別に格好良く剣を振り回して戦えるようになりたいという、男子らしい憧憬がノアの中にも存在した。せっかく剣と魔法のファンタジー世界に来たのだから、多少スタイリッシュに戦えるようになってもバチは当たるまい。
剣を収め盾を外して置き、やや怠くなった腕を回しながら小休止。ふと思い立って銅の剣を取り出し左手に、鋼の剣を右手に持つ。
「[光刃]……駄目か。」
二刀流になったら[光刃]を二本同時に使えるのか試そうとしたが、どちらにも使えなかった。一度に使えるのは片方だけのようだ。両方同時に剣が光を纏ったら格好良さげだったのだが。
間を置かずに連続で[光刃]を使えば似たようなことはできるだろうが、余計に消耗するだろう。スタイリッシュになるのも楽ではない。
銅の剣を片付け、ちょっと[回復]が欲しいなと思って見渡せば、少し離れた場所でネルフィアへの指導は続いていた。
「やっ! はっ!」
スリングの練習をしていた時もそうだが、槍の鍛錬にも身が入っている。盗賊相手を想定しているようで、若干『殺意』が滲み出ているのは多分恐らくご愛嬌。人間、動機が不純なぐらいな方が強くなれると漫画でも言っていたので、それはまあいいだろう。
向こうも小休止に入るようなので近付いて声を掛ける。
「調子はどうだ?」
「はい、大丈夫です。」
「どうせ今日は狩りに行かんから、疲れたら[回復]を使っていいぞ。」
「ありがとうございます。ご主人様はどうしますか?」『もう少しやったら使おうかな。』
「俺、はもうちょっとやってからでいいや。」
思わず「俺も」と言いかけてしまう。
鍛錬は昼までの予定だし、別に今[回復]を貰ってもネルフィアの精神力に余裕はあるだろうが、なんとなく張り合ってしまった。元から体力のある娘だが、ノアとて男と勇者の矜持がある。元の位置に戻って袖で汗を拭い、次の基本的動作を繰り返す。せめてこれをモノにしたら[回復]を貰おうと思いながら。
「なるべく基礎鍛錬は毎日続けるようにね。」
「はい、ありがとうございました。」
昼まで指導を受けたネルフィアが女性教官に頭を下げている。結局[回復]の使用回数はノアの方が多かった。農民パワー恐るべしである。
その[回復]のおかげで数時間の鍛錬は濃密なものとなった。ひとつの動作に習熟すると、他の基本的な動作にも活かせる部分は多く、体得する度に習熟は早まる。城で兵士から教わったものも含め、盾を持ったままでの基本的な片手剣のフォームは、概ね体得できたように思う。
ネルフィアも良い鍛錬になったようだ。次は盾の扱いを含めた少し複雑な動きを手本にしようか。そう考えながら冒険者ギルドを後にした。
昼食は肉にした。運動直後はタンパク質と糖質を取るのが筋肉に良い、という情報を見た記憶がある。プロテインなんぞないのだから肉を食べるしかない。あってもわざわざ摂取しなかったとは思うが。
「中々旨かったな、トランプルホースの肉。」
「精がつくらしいですからね。」『また食べたいなあ。』
この世界でも馬肉はそういう評価なのか。ネルフィアも気に入ったようだ。その分お高めではあったが満足である。
「ついでにあれも食ってから魔術師ギルドに行くか。」
「はい。」『やった!』
糖分摂取を名目に蜜菓子の屋台にも寄っていく。どの世界でも甘味は女子の心を離さないようだ。
もりもり食べるネルフィアを見ながら、別腹の概念を思い出す。異世界なら本当に内臓に別腹を持つ種族がいたりするのだろうか。或いはそれも資料館で調べられるかもしれないが、やることリストに追加するかは迷うところである。




