1-25 フルスケールチートプレイ
その夜、いつものようにネルフィアが尊い献身の末に力尽きた横で、賢者の如き素晴らしく静謐な精神状態を獲得したノアは、あらためて考えを巡らせていた。
一日で今ほど冷静で的確な判断ができる瞬間はないだろう。その判断を後から正確に思い出せる、というだけでもこの新たな力は十分有用なはずだ。
そしてまず思ったことは
「……もっと異世界に来た時に役立つページを見ておくんだった……。」
後悔であった。
既に各世界から知識が流入しているこの世界で、知識無双は無理がある。それでも役に立つ技術や発想はあるはずだが、求められているのはより専門的なものだ。ネット上に転がっている情報でそこまで専門的なものは少ない、というより興味がなかったので見ていない。地方病こと日本住血吸虫症の撲滅の歴史、というフリー百科事典のページのことをふと思い出したりはしたが、読み応えがあって面白くはあったものの、即物的に役に立つとも思えない知識であった。
こんなことになるなら前世で恋人もいない癖に、女性の悦ばせ方が載ってるページをいくつも熱心に回っている場合ではなかったのだ。いや、その知識はついさっき滅茶苦茶役に立ったので、それはそれでいいのだが。
ネルフィアが心から悦んでいるかどうかは分かるが、具体的にどうやれば最も彼女を悦ばせられるかは手探りになる。昨日までとは別人かと思われる程度には悦びを与えられたのもそうだが、うろ覚えで我流になってしまったやり方を見直し、しっかりと基本を身に付けるという意味では良かった。
(そう、何事も重要なのは基本。基本だ。)
今や強くなるということは、やることリストに記載するまでもない終生の努力目標である。
そしてノアが強くなるにはまず基本が身に付いていない。剣の振り方ひとつとっても、半日習っただけの付け焼き刃である。我流で磨くにも限界があるだろう。
ノア自身、自分に非凡な剣技の才があるなどと自惚れてはいない。盗賊相手に見せた、確実に攻撃が当たる状況になってから[光刃]を発動するというのは、剣技というよりは騙し討ちの部類であるし、攻撃のタイミングを計って防御したり、攻撃パターンを速やかに学習したり、初見殺しに近いフェイントを先に知れたなどは、探心によるところが大きい。
現状、ノア最大の強みはこの探心であることは疑いようがない。探心をより活かすためには、敵の攻撃への対応速度を上げるのが一番だろう。逆説的に、分かっていても対応できない速度の攻撃を受ければ、探心は無意味となる。
反射神経を鍛えるのは難しいし、そこは「成長」に期待するしかない。では動きの無駄を減らすならどうか。そこで剣の基本を身に付ける話に戻ってくる。対応速度を上げつつ、地力となる剣技を鍛えられれば、効率的に強くなれるはずだ。
となれば誰かから教えを受けるか、手本となるものが必要となる。そして最高の手本は既に記憶の中にあった。
(まさかあの決闘からこんなにも学べようとは。)
割とどうでもいいと思っていた勇者スーザーと近衛兵団長の決闘の様子は、探心で鮮明に思い返す度に発見がある。ある程度戦いに身を置いた今だからこそ、及ぶ理解がそこにはあった。
何度もコマ送りのように二人の動作を繰り返し眺め、その術理を解明していくと、剣の軌道やら足運びやら体重移動やら、動作のひとつひとつが恐ろしく精密かつ効率的なのが分かるのだ。しかもこれが超人めいた高速戦闘の最中の応酬なのだから凄まじい。
同時にこの高次元の攻防に対する理解は、まだ半分にも及んでいないのだろう、という実感もある。実際に真似できるかと言えばまだとても無理だろう。高度なことを行うには基本が足りなさ過ぎる。
もちろん行われている全ての攻防が高度というわけではない。探してみれば、単純だが突き詰められた基本的な動作はいくつもある。まずはその辺りから素振りを重ね、身体に基本的な動きを染み込ませる必要があるだろう。
考えている内に実際に身体を動かしてみたくもなったが、今は流石に眠気の方が強い。それにバトル漫画の修行回めいたことをするのも悪くはないが、やりたいことは他にもある。
リストにいくつか項目を増やすと、ノアはそのまま意識を手放した。
翌朝、未だ眠りの中のネルフィアの身体をじっくり眺める。八年振り二度目の成長によって急激に伸長した身体は、果たして今も伸びているのかを観察するためだ。ネルフィアの身体については特に強い記憶として残っているが、実際にサイズを計るのでもなければ、正確な比較対照は探心あってこそ可能であろう。
あれから三度の成長を経験したネルフィアは、身長こそ伸びないがその度に肉付きが良くなっていた。主に胸部の。記憶からもそれは確かだ。
やはり肉をしっかり食べさせたのがいいのだろうか。完全に手に余るようになる日も、そう遠くないのかもしれない。
観察もそこそこに冒険者ギルド直営店を訪れる。
「ねんがんのはがねのつるぎをてにいれたぞ!」
なお、殺してでもうばいとろうとするような不逞の輩は現れん模様。残念でもなく当然ではあるが。
換金から流れるように購入した鋼の剣はやはりいい。試し斬りのひとつでもしたくなるが、場所は弁えねばなるまい。こういう時に頼りになるのがサラリマン風受付だ。
「身体を動かしたいならそちらの訓練場へどうぞ。指導を受けるなら有料となっております。」『己を高めようとするのは悪くない。』
「訓練場ね。それとこの世界のことで調べ物をしたい時に適当な場所は?」
「それなら魔術師ギルドの資料館がよろしいでしょう。こちらは入場料と保証金が必要になります。」『知識も得ようとするか。この勇者は長生きしそうだ。』
実直に業務に徹しながら、的確な対応を見せるこの人物からの内心評価が高いのは、ちょっと嬉しくはある。荒くれが多い冒険者への応対を業務とする以上、業前も並ではあるまい。
長生きできない勇者もいるんだろうなとは思っていたが、やはりと言ったところか。自分はそうはなりたくないものだ。
やりたいことが叶えられる場所はどちらもギルドにあった。訓練所は冒険者ギルドの奥にあるので、早速利用することに。その前にネルフィアにも行動の自由を許すことにしよう。
「今日は狩りは休みにする。俺は昼までここで剣を振ってる予定だから、それまで自由にしてていいぞ。」
「では私もご主人様と同じようにしていいでしょうか?」『もしもの時は私がご主人様の盾にならなきゃ。』
「……まあそれも自由だ。」
羽根を伸ばせばいいのにとも思うが、使命感溢れる内心を無下にすることもないので許可する。
この奴隷は昨日の夕食からこっち、また盗賊が卑劣な罠を仕掛けてきたら、主人の代わりに自分が身を挺せねばならない、といったようなことをよく考えていた。確かにノアが先に死ねば道連れなのでそれよりはいいのだろうが、先走って身体を張られても困る。流石に訓練所にそこまでの危険はなさそうだし。
「せっかくだから槍の指導をしてもらうといい。」
「私よりご主人様が受けられては……。」
「まあ俺にはちょっと考えがある。城で兵士の手解きも受けたしな。」
父親から手解きを受けたネルフィアの槍はそれなりだ。ただ父親も農夫の域を出てはいなかったようで、それなりでしかない。
ネルフィアにも一度、基本を学ばせておくのはいいだろう。城でも一応の戦闘訓練は受けたようだが、家事などの主への奉仕の仕方を学ぶことがメインだったらしい。
避妊魔法の習得が最優先だったのは、概ねどの世界から来ても男がやることなどひとつ、ということなのだろう。
槍の指導を行える教官は今二人いて、男性と女性のどちらかを選ばせてもらえるようだ。
「ただでさえネルフィアの体格は小さいし、同じ女性の方が学びやすいだろう。」
「はい、ありがとうございます。」
「しっかりな。」
実のところ、男の教官が『指導だから身体に触れるのは仕方ないな』とか思っていたのが女性を選んだ理由だったりする。
どの世界でも男がやることなどひとつなのだ。




