3-8 最高クラスの誠意をあなたに
ネルフィアの中で渦巻く悪感情は、主人に付きまとう毒婦の存在に起因することは間違いない。しかしアスカのことはあっさり受け入れている辺り、本人の中には独自の基準が存在するようだ。
具体的には、この主人からの寵愛を受けるのであれば対価としてまず人生を捧げるぐらいは当然、という固定観念がネルフィアの中に存在していた。
だからメルーミィやアスカを受け入れはしたが、その気もないであろう女には自分が注意を払わねばならない、という考えがある。まして端金を奪っていきさえする娼婦などは、彼女の中では盗賊と同等の存在と言っていいのだ。
ただでさえこの主人は好色なので、うっかり情を移してしまわないかという心配も一応あるが、むしろその無駄に卓越した技術により女の方を本気にさせてしまえば、間違いなく面倒なことになるという危惧がある。
ネルフィアの『一度ご主人様のを覚えてしまったら絶対に離れられなくなる』などといった評価は、相手の癖や急所を熟知するほどに経験を重ねた関係に立脚したものであり、一晩だけの相手にそこまで持っていくのは流石に無理があると思うのだがどうか。
最近入った女騎士が割と即堕ちだったのは、偶々チョロ過ぎる人材だっただけなので例外として。
毎晩頑張った成果が妙な形で出てしまったのはともかく、彼女がまとわりついてくる娼婦を手段を選ばず処理しよう、という思考に至ったのには他にも原因がある。
(ちょっとアスカが優秀過ぎるんだよな……。)
この新人はネルフィアにはないものを備えている。特筆すべきはやはりその戦闘力であり、主人を直接的に守れるポジションに就けることは、ネルフィアが望みつつも適正的に叶わぬことであった。
主人が新人と多くコミュニケーションするのは当然だし、ベッドの中で全員と平等に濃厚接触するのはまだしも、それでネルフィアに全く嫉妬がないかと言えばそんなわけもない。それこそがどれほど忠義に厚かろうとも、常人離れした感覚を身に着けていようとも、彼女もただの人間という証左であろう。
このようにアスカ加入に伴って鬱屈した感情が積み重なっていたことも、ネルフィアの心に爆弾が設置された一因であったのだ。
そうでなければ『命じていただければいつでも私が始末しますよ』的な視線を、ネルフィアが投げ掛けてくるまでにはならなかっただろう。その手をこんなことで汚させるのもどうかと思うので、いい加減にちょっと強硬な手段で娼婦を追い払うことにした。
知らぬ娼婦と言えど流石に直接的な暴力を振るうのは気が引けるので、「商売道具に傷を付けられたいか?」と脅す感じで追い払うのには成功したが、問題が解決したわけではない。ネルフィアの抱える爆弾は可及的速やかに解体する必要がある。
そのためにはアスカを排除するのが確実なのだろうが、諸々のデメリットを考えるとそれは最後の手段になるか。
無難かつ効果的なのは、普段からの感謝と愛情をあらためて伝えるのが一番だろう。ネルフィアが特別な存在であることは元より変わらないが、それを伝える努力は円満な夫婦関係を維持する上で重要なはずだ。
単に言葉を掛けるのは毎晩ベッドの中でもしてるので、ここはひとつ特別な物を送りたいところ。「誠意は言葉ではなく金額」なんて至言もあるし。
爆弾解体プランは一応決まった。より効果を上げるためには、少々の単独行動が必要になるだろう。その時間を稼ぐために丁度いいのは買い物であろうが、今日はちょっと毛色が違う。
「アスカ、この街なら貴族の服を商うような店もあるよな?」
「ええ、確かあったかと。」
「婦人用の下着の仕立てを扱ってるか?」
「は? ……御無礼を。扱っているものと思われます。仮にそうでないとしても、伝手ぐらいはあるでしょう。」
以前にこの街に寄ったことのあるアスカに一応の確認は取れた。やることリストの古い項目をようやく消せる時が来たようだ。
そうしてなんやかんやで目的の店に辿り着くと────
「彼女の下着を作りたいので採寸を頼めますか?」
一般の店に比べ、明らかに格調高いこの店に相応しい格好────夏だというのに気合の入った黒のコートで決めた店員に声を掛ける。機会がなくて後回しになっていたネルフィアの下着を、この地元の貴族御用達の服屋で仕立てようというわけだ。
もちろん並の冒険者の立場では利用できない店なので、そこはアスカの取り出した印籠もといブローチのおかげである。
革鎧姿という如何にも貧乏な冒険者ルックで店に足を踏み入れた瞬間、『ああん? てめーの如き貧乏人が入ってくるとはいい度胸してんじゃねえか』みたいな目で寄ってきた黒コートの態度が一瞬で慇懃なものに変わったのは、実に見事な掌返しであった。別の意味で感心する。
「もちろん承っております。採寸は同性の者が担当いたしますのでご安心ください。」
「ということだ、ネリー。」
「あ、ありがとうございます。ですが、よろしいのですか?」『朝の日課は?』
「ああ、ちゃんとした下着があった方がいいと思ってな。もちろん君が綺麗でいてくれる方が俺も嬉しいがな。」
最初から特注の下着を上下で所持していたメルーミィやアスカを、紐パンとサラシしかないネルフィアが微かに『羨んでいる』のは分かっていたが、ここで「お前も欲しかったろ?」と恩着せがましい態度を取らないのが好感度を稼ぐコツだ。
正妻という立場なのだし、できればもっと早くこうするべきだったのだろうが、機会がなかったのも確かなのでまあ仕方ない。
彼女の胸にサラシを巻くだけの簡単なお仕事は楽しかったが、それもお役御免だと思うと少々感慨深いところ。
高級店に少々気後れしていたネルフィアを送り出し、感慨ついでにひとつ思いついた。
「それと偉い人に会わなきゃならんかもしれんから、ドレスとかも必要だろう。ネリーはもちろん、メルーミィにもな。」
「私めもですか?」
「そういうのが一着はあっていいだろ。」
冷やかしでもないのにこの店に入って睨まれてしまったのは心外だが、時と場合を弁えた格好をしてこなかったこちらにも非はあるのだ。せっかく買ったスーツを使う機会を逸してしまった。
接点のない地元貴族ならともかく、帝都に行けばシドウミョウイン家への挨拶は避けられない。それに備える必要はあるのだから、奴隷たちのドレスは間違いなく必要な装備だ。
そう説得して、礼を言うメルーミィも採寸に送り出す。
「アスカは……うちに来て日も浅いから悪いがまた今度な。」
「はっ、お気遣いのほど恐縮に。自前のものがあるので問題はありません。」
護衛の職務上、全身鎧姿がデフォであるアスカだが、それが不都合な場合に備えてのドレスなんかも所持していたので今回は見送りだ。
「代わりと言ってはなんだが二人がドレスを選ぶのを手伝ってやってくれ。こういうのに一番詳しいのは君だろうしな。」
「お任せを。」
「ありものを買うでも仕立ててもらうでもいいが、まあゆっくりやってくれていいぞ。……じゃあ、俺は冒険者ギルドに用があるから後は任せた。」
ネルフィアの下着数セット分及び、二人分の婦人用ドレスの大まかな値段を確認し、十分に余裕のある金額をアスカに預けておく。服にしては流石にお高い。鋼の剣が十本は買える額が飛んでいってしまった。
そんな価格の下着に加えてドレスまで買ってもらえるとあって、既にネルフィアの機嫌は結構な上向き振りであるが、これはまだ本命ではないのだ。
例によって女性の買い物にはとにかく時間が掛かるだろう。店を出ると気持ちゆっくりと歩き出した。




