1-24 方便という名の麻酔薬
「はぁぁ~~……。」
湯船に浸かって生きていることを実感する。
他人から悪意をぶつけられ、命を狙われる経験は恐ろしかった。この恐怖こそが、次はこんな目に遭うまいと人を高め生き残らせるのかもしれない。なるべく味わいたくはないが、恐怖という味覚に鈍くなるほど寿命が縮むような気もする。とりあえず、今は生きていることを喜ぶべきか。
結局、衛兵には盗賊のことは報告しなかった。さっさと風呂に入りたかったし、事情を説明するのも面倒だ。盗賊連中は冒険者としても活動できていたのだから、賞金なども掛かってはいまい。返り血は拭って消臭魔法もかけたので、何があったかは分からないだろう。
今日着ていた服を洗濯するため、男湯入り口前で裸になってネルフィアに託したりもしたが、実際に洗濯する苦労に比べれば些事だ。あらためてよく働いてくれるネルフィアには感謝しかない。
今日の戦いを振り返ると、もっとこうすればよかったのではないかと思う部分は色々ある。例えば[回復]はまだ使えたのだから、体力を回復しながら逃げの一手を打てば、逃走できた可能性は高い。また付け狙われるだろうが、とりあえずは生き残れた。盗賊にも賦活師がいなければの話だが。
後知恵で考えを巡らせることはできるが、あの場で思い付かなければどうしようもない。ノア自身、悪意をぶつけられて冷静ではなかったのだろう。結果的に大した負傷なく生き残れたのだから上出来ではあるが、もっと慎重に立ち回っても良かった。
相手の戦力が事前に分からないというのはやはり怖い。探心で計画が探れたので、相手が大人数でないことは分かっていたが、相手がノアたちでも勝てるぐらいの強さでしかないというのは、希望的観測に過ぎなかった。もっと強ければこんなところで盗賊をしているはずがない、などというのは甘い考えだろう。序盤で戦えばほぼ確実に全滅を喰らうであろう強敵が、分かりやすくアイコンを出して彷徨いてくれてるわけもなし。
こういう時に鑑定系の能力でもあれば楽なんだろうな、とは思う。探心は探心で便利なので、ないものねだりでしかないが。
では予め彼我の戦力差が分からなければどうするか。シンプルな対策だが、とにかく強くなるしかないだろう。幸いにも勇者という天職には恵まれている。どんな相手であっても、勝つないし逃げられる程度には強くなっておけば、理論上は生き残れるはずだ。最終的に暴力が物を言う事態には、これからいくらでも直面するだろう。強くなっておくのに越したことはないのである。
方針が決まったところで目標を決めようと思った。今まで見た中で最も強かったのは誰か。言うまでもなく勇者スーザー・ベルクホルンと、近衛兵団長だ。あの二人は隔絶していた。スーザーが召喚されたのは三年前らしいから、あの領域に達するには同程度の期間は魔物狩りに精を出す必要があるのだろう。
あのぐらい素早く動きながら斬り合いができるようになれれば────そう思った時に気付いた。
(こんなにはっきり見えていたか……?)
二人の戦いを見てはいた。しかし、その動きを捉えることなどできなかったはずだ。なのに今は確かに思い出せる。スーザーの振るう精巧な意匠の剣────相当な業物は微かに発光しており、[光刃]を使っていたであろうことまでもだ。
まさかと思い、王国の長ったらしい名前を思い出そうとすると、やはり思い出せた。
「おおっ!! ……あ、いや、すいません、何でもありません……。」
思わず声が出てしまい、変な注目を浴びてしまった。だがそれだけの衝撃を伴う気付きがあったのだ。
先程までノアは、国名のことなど完全に忘れていた。盗賊の襲撃などという強烈なイベントがあったのだ。大して興味もなく覚える必要のない国名など、忘れて当然である。しかし思い出すことができた。できてしまった。
これはノア自身が、前世も含めて記憶力が抜群にいいというわけではもちろんない。例によって思い当たることはひとつだ。そう、探心の記憶を探る力である。
この能力は自分自身にも使用可能であり、今までの記憶を確実に思い出せるようになっていたのだ。朝から妙に記憶が蘇ったり、巨漢盗賊の動きに割と早く対応できたのも、この能力を自然と使っていたためだろう。前世からの記憶があるノアにとって、これは相当なアドバンテージになることを理解した。
ネット上で流し読みした知識や情報は、モノによってはこの世界でも活かせる。知識によってはあの召喚主任に届け出れば、また奴隷が貰える可能性もあるだろう。ようやくネット小説の主人公並にチート能力になったのではないか、などと思いつつやってなかったお約束を思い出す。
「……ステータスオープン。」
ぼそっと呟いたそれで、ステータスウィンドウが開かれることなどなかった。所々ゲーム的な要素のある世界ではあるが、そこまでゲーム感はないし、ノア自身にもステータス閲覧能力はないようだ。
気を取り直して自分の記憶を探ってみる。毎週見ていたテレビ番組なんかも鮮明に思い出せた。一度見たものに限られるが、暇潰しには持ってこいだろう。とりあえずお笑い番組を思い出すのは危険だ。この上なく思い出し笑いが酷い。
その後も能力の使い方について思案を続け、多少のぼせてしまったかな、と思った辺りで立ち上がり時計を見ると、ネルフィアとの待ち合わせ時間を少し過ぎていた。慌てて風呂から上がりつつ、ひとつ学習する。
この能力はあくまで思い出そうとした記憶を掘り起こせる能力であって、忘れずにいられる能力ではないのだ。朧気な記憶は思い出そうとしなければそのままだし、やろうと思っていたことを忘れたままでいれば、機会を逸してしまうことは十分に起こり得る。
とりあえず心の中にやることリストを作り、何かある毎にリストに書き込んだり参照したりで対応することにした。
古い順に「家買ってネルフィアと風呂に入る」だの「ネルフィアにブラを買う」だのといった項目が並ぶのは、自分でもどうかと思う。明日には「鋼の剣を買う」の項目が消えるはずなので、ちょっと自分の人生について考えてしまった。
「遅れてすまんな。少し考え事をしていた。」
「いえ、大丈夫です。」『何もなくてよかった。』
既にいたネルフィアは待つのを苦に思うでもない。むしろ主人の身を案じさせてしまった。少しでも早くこの忠義に篤い奴隷を可愛がるべく、やることリストに「明朝、ギルドで換金」の項目を追加して宿に向かう。
道中でネルフィアの思考を探ると、若干面倒なことを考えていた。
『盗賊を殺さずについて行ったのは何故だろう? ご主人様も敵だと符丁で言ってたし、殺してから他の盗賊を殺しに行ってもよかったのでは……?』
待ってる間にも同じことを考えていたようで、ノアも一連の流れを正確に思い返してみれば、確かに不自然ではあった。
相手を盗賊と断じるなら、敵戦力を減らすために背中を向けた時点で斬ってもよかった。相手を敵扱いする符丁を出すのが早過ぎたと言えばそうだ。盗賊の計画を逆手に取るような行動が打てたのも、計画が見通せていればこそなのである。
かと言って探心のことを今更明かすつもりもない。まだ聞いては来ないので放っておいてもいいのだが、とりあえずうまい言い訳を考えることにする。そうしてネルフィアの疑問は、宿で食事をしている時にぶつけられた。
「……ということであの時、先手を取ってもよかったと思うのですが。」
主人を思っての進言だ。実際、危機管理意識は重要なので褒めるべきところだろう。
「うむ、よく言ってくれた。言いたいことは分かる。あそこで攻撃までしなかったのは、あの時点ではまだ本当に助けを求められている、という可能性もあったからだ。」
予め用意しておいた理論武装を、噛んで含めるように並べていく。早口にならないよう注意しつつ。
「確かにあいつは怪しかったし、君にも敵だと思えと警戒を促した。実際、盗賊ではあったしな……だがそれは結果論だ。」
「あ……!」
ネルフィアもノアが言いたいことに気付いたのが分かったが、最後まで続ける。
「俺も地面をよく見たら不自然だったとか、土の山の陰に人がいるのがチラッと見えたから、あれが罠で相手を盗賊だと断定できたんだ。相手が悪人かどうかを疑うのは、もちろん身を護るために大事なことだ。だが疑う余り、そうでない者に斬りかかっちゃいけないってことさ。いいね。」
「はい……!」『私には見えてなかったものがこの人には見えてる。すごいなあ。』
もっともらしい理由をこじつけられたと思う。向けられる尊敬が痛いほど強いが、まあそれはいい。言ってることもそんなに間違ってはいないはずだしな、と心に麻酔をするノアであった。




