1-22 冗談抜きの死闘
男は短槍と革鎧で武装しており、冒険者のように見える。タグを下げているのだから、実際冒険者ではあるのだろうが、こちらに向ける『悪意』は本物だ。
ノアたちは警戒しながら足を止め、男が残り十メートルまで来たところで声をかけた。
「そこで止まれ! 何の用だ?」
「ああ助かった。あんたら手を貸してくれないか? 俺の相棒が魔物にやられて動けなくなっちまってよ。」『まあ罠にハマってもらうんだけどな。』
男は冒険者を兼業する盗賊であった。幾つか質問をしつつ思考から目的を探ると、男たちは三人組で落とし穴を仕掛けており、そこにノアを落として荷物などを奪うつもりのようだ。
直接襲いかかってこないのは、ネルフィアで愉しむためである。首輪でネルフィアが奴隷なのは分かるし、主人を殺せば殉死してしまうので、深めに掘った落とし穴に閉じ込める計画なのだ。正直このまま放っておいて帰ってもいいところなのだが。
「うーむ、疲れてるしなあ……。」
「頼むよー、俺一人じゃ運ぶのに手が足りなくてさあ。街に帰ったら礼もするからさあ。」『来ねえなら石と矢をお見舞いするしかねえよなあ。』
乗り気でない素振りを見せると、遠距離攻撃を主軸にした第二のプランが判明した。
汎人や獣人の区別なく交配可能な人間同士からでは、相手を殺害しても魔素は吸収できない。遠距離攻撃を可能とする武器が敬遠される理由のひとつは、同じ人間を殺すのに魔素の吸収という気兼ねがないためである。
「分かった、行ってみよう。」
「そいつぁありがてえなあ。こっちだ、着いてきてくれや。」『引っかかったぜ間抜けめ。』
「いいさ……天気もいいしな。」
天気の話は、相手が敵であることを伝える符丁だ。
ノアは探心でネルフィアの考えを斟酌することが容易であったが、それだけに自分の意思を伝える手段は重要になると考えていた。ネルフィアの間で通じる符丁を、予めいくつか決めておいたのである。ネルフィアの『警戒心』が『敵意』に変わり、『疑問』が混じった。
『この男は多分盗賊……ご主人様は何故殺さないの……?』
『敵意』どころか『殺意』だった。それはともかく、ノアが攻撃の符丁をネルフィアに出さないのは、相手に遠距離攻撃手段が多いためだ。
このままこの男を倒したとしても、残りの二人が追いかけてきて、遠距離攻撃を仕掛けてくるだろう。ノアだけなら盾を使って身を守れるかもしれないが、ネルフィアを守りながら弓矢や、スリングによる投石などの攻撃を凌ぐのは難しいだろう。こちらの有効な遠距離攻撃手段は[魔撃]のみで、狩りで消耗した今の状態では残弾は心許なく、急激に精神力を消費する連射などは望むべくもない。
なればここは敵の計画に乗せられた振りをして、近接戦闘を仕掛けた方が勝算が高いと踏んだのだ。口頭で説明するわけにもいかないので、代わりにネルフィアに向けて歯列を剥き出しにした笑みを浮かべる。この主人が普段このように笑うことがないと知っているネルフィアも、これで何か考えがあるのを理解した。
男に誘われるまま少し歩くと、進行方向に人間二人の反応を探知した。少し入り組んだ場所に入っていく。念のため、周囲からの視線を遮るための地形だろう。
これから人間相手に殺し合いをしなければならないのかと思うと、気分が沈む。こんな世界だから、いつかは人殺しをする日も来るのだろうと漠然と思ってはいたが、ついにその日が来てしまった。しかし逃げることはできない。ここで逃げおおせたとしてもこいつらが諦めるとは限らないし、既に頭の中でネルフィアをどう犯すか考えているこの『悪意』の持ち主を、許す理由もないのだ。
ネルフィアという自分にとって最大の財産を守護るため、悪漢への怒りが戦意となって燃え上がり、ノアの歩みを支えた。想像でならともかく、現実で女を寝取られる性癖などない。ないのだ。
「そこだ……やべえ倒れてる! 急いでくれ!」『穴はあそこだな。気付くなよ間抜け。』
怪我人がいるという状況で急かすことで、判断力を奪おうとする程度の知恵はあるようだ。あの倒れている男の手前に落とし穴があるのだろう。よく見れば地面が不自然なのは分かるし、倒れている男の脇には土が小山のように積み上がっている。そして落とし穴を掘って出たと思われるそれの陰に、最後の一人が隠れていた。
冷静に考えられさえすれば粗の多い作戦だが、探心がなければ騙されていたかもしれない。
「ああ、急がないと……なっ!」
「でっ、なっ!? ああああ!!」
前を歩いていた男を蹴り飛ばし、落とし穴に招待してやった。戦闘開始である。
「雨が降りそうだ、倒れている男を!」
「っ! はい!」
抜剣しながら念の為、符丁で攻撃の指示をネルフィアに出す。恐らく血の「雨が降りそう」なのだ。
戦端は既に開かれたが、身体を丸めて寝ている怪我人役の男は、それが災いして状況を把握できず『混乱』している。今なら先手が取れるだろう。そしてノアは小山の陰に潜んでいた男の方に当たる。
[堅固]はまだ切れていないし、[光刃]も使えるならやれる。やれるはずだ。
「このおおお!」
隠れて様子を窺っていた男は二メートル近い巨漢で、野太い声を張り上げ襲いかかってくる。ただし得物は細身の鉄剣だ。釣り合わん武器をしてるなと思ったが、すぐ考えをあらためることになった。
「このっ! ごのおっ!」
「ぬっ、くッ……!」
細身の剣は軽く、速い。成長で生命力が高まり、[堅固]が効いているのだとしても、急所に喰らえばただでは済むまい。盾で致命傷は防いでいるが、細かい攻撃で削られていく。
この巨漢の男は明らかに対人戦に慣れており、身体能力も高かった。恐らくノア以上の成長を重ねた戦士なのではないか。身体能力が最もよく伸びる代わりに、一切の技能を覚えないのが戦士であり、技能を使ってこないことからもそれは分かる。
その上この巨漢、それほどモノを考えずに手数で圧倒してくるタイプだ。細剣の速度もあいまって、思考を探ってから対応するのが間に合わない。しかもこちらはほぼ初めての対人戦だ。なんとか攻撃を仕掛けても回避され、次第に防戦一方となり受け流しを行う余裕もない。
状況は不利であった。だが絶望的な差ではない。耐えている内に速さと攻撃パターンに慣れてきた。考えないということは、単調になりがちということでもある。
生まれた余裕でネルフィアたちの様子を探ると、早くノアの援護に向かおうと焦るネルフィアよりも、先制攻撃を受けて負傷したらしい怪我人役の方がもっと焦っていた。向こうは多分大丈夫だろう。
『こんにゃろう……これの次は右と見せて左だ!』
攻撃があまり通じなくなったことに業を煮やし、明確な思考を巨漢が浮かべた。ここでこれまで見せなかったフェイントを仕掛けてくるのは、確かに有効な一手だろう。対人経験の豊富さを感じさせる。
「おおお!……あっ!?」
だが思考を探ってくる相手は、この巨漢にも想定外であった。
フェイントに正確に合わせた盾による払いは細剣を弾き、巨漢の身体を泳がせる。この隙を逃さず放たれる銅の剣の一撃を、巨漢は防げると思っていた。所詮は斬れ味鈍い銅の剣であり、身体が泳がされた状態から反撃や回避は無理でも、軽い細剣を手元に引き戻すのは間に合う。
実際、間に合いはした。
「[光刃]んんんッ!!」
「がっ……ぎゃあああああ!!」
圧倒的な斬れ味が宿った一撃が、細剣ごと巨漢の腕を切断する。最初から[光刃]を使っていれば、巨漢はもっと慎重になっただろう。この一撃が決まったのも、チャンスを忍耐強く待ったからこそだ。そして何日も掛けて魔物相手に磨いてきたスタイルが、ついに勝利を手繰り寄せたのである。




