1-20 名前を言いたくならない御国
目が覚めると裸の奴隷が隣で寝ている生活は、果たしてリア充と言えるだろうか。割と幸せなので別にリア充でなくても構わないとは思う。或いは本人がリア充なのかどうかを気にも留めないことこそが、真のリア充なのではないか。などと適当な言葉遊びを脳内でしつつ起床。コンビニ店員だった頃にはこんな余裕なんぞなかったな、と思いつつ身体を伸ばす。
ベッドを出ると魔道具の蛇口を捻り、二人分の木のコップに水を汲んだ。昨日買った水変換器───魔素結晶を水に変えて出す魔道具があると、宿であってもいちいち水を貰いに行く手間が省けるので便利だ。最低限のものだと水の出る速度に不満があったので、もうひとつグレードが高いのを買ってしまったが後悔はない。
王都はいずれ出ることになるし、水道が整備されてない街に行かねばならない時には必要になるのだ。とはいえ急いで次の街に行かねばならない縛りなどないし、とっくにそうしてもいい段階にはなっていると思うが、もうちょっとのんびりしてもいいだろう。
また鋼の剣が遠のいてしまったが、この目標もすっかり形骸化してるな、と思いながらうがいをする。この宿の二人部屋には水道がなく、したがって排水口もないので、排水は桶を使って後で共用トイレに流す感じになる。窓から色々と撒き散らすのが当たり前、という衛生観念でなくてよかった。
「ん……あっおはようございます、ご主人様。」
「おはよう、今日も頑張ろう。まずは健康のためにうがいだ。」
「はい。」
遅れて起きたネルフィアにうがいを促すが、寝てる間に口腔内で繁殖した雑菌を洗い流す行為については、健康効果を疑問視しているようだ。まあ知らなければそんなものだろう。ノアとて地球より進んだ文明で発生した健康習慣を、素直に理解できるとも思わない。各世界から技術は取り入れられていても、それが浸透しているとは限らないのだ。
宿で食事を済ませ、今日からは水を買わずに狩場に向かう。相変わらずのウサギ狩りだが、いい加減切り上げ時かなとも思っている。少し前からウサギ素材の買取額が落ちてきているのだ。同じ魔物ばかり狩っているとはいえ、ノアたちだけで市場が変動するほどの量を稼いでいるわけではないだろうが、トカゲにしろ次の街にしろ、河岸を変える時期に来ていた。
そしてそんな素材の価格とは関係なく、魔素は人を成長をさせる。
「お、ついに来た……! よし、[光刃]を覚えたみたいだ。どういう技能だっけ?」
「おめでとうございます。ええと、[光刃]は勇者様の───ご主人様の武器の力を高める技能です。特に斬れ味が高まり、刃の付いた武器だと効果が高いそうです。」
刃の部分が多い武器と言えばやはり剣だ。槍でも使えなくはないだろうし、鈍器では相性が悪いのだろう。それこそ木の枝なんかでもそれなりに威力が上がるらしいが、元から強い武器の方が更に効果が高まるらしい。
ふと日本刀のことが思い浮かんだが、ロマンを感じなくはないものの剣に慣れてきた今となっては使おうとも思わない。実際の刀に触れたこともなければ、選択授業で剣道でなく柔道を選び、京都の修学旅行で木刀さえ買わなかった男である。今更、刀の扱いを覚える気にもなれない。
そもそもこの世界に存在するかも不明なので、無意味な思考ではあったが。
「とりあえず試してみるか。[光刃]!」
覚えた技能名は浮かんでくるのに、効果までは分からないのは不親切だな、などと考えながら技能を使用。銅の剣が淡い光に包まれた。文字通りの光の刃でもって、近くの岩を軽く斬りつける。
「うおあ!? スパッて、スパッていったぁ!」
滑らかな切断面を晒し、大人三人分はあろうかという厚みの岩は両断された。[光刃]なしなら全力でやっても、銅の剣が岩にそこそこ喰い込むか、下手をすれば剣自体が折れていただろう。だからこそ軽く振ったのに恐ろしい斬れ味である。銅の剣でこれなのだから、鋼の剣でやったらどれほどの威力が出るか、想像するだけで震える。
「急にインフレし過ぎじゃない? 大丈夫?」
「え? ええ、大丈夫です。素晴らしい技能だと思います。」
インフレが通じなかったようだ。その後も[光刃]を検証しながら狩りを進める。
分かったことは効果時間が三分程度しかないこと、籠手越しでもいいがノアが手に持った状態でないと使えないこと、一度使えばノアが手放しても時間内は効果が切れないこと、光るので暗がりでは目立つだろうことが分かった。
「それにしても圧倒的だなこの威力。鋼の剣を優先するべきだったか。」
実際に使えもしない内から技能を皮算用しても仕方ないとは思っていた。別に遅過ぎるということもないのでいいのだが。
ウサギが一撃で消えるのは爽快ではあるが、効果時間を考えると一戦毎に[光刃]を使う必要はある。上手くやれば二戦ぐらいいけそうな気もするが、ダッシュするので疲れるのだ。バフ系技能の効果の高さは、持続時間と反比例しているのかもしれない。
群れる魔物であれば一度の[光刃]でもっと一気に倒せるのだろうが、多数を相手にするのはそれはそれで不安ではあった。
流石に毎回使っていると精神力が持たないので[光刃]の使用はやめ、ノアの成長で更に安定性を増したウサギ狩りが続いた。ほどなくネルフィアも成長を果たす。成長する程に次の成長に必要な魔素量が増える関係上、そう遠くない内にネルフィアと成長回数が並ぶ瞬間が訪れるはずだ。
「今日はこの辺にしとくか。また明日もウサギを狩らにゃならんだろうしな。」
ちょっといい水変換器を買わなければ、或いは一日でもトカゲ狩りに行っていれば、今日の稼ぎで鋼の剣に手が届いたかもしれないが、後の祭りだ。ウサギ狩りという現状維持をしたくなる日本人気質は、この世界に来ても変わらない。
帰ればもうひとつお楽しみがあるのが救いだ。推測が正しければ、技能を覚えたので寝てる間に探心の成長があるはずである。だからと言って、寝る直前のお楽しみで手を抜くつもりもないが。
「タフだったり硬かったりで倒し難いけど、その分動きが鈍かったりで儲かりそうな魔物っている?」
「その質問をされるということは、[光刃]を覚えられたようですね。」
次の標的を見据えるべく、換金に来たついでにサラリマン風受付に聞いてみた。質問が具体的過ぎたのは反省点かもしれない。向こうがこちらを勇者だと知っているとはいえ、必要以上に手札を晒す意味もない。
「それであれば、リバースタートルかネイチャーゴレム辺りでしょうか。」
「ゴレム? ゴーレムじゃなくて?」
「ゴレムは魔物で、ゴーレムはそれを模して作られた魔道具ですので。」
ゴーレムの成り立ちはともかく、亀と岩人形ならどちらも硬くて鈍そうだ。[光刃]でやたら高まった攻撃力をぶつけるには、もってこいの相手なのだろう。
「どこに行けば狩れる?」
「リバースタートルは北のデリポップ、ネイチャーゴレムは東のヴェーリンダがよろしいでしょう。」
どちらも王都から街道が伸びていて、定期の乗合馬車なども出ているようだ。どちらに行くかは鋼の剣を買ってから決めるか。
「そういや街の名前ってちゃんとあるんだな。王都にもあるのか?」
「王都の名前は国の名前と同じです。」
素朴な疑問を口にすると、ネルフィアからはこのような答えが返ってきたが、そもそも国の名前を知らないことに気付く。
「この国の名前はシューヴェインヴァルトロフオブリエルドノーマナライズ王国です。王都は区別のために、王都とだけ呼ばれることが多いです。」
クッソ長かった。そら王都としか呼ばれんわ。まあ国の名前なんぞ知らんでも、人は生きていけるという実感は得られた。
明日になったら忘れてそうだな、とも思うノアであった。




