1-21 最終的に月を貫通
「……シューヴェインヴァルトロフオブリエルドノーマナライズ……意外に覚えてるもんだな。」
翌朝、王国名と王都名を兼ねるクッソ長い名前を思い出そうと思ったら思い出せた。そんなことより探心はどうなっただろうと、オフにしていた能力を展開する。
───世界が広がった。流れ込む莫大な情報量が脳を掻き乱す。
「ぐ、がっ……!」
感情を拾い上げる射程範囲が圧倒的に拡張されている。半径八十、いや百メートルはあるのではないか。それだけではない。
『あー、起きたくねえなー。』
壁を隔てた隣室の客とおぼしき人間の思考までもが伝わってくる。昨夜も散々ネルフィアに声を上げさせたのに壁ドンなどされなかったので、防音が急に駄目になったということもないだろう。思考の読み取りさえも、直接触れるまでもなく可能になっているのだ。
「……んぬ……はぁ。」
ひとまず能力を完全にオフにする。想定通り睡眠によって能力は成長したが、この能力を扱うためのノア自身のスペックが上がったわけではなく、脳への負荷が酷い。今のはちょっと危なかった。恐らく自身の能力に潰される召喚勇者もいるのだろう。とんだ転生ガチャを回させられたものである。
範囲を絞って探心を発動すると今度は平気だった。色々と試してみると、思考を読める範囲は半径十メートル程度はある。感情を拾わないようにして、何かしら思考する生命体がいるのを探知するだけなら、範囲を最大の半径百メートルまで広げても問題ない。特定の誰かに絞れば、百メートル先のその誰かの感情を拾うこともできる。更には拾うべき感情や思考をフィルタリングすることまで可能だ。自分に向けられる悪意だけを検出し、それが範囲内に入れば分かる、といったようなこともできるだろう。
「これちょっとすごいな……。」
奴隷と引き替えにでも能力を聞き出そうとする訳を理解できた。これだけの範囲があれば、まず魔物から奇襲を受ける心配がない。それだけでなく、悪用も含めれば相当なことが可能になるだろう。他人の秘密を握って脅したりするのが、この能力の最大の活かし方であろうことは間違いない。明らかに魔物に対してよりも、人間に対しての方が効果が高い能力なのだから。
「ん、ふ……。」
ふとベッドで身じろぎするネルフィアが眼に入った。
探心の悪用は容易だろうが、きっとこの奴隷からの好感度は下がるに違いない。ほぼ四六時中一緒に居るので、隠れてやるのにも限度があるだろう。奴隷なんだから従ってはくれるはずだが、どう思われるかまでは変えようがないのだ。
これから先、この奴隷に悪感情を抱かれたままずっと過ごすことになると思えば、悪用は控えた方がいいか。それはそれで支配欲を満たせなくもなさそうだが、せっかく上げた好感度を下げるのももったいなく思える。
ネルフィアを思ってした行為が、当人にはイマイチな感じだったことも一度や二度ではない。そういった苦労を乗り越え、盗賊に対する復讐心を除けば概ね純朴で気立ての良い娘を、ようやくここまで染め上げられたのだ。
何よりネルフィアから寄せられる信頼や、日々育っていく愛情の心地良さを知ってしまった今となっては、それを捨てるなんてとんでもないのである。
別に正義の味方を気取るわけでもないので使う時は使うだろうが、その時はゲームで悪人プレイ時の名前の「カイン」でも名乗るべきだろうか。
そろそろネルフィアを起こそうかとその肩に触れた時、イメージが読み取れる。肉と蜜菓子が飛んで逃げていき、どちらかしか食べられないけど追いかける夢だ。途中でネルフィアも空を飛んで雲を突き破る辺り、夢だけあって中々エキセントリックではある。
人は寝ている時に読み取れるような思考をしてはいないが、夢のイメージは別だ。イメージの読み取りには相変わらず接触が必要なようだ。ネルフィアの夢を見ることは何度かあったが、前はどんな夢を見ていたかと思い出そうとした時である。
「……なんだ? これは夢……?」
ここ最近の夢───巨大な槍で山を削り取る内容のものにはノアも覚えがあるのだが、明らかに覚えのない内容の夢が混じっていた。このような不可思議なことが起こるとすれば、思い当たるのはひとつしかない。探心の直接接触効果だろう。触れずとも思考の読み取りが可能となった今、直接接触には新たに記憶を探る力が開花していた。
悪用しろと言わんがばかりの能力だ。こういうことができるから読心系能力者は社会から弾かれるのだろうな、という否応なき実感がある。記憶の積み重ねこそは主観的な人生そのものであり、これは相手の人生を盗み見るに等しい。
とはいえ奴隷は主人の所有物であるので、その人生を知るぐらいは許されるはずだし、能力の正確な把握は急務である。それにネルフィアの人生の責任は取る予定だしな、と自己弁護が済んだところで記憶を探る。具体的には過去に男がいなかったかを探ってみた。
「……ぃやった。」
思わず声が出てしまうぐらいには嬉しい結果が出た。ネルフィアには過去にまともな恋愛経験はなく、ノア以外に男性としての好意を抱いた相手さえいなかった。強いて挙げるなら亡き父親がそうだが、流石にそれはノーカンだろう。
初めての男が自分であることは分かっていたが、様々な意味での初めてを独占できているという事実が、ノアを歓喜せしめた。あらためて自分の小物振りと、これからもネルフィアを大事にしたい所存であることを確認する。
とりあえずはもう少し寝かせておいてあげよう。肉と蜜菓子を追いかけたまま、月まで行きそうな夢の続きもちょっと気になる。
その後、目覚めたネルフィアの記憶を探ろうとしたところ、抵抗のようなものを感じた。どうやら意識が明瞭である時に記憶を探るには時間がかかるし、睡眠時など精神的に無防備であれば容易となるようだ。
思考を拾えるからといって、拾いまくるのも考えものだ。スリなどの悪人を捕まえるぐらいのことは簡単だろうが、いちいちそんなことをやっていてもキリがない。やったとしても悪事をどうやって知ったのかという話になり、探心が露見するリスクも高まるだろう。
会話している相手や、悪意を持って近付いてくる相手など、一定のラインを引いて使う必要がある。あと単純にうるさい。
「よし、今日はこんなもんでいいだろ。」
大いなる力には大いなる責任が伴うらしいが、この力で大それたことはするつもりはないので、それで責任は果たしたと言えるのではないか。などと考えてる内に今日のウサギ狩りも終わりだ。
魔物の思考を探るのは無理なようだが、感情は相変わらずなので、有効射程範囲の拡大は索敵に凄まじく便利で捗る。高低差のある丘陵地帯を、魔物を探して歩き回る距離が最小限に抑えられるだけでもかなりの効果だ。
索敵効率が妙に上がっていることをネルフィアに気取られないよう、わざと見当違いの方を歩くことも考えたが、今のところ疑問に思われていないので普通に効率重視にした。
ようやく鋼の剣を買える金が貯まったはずだ。随分と遠回りしたものである。帰り道も慣れたものだ。
魔物の思考は読み取れないが、雑音のようなものであっても種類の違いを判別するぐらいはできる。あの茂みの中にスライムがいるなとか、窪地になってるところにノットドッグがいるなとか。
「……?」
人間の反応が近付いてくる。明らかにこちらを発見した動きだ。
「おーい!」
「……気をつけろ、ネルフィア。」
「はい……!」
五十メートルほどの距離まで来て、その男が声をかけてきた。慌てたように走って近付いてくる。声を掛けるまでもなくネルフィアは『警戒』していたが、その反応は正解である。目的は分からないが、明らかにこいつは『悪意』を持って接近してきていたからだ。




