3-5 迷いを連れた旅路の始まり
さっさと宿の部屋を取ると多少時間に余裕ができた。並んで待たなくて済んだ上に夏場だけあって日も高く、飯を食って寝るにも早い。健全に身体を動かして暇を潰すことにした。健全でない方は後のお楽しみだ。
メンバーはいつものカインとネルフィアにアスカを加え、宿場町の適当な空き地を用いることにした。
メルーミィは身体能力的に鍛錬に参加させるのが難しいのもあり、夕食の準備に回ってもらっている。最近の食事────特に時間の取りやすい夕食はほぼメルーミィの作だ。
食堂や屋台の食事も手軽で悪くはないが、メルーミィのそれには平均点で大きく及ばない。安定性を求めてしまうのは仕方のないところだろう。
ついでに料理の片手間に魔道具の改良もしたいというので任せてもみた。マルチタスクで大丈夫なのかと思ったが、この程度のことは研究者時代から日常的にやっていたらしいのでひとまず信頼しておく。
「今日はいつもの鍛錬とは趣向を変えようと思う。」
「手合わせではない、ということですか。」
「そうだ、具体的にはアスカに指導してもらう。」
「私が……ですか?」
戸惑うアスカの声は円柱型兜の機能で低い。透視機能により視界の問題もないとはいえ、表情が見えないのは若干コミュニケーションが取り難い気はする。
余談だが、何故変声機能が備わっているのかと言えば、例の決闘絡みの掟を曲解する者を警戒してのことなのだとか。あの掟が適用されるのはあくまで正式な決闘を行ってこそであるが、欲に目が眩む者は単に「打ち負かせば嫁に取ることができる」などと思ったりもするらしい。
現代日本出身のカインには実感が薄いが、この世界の血脈という繋がりは最も強いコネクションのひとつと言っていい。貴族のそれに食い込めると考え、シドウミョウインの婦女子を闇討ちせんとする不届き者はそこそこ多いのだ。
そこで一族の者には市井に出る際、性別が分からないような格好をする習慣が存在するのだという。男を襲えばそれは単なる貴族への狼藉。完全に無駄骨を折った上で極刑は免れない。
まあ性別に関わらず襲撃の結果はほぼ変わらないのだが、そのような無為の襲撃を抑止するためのものであった。閑話休題。
「指南することは構いませぬが、我が君はブリズタリア剣盾流の使い手では?」
「まあそれは……はっきり言えば違うな。」
あらためてこの剣技は他の剣士の見様見真似に過ぎないということを、掻い摘んでアスカに説明する。
「まあそんな感じで、ここらでひとつちゃんとした武術を学んでおきたいなと思ったんだよ。仮に君が他人に教えるのが苦手とかでも、シドウミョウイン流を間近で見ることで戦い方の幅は広がるはずだ。俺もネルフィアも基本的なことは身に付いてると思うしな。」
『見取りだけであれほどの技とは……。』「そのようなことでしたらお安い御用です。」
アスカは剣盾術も真槍術も一通り修めているので指導に問題はないだろう、という予想は正解だった。流派の中で磨かれ残った実戦的な立ち回り────いわゆる型として落とし込まれたそれを見せてもらうだけでも非常に参考になる。「ここで後ろ足に体重を乗せておくのが反撃にも回避にもいい」などといった技を使う上でのコツ、剣訣とも呼ばれるものも惜しみなく教えてくれるほどだ。
今後、貴族パワーで無理矢理アスカと引き離されるという可能性も考え、後悔のないよう今の内にやれることはやっておこうと指導を頼んだのだが、想像以上に得るものが多い。動きを見せてもらった後は例によって反復練習をこなす。
ゴーレム馬でも帝都までの旅路は半月程度と長い。その間、暇を作ってシドウミョウイン流を学んでもいいだろう。
「それにしても奥方様の見切りは素晴らしいですね。師職とは思えぬ精度、感服いたしました。」
「これもご主人様の指導の賜物ですよ。」
「まあ接近戦なら俺より勘が鋭いだろうからな。」
ネルフィアの超越感覚を活かした動きは、腕の立つ本職戦士をしても一目置くものらしい。
それを教えたカインも似たようなことができるという設定ではあるが、その辺は「俺は近距離より遠距離を探る方が得意だし、遠距離を注視してると近距離が甘くなるんだ」ということにして誤魔化しておいた。ゴレムの探知が疎かになっていたのも、盗賊のアジトや一匹狼を探し出すのが上手かったのもそのため、という後付けである。
それをネルフィアは信じたし、メルーミィはなんでもいいやと思考停止しているので一応の問題はない。『あの動きにはそんな秘密が』と思うアスカもとりあえず大丈夫だろうか。
超越感覚が身に付かなかったメルーミィの代わりとばかりにアスカにもやり方を教えるネルフィアだが、教えられた方はピンと来ていないようなので望みは薄そうだった。
カインの心に妙な安堵感が湧き上がったのは余談である。
「おおっ、出がいいな。」
「はい、結晶の消費効率面でも二割ほどの向上が見込めると自負しております。」
水生成器からは今までよりも明らかに勢いよく水が吹き出し、それを解説するメルーミィの言葉もどこか誇らしげだ。新体制の鍛錬を切り上げて宿の部屋で食事を取る直前に、魔道具技術者としてのメルーミィの実力を目の当たりにすることとなった。
研究者として学んだ技術を使えない縛りはもうなくなったので、試しに水生成器をいじってもらったが中々の成果だ。今後も手隙の時は何かしら改良を任せてもいいだろう。
とりあえず料理の出来と合わせて褒めちぎっておく。今日の献立は、水で練った小麦粉の皮で肉と野菜を包んで焼いたお焼きのような、或いはピロシキのような家庭料理に、野菜たっぷり煮込みスープだ。その味は舌が肥えているであろうアスカも唸らせるほど。
「これだけの腕であれば、料理人として店を開いてもやっていけるでしょうね。本格的に打ち込めば貴族に召し抱えられるのも夢ではないかと。」
(脂ぎった中年男性貴族が主人だったら、間違いなく料理以外の業務が課せられるんだろうな……。)
カインの豊かな想像力はともかくとして、アスカも食事の面では文句はないようだ。仮に一般的な奴隷並の食事が出てきたとしても、戦場では食えるものを選べないという理由から粗食に耐える訓練も積んでいるので、表面上の問題はなかっただろう。つくづく戦士として理想的な人材である。
そうして食事も終わって風呂代わりに清拭魔法を受けたその夜、カインは悩んでいた。
(さて、どうしたもんかな……。)
この宿の四人部屋には全員が寝れるような巨大なベッドは存在せず、シングルベッドが四隅に配置されてるような具合だ。そうなると全員で同衾するのは難しく、必然的に分かれて寝ることになる。だとしてももちろんやることはやるのだが、そうなると一戦終えるまでは他とは離れる時間が発生するのだ。
戦場が同じであれば待ち番の者にもそれなりのケアができたが、物理的に離れるとなるとどうしても寂しい想いを抱かせてしまう。が、カインが悩んでいるのはそんな想いをさせないためにはどうするか、などといったことではない。
(次はどっちに……或いは連戦か……?)
悩ましいのは転戦の方向ないし連戦の判断である。
ある女に寂しい想いをさせているのを実感しながら、他の女のいる戦場に赴き剣を振るうという行為には妙な背徳めいた新感覚があり、存外悪くはなかった。思わず次戦の決断が鈍ってしまうのも仕方ないのではないか。
後ろめたい気持ちも最終的には全員を満足させるので問題はないはずだ。
新体制の旅はまだ始まったばかり。この道行きが良いものであったと思える日が来ることを信じ、今は次の戦場への一歩を踏み出すのみである。




