1-13 大地に恵ませる
実際、この世界において勇者は魔物狩りに極めて優れていた。
特に重要なのは[治癒]を扱えることにある。肉体的ダメージに対し、瞬間的な回復手段がほぼ存在しないのは地球でもそうだが、制限があるにしても[治癒]の治療速度は十分に速い。負傷すれば戦闘力は落ちるし、それを避けようと思えば余裕のある格下を標的にするしかないが、[治癒]があれば負傷が前提となる同格以上の魔物狩りが現実的なものとなる。この同格以上相手の継戦能力の高さこそが、召喚してまで勇者を増やす理由と言ってよい。
[治癒]が使えるのは癒術師もだが、この天職は勇者ほど極端ではないにせよ数が少なく、成長による身体能力の伸びが最も鈍いとされる。そのような事情もあり、最初の成長で[治癒]を覚えた癒術師は、公共機関で治療に従事したり、権力者などに囲われるのが常である。
戦士と癒術師が揃えば勇者に準ずる働きもできようが、癒術師は肉体的には脆弱だ。そうでなくても魔物のいるこの世界では危険には事欠かず、貴重な癒術師を魔物狩りに用いるのは、全く割に合わない状況であった。
より安全を求め負傷を避けるだけなら、弓などの遠距離攻撃のみでも魔物を狩ることはできようが、成長は望むべくもない。それをよしとする者も決して少なくはないが、成長を放棄するその姿勢は忌避されていた。
成長によって得られる個人の能力を、文明と技術の進歩がいずれ誤差の範囲とするにしても、未だその時代ではなかったのである。
財布と心の重量感は概ね反比例する。ノアも例外ではなく、やっていける目処も立てば安心感が違った。スキップのひとつもしたくなったが、変に目立つと絡まれるかもしれないと思い控える。勇者のスペックならそこらのチンピラに負けるとは思わないが、絶対ではあるまい。
公衆浴場へ戻る道すがら、歓楽街のような通りに差し掛かる。酒場の表にまで並べられたテーブルで酔客が騒ぎ、娼婦であろう扇情的な格好の女たちは、道行く男に誘いをかけていた。
ネルフィアがいてくれてよかった、とあらためて思う。[治癒]は病には効かない。風邪はもちろんのこと、性病にでも罹れば目も当てられまい。金銭に十分な余裕のある健康的な青年男子が、性欲を持て余していればどうしたかなどと容易に想像がつく。今なら勇者に女奴隷をあてがう合理性を理解せんでもなかった。それでも遊ぶ奴は遊ぶだろうが。
揺れる心を抑えながら公衆浴場に戻ってきた。途中で路肩の屋台や、敷物に雑貨を並べる物売りをなど冷やかしたりしながら来たので、往復で三十分ほど経っただろうか。ネルフィアはまだ上がっていないようだった。既に夕食には少々遅い時間であり、食い物の屋台も出ていたので腹が減っていたが、ゆっくりでいいと言ってしまったので待つしかない。ネルフィアも腹は減ってるだろうから、そう長くはかかるまいと思い、壁にもたれかかって金の使い道を考えながら空腹を紛らわす。
「お待たせしたようで申し訳ありません。」
「いいさ、腹減ったし宿の前に飯にしよう。」
この世界だと野菜は美味くていいが肉はあまり出ないな、などと結局食い物のことを考えてる間に、メイド服姿でネルフィアが出てきた。彼女の分の荷物を渡すと、目を付けていた近くの屋台に足を向ける。
丼のような木の器で出てきたのは、スープに入った麺のような料理だ。その場で立ち食いすると、塩味をベースにしたうどんみたいな感じであった。味の良い野菜もたっぷり入っている。
「野菜は農繁士のおかげでしょうね。」
「農繁士?」
「繁人族だけの天職です。技能で農作物がたくさん作れるようになります。」
食事をしながら野菜の美味さについてネルフィアと話すと、技能によるものであることが判明した。
繁人族固有天職である農繁士は、[豊穣]の技能を最初に覚える。この技能を継続的に使用して農作業を行うと、[豊穣]以外は全く同じ条件で育成した農作物の収穫量に、倍近い差が生まれる。また災害にも強く、品質も良くなるのだという。種族別最多人口を支えられるのもこの技能があればこそ。最も繁栄する種族を名乗っているのは、割と伊達でもなかったのである。
一方で農繁士は種族全体の四割以上にも上り、食料生産の過剰が多数の貧農を生む問題を抱えていたことを、ノアが知るのは後の話であった。
ネルフィアは両親とも農繁士だったらしい。野菜などは当然摂っていたと思われるが、発育不全はタンパク質不足が原因なのだろうか。
「肉は食べなかったか。」
「村ではほとんど……お城ではたまに少し食べました。」
「高級品ってわけか。」
「最初から肉にするための家畜肉ならそうですね。魔物が素材として落とす肉なら、それなりだと聞きます。」
魔物肉があるらしいが、ネルフィアの故郷周辺には素材に肉を落とす魔物はいなかったらしい。
「ファットボアの肉でよけりゃあるけどどうだい?」
話を聞いていた屋台の主人が勧めてきた。魔物から出た肉を宗教的な理由などから避ける者もいるようだが、ネルフィアにも別にそんなものはないようなので二人分注文する。
「私もよろしいのですか?」
「食事は重要だ。遠慮なく食べるように。」
「はい、ありがとうございます。」
あんなに『期待』されてたら応えないわけにはいくまい。
「はいよ。」
「シンプルだな。ん……結構美味い。」
薄切りの肉を塩振って焼いただけという単純なものだが、脂が滴っていい感じだ。薄切りなので噛み切りやすいのは結果論としても、味はしっかりと豚肉である。ボアだから猪のはずだが、猪肉は食べたことがないので正直違いは分からなかった。
ネルフィアも気に入ったようで、過去最高に『幸福感』が漲っている。もっとも探心を使うまでもなく満面の笑顔だったが。
「お肉って美味しいですよね……本当にありがとうございます。」
「ああ、毎日肉が食えるぐらいは稼ぎたいもんだな。」
先に頼んだメインのうどんらしきもの二人分より、魔物肉一人前の方がちょっとお高いだけはある。結構な『感謝』が伝わってくるので注文は正解であった。
「二人部屋は空いてないな。」
部屋を取ろうとして、宿の親父に言われたのがこれである。
ギルドで紹介された宿は五階建てで一階が食堂兼酒場に客室、他の階はほぼ全て客室という大型の宿であったが、当然キャパシティには限界がある。宿を取るのは狩りに行く前にすればよかったかと若干後悔しないでもない。
「一人部屋をふたつ取るか、なんなら四人部屋なら開いてるんだがな。」
別々の部屋を取るという選択肢は最初からなかった。しかし余裕があると言っても、四人部屋の料金を払うというのも馬鹿らしい。
「一人部屋は開いてるんだな?」
「そうだな。」
「一人部屋に二人じゃ駄目か? 料金は二人部屋分払うから。」
「んー……一人部屋はかなり狭いんだがな。」
難色を示されたが『迷い』が見える。押せばいけそうな気がした。
「こっちの都合だからそれぐらいは我慢するさ。とりあえず三日ほど泊まろうと思ってるし、二人部屋が空き次第移らせてもらえばいい。」
「……まあいいだろ。身分証になるもんを見せな。」
駄目だったら別の宿を探すことも考えていたが、通ったようだ。ちゃんとした宿だけあって、身分証明が必要なことは聞いていた。青いタグを首元から取り出して見せる。
「なんだ勇者様だったんですか。それならそうと早く言ってくださいよへへへ。」
急に態度が軟化した。権威におもねるタイプなのだろうか。




