1-12 泥に塗れた栄光
一匹狩ってからは感覚が掴めた。泥塗れになって開き直ったとも言える。
トカゲの鱗はそれなりに硬いが、今の力と銅の剣を防ぐほどのものではない。柔らかい腹を狙うまでもなく胴体になら二撃、上手く決まれば一撃で仕留められる。人気がないだけあって一帯のトカゲの数は多かったが、保護色を活かして獲物が近付くまであまり動かないのもあり、ほとんど一匹ずつ狩ることができたのでそれなりに安全ではあった。[魔撃]で離れたトカゲを釣り出すことも考えたが、毒のことを考えると精神力は[治癒]に回した方がいいと判断する。集団をまとめて狩れればもっと効率はよかろうが、複数相手への攻撃手段など持ち合わせていないのだから仕方ない。これは今後の課題か。
二人とも時々負傷したが、毒消しを消費するまでには至らなかったのは僥倖だろう。
「……意外にちゃんとしてるなこの袋。」
昼前の狩りでネルフィアが成長し、適当な岩の上での昼食。泥に多少浸かった背負い袋には水が染み込んでおらず、タダで貰った割には質がいい。おかげで着替えや、野菜などを挟んだパンみたいな弁当も無事だった。少々潰れてはいたが。
何かの葉っぱらしき弁当の包みと、三角パック的水袋はその場に投棄。自然に分解されるかどうかを気にするほどの余裕はない。
昼休憩を挟んで少し、ようやく初めてトカゲの素材が出た。そこから三匹目ほどで二個目の素材が出たのは、間違いなく幸運だったと言える。
「はぁ……やっと三個目出たか。帰ったらとりあえず風呂だな風呂。」
「……そうですね。」
ただ三個目が出るまで狩って切り上げようとしたら、二個目から実に四十匹以上を狩ることになろうとは、如何な智将の眼でも見抜けなかったであろう、などと思いながら帰還。後で結晶の数を数えれば、素材一個に対し狩ったトカゲはしっかり二十を超えていた。経験値稼ぎになったと思うことにする。
「一瞬で街に戻れる魔法でもあればなあ。」
「あるのでしょうか?」
「いや、俺も知らん……っとここか。」
沼までの距離はスライムの荒野より近かったが、歩きとなると面倒であった。[回復]がなければ面倒なだけでは済まなかっただろうが。
日はもう暮れ、茜色が空にわずかに残る王都をぼやきながら歩くと、高い煙突のある建物に着く。
「ここが異世界銭湯か……なんか注意点とかあるか?」
「荷物は持ったまま入る人もいるそうです。お金を払えば鍵付きの箱を使えますが、貴重品だけは持ったままの人も多いですね。」
財布だけならまだしも、換金を済ませていない荷物を持ち込むとなると面倒そうだ。公衆浴場でばかり日常的に窃盗があるとは思わないが、聞く限りセキュリティはそう高くないだろうし、流石に今日の稼ぎを盗まれるのは厳しい。
「私が荷物番をしますか?」
「いいのか?」
「はい、お任せください。」
自分も泥で『不快』なのは変わりないだろうに、健気なネルフィアには何かで報いてやらねばと思いつつ、ここは甘えておくことにする。
「じゃあ行ってくる。」
着替えの服と財布の小袋だけ持って公衆浴場へと入る。番台的な場所にいた男に料金を払うと、木札のようなものをもらった。洗い場にいる係員に渡すとワッテンを貰えるらしい。脱衣所では棚に並ぶ空いている籠に服を入れるようだ。他人がそうしているのをそれとなく見て確認してしまう辺り、異世界に来ても日本人気質は抜けていなかった。一角にあるロッカー的な棚が、ネルフィアの言う鍵付きの箱だろう。流石にこの泥だらけの服が盗まれるとも思わないので、脱いで籠に入れる。念の為、着替えの方は下に隠すようにしておいた。
「ふぅ……。」
ロッカーを使うならその近くにいた係員に金を払うのだろうが、この係員は風呂用具なども売っていた。せっかくだから小銭を払ってスポンジのようなものを買っておく。ワッテンで泡立てたスポンジもどきで一通り身体を洗って流すと、湯船に浸かって一息入れる。[回復]ではどうにもならない泥の冷たさを、ようやく忘れられた気がした。
公衆のものだけあって、召喚された施設にあった風呂よりも遥かに広い。煙突があった辺り、魔道具だけでなくボイラーでも湯を沸かしているのだろう。
軽く見渡すと色々な人間がいる。裸のまま取っ組み合い、レスリングのような何かをしている男たちとそれを取り巻く連中もいたが、喧嘩ではないようだし止める者もいない。あれも公衆浴場の通常利用の内なのだろう。
このまま長湯をしたい気持ちもあったが、十ほど数えて上がることにする。男の風呂なんぞ短くてなんぼだ。
「お待たせ。ネルフィアも入ってくるといい。」
「はい。ではついでに洗濯をしようと思いますが、よろしいでしょうか?」
言われてみれば、洗い場では身体と一緒に服を洗っている連中もいた。横着でもしてるのかと思ったが、追加料金で洗濯ができたらしい。
「分かった、じゃあこれを……それとお金ね。」
「これだと多いようですが。」
「このスポンジっぽいのとか、身体を拭く布とかを買うのに使うといい。あと服を置くのは鍵付きの箱を使ってくれ。」
ロッカー前の係員の売り物には、バスタオル代わりになる大きめの布なんかもあった。ロクに身体を拭かずに半裸のまま出て行く客も結構いたのだが、風邪を引いてもつまらないし、使い出は色々ありそうなので購入。ロッカーの使用は、ネルフィアの着替えがメイド服になるので、少しでもセキュリティを上げておきたかったためである。
「洗濯もあるだろうしゆっくりしてくるといい。俺はその間にギルドに行ってくる。」
「はい、いってらっしゃいませ。」
ネルフィアの分の袋を担いで、街灯が照らす王都の通りを歩き出す。目的は結晶と素材の換金だ。ギルドは深夜前まで受付業務をしており、街灯も概ねその時間までは点いている。
「買い取りを頼む。」
「はい、お預かりします。」
自分の袋とネルフィアの袋に入っていた結晶を取り出し、買取カウンター前のトレーに入れていく。素材も一緒に出していいとのことなので、トカゲから入手した素材───ダーティネイルを三個とも乗せた。
この毒爪は魔物に毒を与える武器、或いは毒に対する耐性を持つ防具の作成などに用いられる。毒にはそこそこ苦しめられたので、その有用性は理解できた。そもそも魔物の毒とは、生命活動を阻害するパターンを持った魔素であり、この毒爪はそれが多分に含まれた素材なのだ。
「本当に買い取りでよろしいですか? 鍛冶屋などに直接持ち込んで、耐毒装備を作れば安上がりにはなりますが。」
「あー、鍛冶屋のツテとかないんで買い取りでいいや。」
「はい、では少々お待ちください。」
買い取り担当の狐耳女性職員が『善意』で言ってくれてるのは分かるが、買い取りに回すことにする。実際ツテはないし、今は現金が欲しい。それにどうしても必要になったら、またトカゲ狩りに行くという手もある。別のところで稼いで既成品を買ったっていいだろう。
買い取りの査定を待つ間、ギルドを見渡すと人は少ない。夜目が利く種族は少ないし、照明を使えば余計な魔物を呼び寄せかねないのもあり、冒険者は狩りを夕刻前には切り上げる。自然、混み合うのはもうちょっと早い時間になるらしい。隣の直営店もその頃までは開いているらしいが、今は閉まっている。靴は明日までお預けだろう。
「お待たせしました。内訳はこちらになります。」
トレーに載せられた銀貨と銅貨の束が、メモ書きのような内訳を添えて差し出される。内訳は読めなかったので読み上げてもらったところ、魔石の合計だけで貰った支度金の約三倍、素材もほぼ同額であった。それなりにはなると思っていたが、想定以上の収入である。
店が閉まっていたのはある意味、幸運と言えたかもしれない。衝動的に散財しかねなかった。




