2-50 起たざるを得ない決闘当日
冒険者ギルドの訓練場が広く感じるのは、普段いるべき係員などの人員がいないためか。
そんな広い訓練場の冷たいコンクリート製の床、補強された壁や等間隔に並んだ打ち込み用標的、魔道具の照明の埋め込まれた天井に至るまで一通り調べたが、罠を仕掛けられるような余地がないことを確認できた。
「おかしなところはないと思います、ご主人様。」
「私めも特に問題は発見できませんでした。ここに完璧なカモフラージュを施した罠を仕掛けるなら、一両日中には無理でしょうね。」
奴隷たちにも手伝わせてトリプルチェックしたので間違いないだろう。メルーミィの知見には説得力もある。完全に取り越し苦労ではあったが、そうでなかった時のことを考えるとやっておいて損はないはずだ。
二人に礼を言い、昼の決闘までに少し身体を解すことにした。
(一昨日のおさらいでもするか。)
三級おっさんとの模擬戦で学んだ動きを復習。手応えは悪くない。多少疲労するが、ネルフィアから[回復]をもらえば問題なし。
決闘のルールとして、用いることができるのは自身の技能と身に付けているものだけ、というのがある。武器以外にも肉体を用いた攻撃手段は無駄にはならないはずだ。
魔道具の使用なども可能だが、流石に収納袋は駄目な模様。際限なく物を持ち込めるとグダグダになってしまう、というのはまあ分からんでもない。
使えるのが自身の技能だけなのでネルフィアの支援も受けられないが、その辺は相手も同じである。一昨日の模擬戦でも技能の効果を受けていないかを魔道具でチェックされたが、あれは本来このような決闘のために作られたらしい。
よって事前に使えるのは[回復]だけで、[強壮]も含めて効果が持続する技能は全て制限されていた。
「……そろそろか、ネルフィア。」
「はい、どうぞ。」
決闘の一時間ちょっと前、収納袋から取り出してもらった果物を腹に入れる。スポーツ選手が試合の直前に栄養補給するやり方を真似したものだ。
[強壮]が使えないのであれば食事などで補うのみである。とあるスポーツ漫画でやっていたのをネットでちょっと調べただけの情報なので、どれほどの効果あるかは分からないがやらんよりはマシだろう、と割り切る。
三時間以上前の朝食も焼き立てパンにジャムの炭水化物メインで済ませてきた。決闘三十分前には水分補給。当然スポーツ飲料などはないが、砂糖と塩を適量混ぜて作った生理食塩水めいたものなら常温で用意してある。
点眼して染みなかったらちょうどいいという塩分濃度の図り方で作ったので、少なくとも吸収に問題はないはずだ。
(来たか。)
水分補給を済ませた頃、探心が皇女殿下一行がギルドに着いたことを捉える。何か不測の事態が起きて遅刻でもしてくれたら楽だったが、そんな都合のいいことがそう起きるわけもない。
訓練場に足を踏み入れた殿下一行は、手早く一角に陣幕を張ると同時に訓練場内部を調べていく。罠を警戒するのは何もカインたちばかりではない。
だが陣容の差は如何ともし難いところだ。カインたちが普段テント泊で使っている簡易な椅子とテーブルを展開するのみであるのに対し、皇女殿下側は陣幕を張るだけでも対戦相手から決闘代理人の様子を隠すことができる。
奴隷たちの心にはそれぞれ『不安』が渦巻いたが、経済力の差が決定的なものではないと教えるには、残念ながら説得力が不足していた。
それでも可能な限りの準備はしてきたのだ。装備の状態にも不足はない。後は決闘に臨むのみである。
そして昼を告げる鐘の音は街に鳴り響く。ついにその時は来た。
「時間です。決闘者及び代理人は前へ!」
昨日はほぼ丸一日カインたちを見張っていたギルドマスターが、疲れを感じさせない声を上げる。今朝には部下であろう人間と交代していたので、流石に徹夜ということはないようだがご苦労なことだ。
メルーミィを連れ立って訓練場の中央に進み出ると、皇女殿下とその護衛騎士も陣幕より出てきた。
「それではこれよりエルデエイラ・ロバスロフ=デュルトハイゲンの代理人アスカタロウ・シドウミョウインと、メルーミィの代理人カインとの決闘を執り行う!」
立会人にはギルマスの他に髭の受付嬢もいる。少なくともこの人は完全な中立に徹するつもりのようで、それだけでもありがたいと思うべきか。
その後方には癒術師と思われる女性も控えている。
「────ルールは以上だ。では結果に関わらず遺恨なきよう、ケイデン冒険者ギルドがこの決闘に立ち会わせていただく。両者異存ないな?」
「ない。」
「……ありません。」
昨日も聞いたルール説明を受けると、皇女殿下とメルーミィが決闘を受諾し下がる。
「マスター、ご武運を。」
メルーミィのせめてものエールを受けると、対戦相手と向かい合う。
護衛騎士の二メートル近い威容は相変わらず、ミスリルの全身鎧にも曇りはない。昨日との違いはマントを外していることぐらいだ。
「決闘であるからには手加減できぬ……覚悟召されよ。」
騎士は低い声でそう宣言すると左右の腰から剣を抜き放った。どうやら双剣スタイルのようだ。右手に持つ黒い刃の長剣はそのまま、それより短めの片刃の曲剣は逆手に左手で構えている。
強靭な鎧を身に纏っておきながら、剣が量産品などということはあるまい。曲剣の柄には太い棘付きのナックルガードが備わっており、色々と用心する必要があるように思えた。黒い剣の方にも恐らく何かがある。
こちらも剣を抜き盾を構えた。一人の戦士として、命を懸けて起たねばならぬ時が来たのだ。
儀礼として軽く互いの剣を合わせ、五メートルほど間合いを取る。
『初手で決める。』
護衛騎士に敗れるつもりは毛頭なく、最初から本気を出さないなどというバトル漫画でありがちなムーブはしてくれそうにないようだ。
どうやらこちらも初手から全開で行くしかなさそうである。いくつか想定した対策を思い浮かべた次の瞬間────
「始め!」
開始の合図と共に騎士が飛び出してきた。行動掌握のスイッチは既に入っている。
まず放たれる黒剣の斬撃には炎が纏わりつき、それを凌いでも黒剣を目隠しとした曲剣が軌道を変えて襲い掛かってくる、という術理らしい。
振りかぶられた黒剣から炎が吹き出し刃が赤熱する。この剣は魔道具の一種であり、斬撃の瞬間に炎を纏って敵を溶断する機構を備えているのだ。
それに対してカインも飛び出す。
「ふッ!!」
「!?」
首を狙った炎剣の横薙ぎ一閃を、鋭く息を吐き身を屈めて回避する。カインの挙動は完全に騎士の意表を突き、頭部は既に腰の位置より低い位置をすり抜ける。続く曲剣も対応しようと振るわれたが、それも届くことはない。
最初に首を狙われるのが分かっていたからこそできた低空回避である。
騎士の脇をすり抜け、床に盾を叩きつけて反動で身を起こしながら、既に鋼の剣は振りかぶっている。この一連の動作の滑らかさは半ばまぐれに近いものであったが、だからこそ反撃は狙い通りに命中した。
(ここだッ!)
狙いは騎士の膝の裏。如何に鎧が強固であろうとも、纏うのが人間である限りは関節部分など覆えない箇所はどうしても存在する。膝の裏こそはそのひとつであった。
攻撃を決めた勢いのまま、騎士の背後に抜けて間合いを取りながら振り返る。
騎士も同じように振り返りながら構えを崩すことはなかった。睨み合ったまま行動掌握が切れる。
この時、全力の一撃が狙い通りヒットしたのだから、これで決まっていてほしいという祈りにも近い気持ちがカインにあったことは否めない。
『脚は問題ない……今のは少々危なかった。』
だからというわけではないが祈りが届くことはなく、伝わってきた思考は騎士の健在を示していた。焦燥感がない辺り、本当に大したダメージはないらしい。
(さて、どうやったらいいんだこれは……。)
ゲームと違って現実の決闘に攻略法が用意されているはずもない。カインの心にも暗雲が立ち込め始めていた。




