1-23 二人だけの卒業式
巨漢の盗賊は強敵であった。[光刃]がなければ勝ち目は薄かっただろう。それでも今立っているのはノアの方であり、地に伏したのは巨漢の方である。
腕を抑えてうずくまる巨漢の戦闘能力が失せたことを確認し、ネルフィアの方の様子をあらためて見ると、怪我人役の盗賊は辛うじてまだ立ってはいるが、何箇所も穴が空いていた。
怪我人役は弓矢を得物にしているらしかったが、今手にしているのはショートソードだ。接近戦用のサブウェポンなのだろうが、槍を相手にするには分が悪かったようである。
「ネルフィア、手は必要か?」
「……いえ、やらせてください。」
盗賊に対する憎しみがあるとしても、同じ人間を傷つけ殺害せしめる行為への心理的抵抗は強い。真っ当な性質の人間であれば尚更だ。止めを刺すのを『迷う』ネルフィアに掛けた声は、彼女の『決意』を固めさせる。
憎しみは何も生まない、などと安っぽいことを言うつもりはないが、ネルフィアにはそんなこととは無縁に生きて欲しいという気持ちはある。だがノアは彼女の選択を尊重した。
この世界で武器を手に生きていくなら、このようなことはいくらでもあるだろう。ここで彼女が手を汚すことを止めるのは、欺瞞でしかないのだから。
そういえばと穴に落とした盗賊を探ってみると、人間大の生物の反応はなかった。
「これは……。」
穴を覗いてみると、どうやら頭から落ちて首を折ったらしい。
落とし穴は余程深く掘らない限り、単体では即死性の低い罠である。通常、引っ掛かる時は足から落ちるためだ。出られない程度に深くはあるが、底に突起物を仕込むなどして致死性を高めなかったのは、ネルフィアで愉しむ間はノアを生かしておくためだろう。にも拘わらず死んだのは天罰覿面といったところか。思わぬタイミングで童貞を卒業してしまった。
「……まあいいか。」
これから自分もネルフィアの決意に習い、巨漢に止めを刺そうと思っていたのに拍子抜けである。経験済みだし今更という感は出てしまったが、それでもやろうと思えば気分は良くない。さっさと済ませてしまおう。
「うぐぐ……た、助げてぐれえ……もうこんなごとはしねえよお……。」『いつか必ずぶっ殺じてやるう……。』
「許さん、死ね。」
「ごべっ……!」『そんなー……。』
土下座のように身体を丸めて命乞いする巨漢の背中に、剣を突き立てる。こいつが全く反省しない悪党だったのは不幸中の幸いだろう。迷うことなく止めが刺せた。
ネルフィアが盗賊に止めを刺すのを見ながら、こいつらが襲ってきた動機はなんだろうかと考える。金と女が目当てなのだとは思うが、標的をノアたちに絞ったのは何故か。止めを刺す前に記憶を探るべきだったかとも思うが、後の祭りである。
こいつがまだ生きてたりしないかなと巨漢を見た時、不意に思い出した。人間は心肺が停止しても脳が数分間生きているという、漫画で得た知識を。
「……お、いける。」
籠手を外して物言わぬ巨漢の後頭部に触れると、まだ記憶を探れた。死ぬ間際ともなれば、睡眠時と同じく無防備なようで読み取りも楽だ。
発端はノアたちにウサギを横取りされたこと。これは多分逆恨みだと思われるが、当人にとってはそれが正しい認識なのだろう。ノアたちの部隊が二人しかいないことや、ウサギ素材が安くなってきていたり、本来の武器の大剣を賭け事のカタに取られるなどの要素が重なり、犯行に及んだようだ。部隊の連中と組んでの盗賊行為も初めてではなく、豊富な対人経験はそこから来ている。
数日前からノアたちの帰るルートを調べて、そのルート近くの適当なこの場所に落とし穴を設置。ネルフィアがいなければ、最初から包囲するようにして遠距離攻撃を加えるつもりだったらしい。そうされていたら危なかっただろう。
金だけでなく女を得ようと欲をかいたのが、結果的にこいつらの首を絞めたのだ。落とし穴を掘った土をそのままにしてたり、蓋の偽装が手抜きなど粗があったのも、貧すれば鈍するといったところか。そこで巨漢は完全に息絶えたが、組織的な背景はないと分かれば十分である。
「ご主人様?」『何をしているんだろう?』
為し遂げたネルフィアが寄ってきていた。記憶を探ってたとは言えないので誤魔化さねば。
「少し……祈りをな。」
「祈り、ですか?」
「こいつは盗賊だが、戦士としては強かった。その分は冥福を祈っても、バチは当たらんさ。」
「……はい。」『この人は、大きいなあ。』
適当ブッこいただけなのに妙な尊敬を集めてしまった。罪悪感がなくもないが、わざわざ否定はしない。ごめんね実は小物で、と内心で謝るノアであった。
その後は水変換器から出した水で返り血を拭いたり、水を飲んで休憩したりした。
冷静になってくると、人を殺したという後味の悪い実感が込み上げてくる。休憩の間中、ノアとネルフィアはどちらからともなく抱き合って過ごした。お互いにこの人がいてよかったと思う時間は慰めとなり、二人の心を多少なりとも癒やしたのだ。
「盗賊に襲われて返り討ちにしたら、衛兵に届けた方がいいのか? あと盗賊の持ち物は?」
「別に届けなくても構いませんし、盗賊から得た物も自由にしていいはずです。」
ついでに盗賊を捕らえても基本的に死罪なので、盗賊を殺すのも全く問題ないらしい。
ちなみにこの世界、嘘を吐くことのできない死後の魂からの事情聴取を可能とする死術師がいるので、街での突発的な殺人事件は割とすぐ解決するとのこと。ノアは科学捜査ができなければ死人に口なしだと思っていたが、そうではなかったようだ。元より殺人の予定などなかったが、ネルフィアの好感度は別にしても、迂闊な悪事を働かなくて正解であった。
それでも結界の外でなら、魂が消散するまで十分に死体を隠せるし、魔物が始末してくれることも期待できる。結界の外がそれなりに無法地帯であることには、そう変わりないようだ。
「……うーむ、シケてるな。」
巨漢と怪我人役の荷物を漁ってみたが、大したものはない。現金は数日分の宿代程度、収納袋を始めとする魔道具の類は一切なく、使えそうなのは穴を掘るために使ったと思われるスコップとロープ、襲撃に使う予定だったスリングと木製の弓矢ぐらいだろう。
細剣は斬ってしまったし、ショートソードもよく見れば刃こぼれが酷い。革鎧などの防具類は血塗れだったり、穴が空いてたりで使い物にならない。金に困って人を襲おうとしたのだから、金及び金になりそうなものを持ってないのは、当然と言えば当然であった。
この調子では大したものはあるまいと、穴に落ちた奴は面倒で調べていない。短槍も折れていたし。とりあえず使えそうなものと現金だけいただくと、死体は穴に放り込んでおく。せっかく苦労して掘った穴だ。当人たちの墓穴として再利用してやろう。軽く土をかけて帰ることにする。
「弓は使えるか?」
「いえ。」
「じゃあこっちは?」
「それならなんとか。でも練習が必要になると思います。」
「よし、じゃあこれはネルフィアが持っていてくれ。」
帰り道を歩きながら、スリングをネルフィアに渡す。この世界でも遠距離攻撃は脅威だ。手っ取り早い対策は、こちらも遠距離攻撃手段を持つことだろう。ノアには[魔撃]があるが、ネルフィアにも何かしか持たせるつもりだったので、ちょうどよかった。
「ありがとうございます、さっそく練習してもいいでしょうか?」
「いいぞ、人がいないことをちゃんと確認して投げるようにな。」
適当な石をスリングの幅広になってる部分にセットし、振り回し勢いをつけて進行方向に投擲。投げた石を拾ってはこれを繰り返す。帰路の速度は多少落ちたが、これぐらいはいいだろう。
ネルフィアの熱心な練習は、王都が見えるまで続いた。




