2-53 戦士起つ。
鋼の盾を持つ左腕は垂れ下がり、もはやその重さを支えることもできない。
「……貴公が何であれ、それだけの腕を失うのは惜しい。降参せよ。」
「ありがたい話だが……それにはまだ早いな。」
騎士からの温情に近い勧告を拒否しながら、もう重りにしかならない盾のベルトを外して捨てる。面ファスナーを外した音に続いて、硬質な金属音が訓練所に響いた。
カイン自身もここまでよくやったとも思うし、今降参してもネルフィアたちは納得するだろうが、身体がまだ動いて勝利の可能性が少しでも見えているなら、諦めるにはまだ早いとも思える。
これは単なるメルーミィへの未練という気もするが、少なくとも後悔はないだろう。
(これで駄目なら流石にこれまでだな。)
深呼吸し、行動掌握のインターバルが経過、残った体力を最後の攻防で絞り出す心構えもできた。
騎士も決着を予感し、油断なく構えを取る。どうせなら片腕で何ができるとでも侮ってくれれば楽だったが、生憎と『手負いの獣が最も危険』であることを知っているのだ。
そうしてカインは飛び出した。行動掌握を発動しながら騎士の右肩を狙う袈裟斬りを放つ。
これを騎士は炎の魔剣で受けて防いだ。防がなくとも鎧は刃を通しはしなかっただろうが、その身に染み付いた武術が自然とその動きを選択させるであろうことは予想通り。
「!?」
騎士の驚愕は、受けた手応えが異様に軽かったためである。それもそのはず、カインが振るった斬撃は途中で剣を手放したすっぽ抜けであり、そのまま騎士の懐に潜り込まんとしていたのだ。
そうはさせじと残った眠りの曲剣が襲い掛かる。そして次の瞬間、再びの驚愕を騎士は味わった。曲剣の軌道が、丸みを帯びた兜により逸らされたために。
かつてネルフィアが見せた受け方をここまで温存できたのは、追い詰められねば試す気になれなかったというのもある。だが初めて見せただけに効果は大きい。そのまま騎士の左脚にがっぷり組み付く。
「うおおッ!!」
力を振り絞って持ち上げて引き倒そうとするも、揺らぎは僅かだ。鎧を含めた巨体の重量は、このような状況でも優位を失わない。
悪足掻きにとどめを刺すため、騎士がほんの少し右脚を下げようとした次の瞬間、その天地が回転した。
「なっ……!?」
行動掌握によって動かそうとした足が、カインの足技によって払われたためだ。絶妙の足払いは半ば偶然ではあったが、経験がなければ決まらなかったのも確かであろう。
選択授業で柔道を選んだ過去の自分と、指導してくれた体育教師への感謝もほどほどに、ベルトのスローイングダガーを抜く。
二人はもつれて床に倒れ込んだ。騎士が堪らえようと踏ん張っただけ倒れ込み方は緩慢になってしまったが、望んだ形には持ち込めた。
唯一の勝機である喉下の隙間を狙うにはダガーを使うしかないが、短いこの得物では体格差もあって容易なことではない。転倒させ密着状態となればその差は打ち消せると考えたのだ。
残るは姿勢を整えダガーを首元に叩き込むだけだが、騎士もただ寝ているだけではなく、この状態からでも反撃を狙ってくる。
だがもつれて倒れた際、騎士の右腕がカインの身体の下敷きになったことで炎の魔剣は封じられていた。剣の重さで避けるのが間に合わず、引き抜こうにも柄が邪魔になる。ここに来て咄嗟に武器を手放せなかったことが裏目となっているのだ。残る曲剣もカインが右腕で抑える形になっている。
柔道の抑え込み技のひとつ、袈裟固めに近い形だ。
寝技に持ち込んでからは完全に出たとこ勝負でしかなかったが、ツキを引き寄せる機会があったのも諦めなかったからに他ならない。
「くっ……!」
「ぬぅ……!」
互いにもがきながらグラウンドポジションを制しているのはカインの方。上位のポジションを取っていると同時に、行動掌握で騎士の体重移動の動きを読み取り、どうにか騎士の自由を奪っている。
流石の騎士もこのような状況の経験は少ないようで、相手を引き剥がそうとする動きは精彩を欠いていた。
カインもこのまま勝負を決めたいところだが、先に行動掌握が切れる。騎士の反撃を防ぎながらとどめまで持っていくには三秒は余りにも短い。
(もう一丁……!!)
躊躇いなくスイッチを押し込み、行動掌握の追加発動に脳が痛み出す。踏ん張られて倒れ込むのが遅れたのも痛い。
焦る心を抑えながら最後の残り一秒で姿勢は整い、行動掌握が切れる直前に抑えていた騎士の左腕から少しだけ力が抜ける。
「ふんッ!」
能力が切れると同時に右腕の抑えを解き、ダガーを騎士の喉元に突き込まんとする。更なる追加発動はなしだ。流石にこれ以上は身体の方が持つ気がしない。
遅ればせながら抑えがなくなった騎士はそれに対し、防御を選択。曲剣を握ったままの左腕はスタートで遅れようとも速さで上回り、鎧の胸部装甲と挟み込む形でカインの右腕を止めることに成功した。
ここで速度で勝る騎士が反撃を選ばなかったのは、直前に見せられた兜による防御を警戒したが故の迷いである。結果的にこの選択が勝負を分けた。
止められたダガーの刃はほんの数ミリで褐色の顎下に届く。震える刃先が格子に触れてカチカチと音を立てているのだ。こうなると単純な腕同士の力比べでは騎士の方が有利────ならばそれ以外の力を用いるしかない。
袈裟固めは選択授業で最初に習った技であり、図らずもそれが狙える状況にあった。
身体を丸めて膝を振り上げ、ダガーの柄尻を蹴り上げんとする。脚の力で持って行われる最後の一押しは
「────それまで!」
寸前のところで髭の受付嬢に止められた。勝負あったと見るや、一瞬で接近し物理的にカインの膝を止めたのだ。
「勝者、カイン!」
こうして誰の命も失われることなく決闘は終わった。
「はッ、はあぁ…………ッ。」
荒く息を整えながら力が抜ける。騎士も同様であったのだろう、右腕が解放されてその横に寝転ぶ。
行動掌握の切れた時点で騎士に反撃を選択されていれば、もはやカインに対処の手段はなく、相討ちないし敗北も十分有り得た。
幸運なくしては掴めぬ勝利であったという実感が、より強い安堵となって心を覆う。
「私は、負けたのか……よもやこんなところで運命が決しようとはな……。」
どこか遠いところを思い浮かべたように騎士は呟く。探心が封印状態であるから、どこのことを言っているのかは分からない。
「勝者を決めるのが早すぎたのでは?」
「そっだなこと言うて人死にが出てからでは遅えだよ。それにあそこまでいったなら文句は言わせねえだ。」
周囲の者たちも集まってくる。裁定に関してはギルドマスターの物言いがあったものの、結局騎士が「あそこで狙いを違えるような業前の持ち主ではないでしょう」と認めたのもあり、髭の受付嬢の主張通りとなった。
流石にここで行司差し直しなどになったらたまったものではない。
「ご主人様……本当にお見事でした。」
「うぇええマスター……! よかったぁ……よかったよぉ……っ!」
ネルフィアは笑顔で、メルーミィは泣きながら抱き着いてきたので、床に座ったままゆっくり交互に頭を撫でてやる。左手は癒術師が[治癒]を掛けてくれているので塞がっているからだ。
自前で治せるが断るのも不自然だから面倒だな、などと考えていると、少し離れたところで騎士が皇女殿下の前に跪いているのが目に入る。
「申し訳ありません、殿下。力及びませんでした。」
「よい、お主は全力を尽くしたのであろう。であればこれも時の運だ。」
「つきましては決闘に敗れた私は一族の掟に従い、この剣をお返ししたいと思います。」
「やはりそうなるか。お主の剣には何かと救われた。これからはただの友としてお主の幸運を祈ろう……達者でな。」
どうやら騎士は護衛を辞職するらしい。そんなに簡単にやめられるものだろうかとも思ったが、話の感じからすると前々から決まっていたのだろう。
そんな騎士が兜を脱いでこちらに振り向く。
「ん……まさか……!?」
思わず二度見してしまった。兜の下からは見えていた通りの艷やかなチョコレートのような褐色の肌に、解き放たれた長い黒髪。頭頂部には獣の耳が存在し、獣人であることが分かる。そして何よりも女性のように整った美しい目鼻立ち……というか完全に女性の顔が現れたのだ。
(ここに来てお前女だったのか展開とは流石異世界だぜ……。)
探心によって聞こえる声そのものには性別を判断する情報はない。内容や言葉遣いのようなもので判断できなくもないが、確実とは言えなかった。
ついでに行動掌握で読み取れる動作は身に付けた服装のイメージも含まれるため、鎧姿では流石に性別を見分けるのは無理だ。
これだけの美人の命を奪うことになっていたら後味が悪かったかもしれない、などと甘いことを考えていると、何故か騎士が決意したようにこちらにやってきて跪いた。
「え、何……?」
カインの戸惑いを待つことなく、疑いようもない女性の高さの声による宣言が始まる。
「シドウミョウインの掟に従い、決闘に勝利した貴方様にこのアスカタロウ・シドウミョウインは服従致します。如何様にもこの身をお使いください。」
「本当に何なの!?」
探心が使えないままでは全く事情が飲み込めないのであった。
──────二章、了。




