2-51 乗るしかない大いなる流れ
鋼の剣には多少血が付着しているし、護衛騎士も流石に全くのノーダメージというわけではないようだが、戦闘力が低下している様子はない。
思い返せば肉を斬ったにしては妙な手応えではあった。
『この鎧下でなければ今のは危なかった……或いはあの剣がもっと業物であれば……。』
騎士の思考を探ってみれば、どうやら着込んでいる黒い鎧下には糸状に細く伸ばされたミスリルが何本か編み込まれており、それに剣が防がれたのだ。
先日の模擬戦と違い、決闘での決着は相手の命を奪うないしそれに準ずる状況────例えば首筋に刃を突きつけるような場面にまで持ち込むこと、或いは一方の降参のみである。脚を少し斬った程度では勝ちは拾えない。
それにこのルールに限らず、戦いにおいてとりあえず全身を優秀な防具で固めるというのは、ひとつの最適解ではあった。
(……これだから貴族って奴は。)
これだけのものを揃えられる相手の出自を恨んでも、装備の差がなくなるわけもない。ただでさえミスリル鎧の装甲を抜くのが無理筋なのに、鎧下のみにさえまともに攻撃が通らないのは軽く絶望的だ。
可能性があるとすれば、鎧下の同じ箇所を攻撃し続けることだろうか。鎧よりは鎧下の方が防御力が低いのは確かなので、それなら倒せる可能性は十分にある。あるが────
「くッ!?」
予想外の一撃を受けたことで気を引き締め直し、双剣による隙のない連続攻撃を繰り出してくるこの騎士が、それを安々と許してくれるはずもない。
行動掌握のインターバル中は防御に徹する、という三級おっさん戦で身に付けた戦法を取ってはいるが、それでもなお体格を含めた身体能力の差は絶対的だ。どうにか剣と盾で防ぐも、受け流すまでの余裕はない。
単純に速いから難しいというのもあるが、『攻撃性』の発露から斬撃のタイミングは読めても、斬撃そのものに微妙な緩急が付けられているのが原因だろう。単純な左右交互の連撃でさえ、単調にならないよう練磨された技巧が見て取れるのだ。
パワーとスピードは元より、テクニックでも確実にこの騎士はカインを上回る使い手である。如何にその武器を用いて相手を殺傷せしめるか、その目的のためのみにたゆまなく積み重ねられた鍛錬の結晶がそこにはあった。
最初の攻撃を凌いで反撃まで加えられたのは、この騎士の攻撃が行動掌握でほぼ完全な予知の領域に達するほど精密であったためなのだ。
そこからは行動掌握を使いながら耐える時間が続く。いつも通りの防御主体と言いたいところだが、単純に有効な攻め手がない今はそれ以外に打つ手がない。
(煙玉なら一時的に視界を奪えるが、どの道あの鎧下を抜く手がないんじゃな……[光刃]が使えればなぁ。)
スローイングダガーはそれこそ[光刃]がなければ役には立たないだろうし、手持ちの道具は使えて煙玉ぐらいという有様だ。
頭部を殴って衝撃で気絶させるというのも考えたが、身長差があるため狙うのは困難。それに得物が鈍器ならともかく、剣では効果が薄いだろう。
防御目的で発動した行動掌握のついでに反撃の機会はそれなりにあったが、鎧の隙間に撃ち込む狙いは相手にもとっくにバレているので至難の業だ。仮に当てられたとしても軌道を無理に変えて放つ弱々しいものでしかなく、最初にやれたような威力の乗った一撃を当てるとなると尚更無理がある。
開き直って威力重視でミスリル装甲を斬っても、当然のように傷が少々残る程度で歯は立たず、破壊を狙うのは全く現実的ではない。
騎士の攻めは反撃を警戒して隙の少ないものが中心となっているが、むしろ防御力の差を活かして行動掌握のインターバルに一気に攻められていれば、カインの方が押し切られていたであろう。
相手の慎重さに救われたと言うべきか、それとも希望がより小さくなったと言うべきか、微妙なところではあった。
『時折見せるあの守りの冴えは一体……? それにしてもこのようなところにこれほどの腕を持つ戦士がいようとは、世は広い。』
行動掌握による防御を騎士からは不気味がられつつも感心されていたが、実際このバランスはギリギリのところで保たれている。何も防具だけが装備の差ではない。
騎士の得物である「黒入り焔」という銘を持つ炎の魔剣は、まともに喰らえば容易に革鎧及び鎖帷子ごと肉を斬り裂かれ、ついでに骨まで断って軽く致命傷となる威力。今のところ鋼の盾でなんとか受けていられるが、それもいつまで持つか分からない。
(もうかなり熱い……!)
盾そのものの破壊と、熱せられた盾が持てなくなるのとでは、果たしてどちらが先になるか。指ぬきグローブにしたのがここに来て裏目だ。
その上で厄介なのがもう一本の曲剣「童子刃」である。こちらには斬りつけた相手に強い眠気を与える効果があり、抵抗装備を持っていない方からすれば、一度でも掠めればそれで勝負が決まりかねない恐るべき剣なのだ。
しかも不利な要素はこれだけではない。
(向こうはまだ余裕そうだな……。)
体力面でも当然のように差がある。体力が尽きかけた一匹狼との戦いよりは長時間動けているのだから、事前の食事による体力増強効果は確かにある。それでも成長回数による基本能力差を覆せるほどではないのだ。
騎士も常に攻撃を仕掛けるわけでなく、短い休息を挟んでは仕掛けてくるが、息が上がりつつあるのはカインのみであった。
「ッ! ふぅ……。」
「む……!」『四の手を見切られたというのか?』
行動掌握のインターバル中、斬撃と刺突が入り交じる何度か見た連撃のひとつを、ようやく上手いこと捌ける動きが編めた。現状で唯一の好材料は、時間を掛けるほどに相手の動きを緩急まで含めて覚えていけることだろう。
最悪、相手の攻撃を全て覚えて対応手段を編み出せば、引き分けには持ち込めるかもしれないとも考えたが、残念ながらこのペースだと先に倒れるのがカインなのは間違いない。
「四の手」というのはシドウミョウイン流における型のひとつらしく、この騎士は明らかに体系化された武術を修めているのだ。これまでの動きから見ても引き出しは間違いなく多い。
あとは騎士が技能を使おうとする様子がないので、その天職が戦士であろうことは話が単純でいいが、彼我の能力差を考えると別に喜べるようなものでもなかった。
(何かないか……何か……。)
鎖帷子の下の服に汗を滲ませ、打開策を考えながら状況に耐え続ける。覚えのある閉塞感────ガーアン・ビッツ戦でも味わった無理ゲー感に苛まれ続けるのは正直キツいが、音を上げないでいられるのはメルーミィを失いたくない一心からだ。
それに少なくとも本当にどうしようもないところまで粘ってからの降参でないと、奴隷たちの好感度は下がるだろうというのもある。
何よりあの柔らかき巨大質量が手からすり抜け、二度と掴めない場所に行ってしまうなどとは想像するだに悲し過ぎた。
どこまでいってもカインという男の行動原理はそんなものでしかない。ないのだ。
騎士が声を掛けてきたのは、そんな下劣さをあらためて自覚した時であった。
『この者、まさか……。』「貴公、ブリズタリア剣盾流の使い手とお見受けしたが如何か?」
「……?」
唐突に全く聞き覚えのない単語が出てきたので一瞬呆けてしまう。
思い当たることがあるとすれば、この動きの元ネタだろう。恐らく勇者スーザーがそのブリズタリアとかいう流派を修めていて、その動きを真似たことで勘違いされているのだ。
「だとしたら……それが何か?」
否定してもいいが、休めそうなので乗っかっておくことにした。
今は少しでも時間を稼ぐのみである。
クリスマス特別更新。(時間を合わせただけ)




